ノーベル賞を受賞してひときわ注目を浴びているのが、中村教授である。
そう、かつて青色LEDの発明対価を巡って日亜化学に対して訴訟を起こした人。
もろもろの理不尽なことへの怒りがノーベル賞の原動力になったのだという記事が飛び交っている。
確かに偉大な発明なのだと思うが、その発明のすべてが発明者個人に帰属するのかというとオイラは正直、疑問である。確かに訴訟騒動当時、巨額の利益を生み出した特許への対価が2万円というのもどうかとは思ったが、ノーベル賞を受賞した今になってまた当時の議論が再燃している。大方の論調は中村氏の偉業をたたえる方向であり、中村氏の言い分を全面的に掲載している。すなわち、中村氏の主張がすべて正しく、日亜化学は悪の象徴であるかのごとし、である。
だがオイラはかなり違和感を覚える。
サラリーマンとしての収入や福利厚生を保証された身分で、なおかつ会社の予算を使ってした研究の成果である。その成果がすべて発明者に帰属するとは思えない。もちろん、相応の対価は必要だとは思うが中村氏が言うように、会社側が完全悪であると言うニュアンスの主張には違和感を通り越して、嫌悪の感情さえわいてくる。
これはオイラがごくごく普通のサラリーマンであるが故なのか、ずば抜けた成果など望むべくも無い平凡な才能しか持ち合わせないが故のひがみなのか・・・?
まあ、多分にひがみ、やっかみの感情が土台を形成しているのは間違いないだろう。(苦笑)
そしてねたみの感情の上に築かれた旧タイプの日本人としての義理人情恩義という古い感情が嫌悪感に結びついていると思う。