オタクと審美眼と右脳の強化 | 木馬の四方山ばなし

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オタクという言葉がある。

この言葉が単に個人の嗜好を指す場合には違和感もないし、嫌悪する理由はない。
最近はサブカルチャーなんて言葉も有るくらいだし。

但し、オタクが個人のキャラクターを表現する言葉として使われたときには、オイラは嫌悪感を抱くし、気持ち悪いとも思う。
すなわち、オタクと言う言葉が、社会性や協調性の無さと同義で使われた場合である。

嗜好というのはごく個人的なものであり、それを他人が評価する方法は本来無いはずである。
しかし、現実にはしばしば理不尽とも言える順位着けが無意識のうちになされているのだ。

たとえば、歌舞伎は高尚でアニメはオタクなんてのはまさにその代表的な例と言えるだろう。
価値観の固定化、押し付けである。

無意識の中で順位漬けをしてしまうと言う意味では、審美眼的な判断を要するものはどれも同じような危険をはらんでいると思う。

写真だってそうだ。
風景写真を見たとき。
たとえば紅葉の写真をいくつも見たとしよう。
そうするとオイラはどれも綺麗でそんな写真を撮れることを素直にすごいとなと思う。
でもどの写真を見てもこれだ!という違いを感じられない。言い切ってしまうならばどれも同じように見えてしまうのだ。

有名な風景写真家の作品でさえそう感じることが多いし、街中のスナップ写真もまさにそうナノだ。

オイラの右脳がかなり仕事をさぼっているからゲージツはなかなかストンと落ちてこないのだ。(爆)

レース写真だって同じ部分も勿論あるが、撮ることの難しさに感心してしまっているだけなのかもしれない。

たまっている写真をセレクトしているのだが、そんなことをふと思ったりする週末である。