何年か前からオイラのことを雨男と揶揄する写真仲間が居る。
そしてそれを受けて最近では同じようなことを言う輩がずいぶんと増えてきた。
ここでオイラが「揶揄する」という表現を使って居ることに注目して欲しい。
1度や2度ならあくまでも洒落、冗談として受け流すので全く問題ない。だがそれが数年にわたり、しかもたまたまオイラと久しぶりに会った日が雨の日だった場合にお約束のように繰り返されるとだんだん不愉快になってくる。
そしてそれを真似して同じようなことを人の顔を見るたびに言うやつが増えればさすがに苛つくもの自然なことだろう。
お笑い芸人じゃあるまいし、
おいしい・・・・
などと思うわけは無いのだ。
雨ならば雨ならではのカットを撮ろうと思うし、それ自体はイヤではないが、やはり悪天候下ではあらゆることが快適とは言えない状況におかれるのだ。オイラがそれを待ち望んでいるならともかく、ぶっちゃけ天気は良いに越したことは無いと思っているのだ。
そんな状況下で繰り返しくだらない戯れ言をほざかれるといい加減むかついてくるのだ。
もちろん悪気があって言っているわけではないことは重々承知している。だからこそ今まではあくまでも冗談としてうわべだけは処理してきたつもりだ。だが、それもいい加減ウンザリしてきた。
あまりに繰り返されるとそれは冗談ではなく小馬鹿にされているように聞こえてくるからだ。
大体において雨男、雨女などという非科学的な表現はあくまでも冗談の世界においてだけ許される言葉で有り、さらに言うならば、本人が自虐的に言う場合においてのみ笑いのネタとして質が高まるのだ。
周囲の人間が他人のことを勝手にそう呼ぶことはやはり失礼極まりない行為だと言うことにそろそろ気づいて欲しいものだ。
オイラが雨が大好きで雨を望んでいるならその限りではないのだが上述のようにぶっちゃけ、受け入れる気持ちはあるが大好きとは到底言えないのだ。
100万歩くらい譲ったとして、オイラと一緒に時に本当に雨の確率が高かったとしてもそれは誰のせいでもなく、「たまたま」なのは自明の理だ。
(´ー`)┌フッ