雑談力 | 木馬の四方山ばなし

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趣味の話や日々の出来事を中心に何となく、自己満足のためにつづっていくブログです。

この間、ネットの記事で「雑談力」なるものに関する記事を読んだ。

何でも初対面の人たちを一定の時間、同一場所に「待機」させたところ互いにコミュニケーションをとるわけでも無く、黙々とスマホをいじっていたとか言う記事だ。
その記事自体、斜め読みだったし、そもそも主旨がよくわからない記事だった。

単に事実を伝えるというのも記事の内だとするならば、こういうことがありました、という「記事」なのかもしれないが、オイラはそれは記事では無く単なる「報道」に過ぎないと思うのだが。

ま、それはともかく、確かにごく少数で閉鎖空間に一定時間以上いることは、ある種のストレスを生み、何か話さなきゃ的な重圧を感じるというのはよくわかる。
上記の記事では自称「コミュ障」の視聴者?から、「俺の心をえぐるな」的な悲鳴ともとれる投稿があったと書いている。

ふーん。
そんなもんかね。(´ー`)┌フッ


オイラ、その重苦しい空気をいやだと思う気持ちはよくわかるが、いやだったら自分で空気を変えればいいじゃん・・・というタイプなのでなおさら、記事が言わんとしていたことが理解不能だ。

よく聞く言葉にこういうものがある。
『きどにたちかけせし衣食住』

季節(き)、道楽(ど)、ニュース(に)、旅(た)、知人(ち)、家族(か)、健康(け)、世間(せ)、仕事(し)、衣類、食、住まいのことをネタにすれば会話には困らないということらしい。
それがそのものずばりでOKとは言わないが、確かに無意識にこうしたことを会話のとっかかりとしてコミュニケーションをとることは多い。天気のこととか、今時期ならば「今日は暖かいですね」から始まり、「花粉症」ネタへの展開などはステレオタイプの会話ではあるが実に有効だ。(苦笑)

別に無理して常にコミュニケーションをとる必要は無い。オイラはそんなことを言わんとしているわけでは無い。
ただし、雑談くらいは誰とでも出来るくらいの能力(本来は能力などでは無く、本能だと思うのだが。)は持ちたいものだ。
仕事の愚痴になってしまうが、若者からおっさんまでまともにコミュニケーションをとれないやつが身の回りにあまりにも多いもんでねぇ・・・・(-。-) ボソッ

ま、オイラの場合、シチュエーションによっては重苦しさを感じることはあってもそれをすぐに解消できるくらいの「雑談力」は持ち合わせているし、毎日のようにこうした「与太話」を書くことで自然に訓練されているともいえるだろう。。(苦笑)

もちろん、誰とでもコミュニケーションをとらないといけないなどとは言わない。必要が無ければ「沈黙もまた金なり」ではある。
ただし、「できない」のと「やらない」のでは月とすっぽん、雲泥の差だ。
やるやらないの判断は自分で下せばいい。だが出来る能力くらいは持っていてくれよ・・・・

これが今日の与太話の趣旨である。バキッ!!☆/(x_x)