旧知の仲間が先導して始まったグループ写真展がある。
その運営メンバーは本当に精力的に活動してくれており、回を追うごとに盛況になっている。彼らの交流の輪もどんどん広がっているようだ。
オイラはというと、過去に数回参加はしているが、なかなか現地へ足を運ぶことが出来ないので実際に会ったことのあるメンバーは限定的だし、その中で言葉を交わした人となるとさらに少なくなる。
だが、多少なりとも話をしたことのある人とはSNSを通じてつながっており、直接の知り合いはもちろん、知り合いの知り合いの写真に対する思いに接する機会も増えてきた。
そうした中で思うことがある。
写真に関してはフィルム懐古の風潮が強いように感じる。特に「懐古」するほど年のいっていない若い世代に顕著なのが不思議ではある。
フィルム撮影自体はオイラも好きなので、それ自体は別にいいのだが、ごくまれにフィルム作品=芸術作品みたいな言い方をする人がいると、正直違和感を覚える。
いち時期のモノクロ至上主義にも通じるかも知れない。
オイラは南国転勤の際に身軽になるために、フィルムカメラを含め、撮影機材はかなり大規模なリストラを実施した。いま持っている一眼レフはデジタルが2台のみ。あとはコンデジがあるだけ。
フィルムで撮るのが楽しくて仕方ない気持ちはわかる。フィルムを装填し、巻き上げて、構図を決め、露出を決め、手ぶれをしないように慎重且つ大胆にシャッターを切る。その一連の儀式にもにた作業は「撮ること自体」を楽しませてくれる。
オイラもそれにはまっていた時期があるし、手放してしまったが、LXを触るとそのメカメカしさにいじっているだけで楽しかったものだ。
だが、その信仰が行き過ぎて、いや宗教と言えるほどのめり込んだ人にとってはもはやフィルム作品以外は現代の文化が作り出した記録でしかなく、芸術ではないのだと言わんばかりな人がまれにいるのには閉口する。
もちろん、そうした考え方が垣間見えるのはごく一部の人だけであり、ほとんどの人は、アナログもデジタルも旨く使い分けて楽しんでいる。
ま、オイラみたいな理系写真?を撮る人には「芸術作品」はあまり縁の無いものではある。前述のようにフィルム撮影の「儀式」は大好きだが、デジタル撮影に比べると現実としてお金がかかりすぎるし、機材はもはや手元に存在しないので撮ることはできない。それにオイラはもともと「芸術作品」を生み出そうとして写真を撮っているわけではない。
オイラの撮影では、フィルムの場合は一連の儀式を楽しんでいただけだし、デジタルに於いては「撮影技術」への挑戦が根底にあるのだ。すなわち、はじめは全く撮れなかったようなカットが繰り返して挑戦しているうちに撮れるようになることに喜びを覚えているのだ。
だから、オイラの撮るカットには、わずかな感性が入ることはあっても「芸術性」はまず入り込む余地はない。少なくとも本人はそういうものを吹き込もうと思って撮ってはいないのだ。(^_^;
オイラが風景写真とか街中スナップをもっとも苦手とする最大の理由がここにある。
誰もが同じように目にする光景を切り取ってそれを芸術に昇華させるだけの感性を残念ながら持ち合わせていないのだ。(苦笑)
いきおい、オイラの写真はモータースポーツにむく。
断っておくがこれはあくまでもオイラの個人的な状況を言っているだけで、モータースポーツ写真が芸術じゃないなんて言うつもりは毛頭ないので誤解無きよう・・・
そんなわけでオイラの場合。
たとえばスローシャッター。
技術的にはそれなりに難易度が高いため簡単には撮れないが、撮れたときには「撮れたこと」自体に満足しているのだ。もちろん、選手ひとりひとりの勝負にかける思いを写し取りたいという想いもあるのだが、それを自らの意思で具現化するだけの感性が無いのだ。
思いはある。だが鋭い感性を持ち合わせていないので、「撮影技術」に走るというのがオイラの写真なのだ。(^_^;
理系的思考のアマチュアカメラマンの典型だろう。。。(爆)
世間的に見ればごく少数派となったフィルム撮影。
しかもフィルムの供給そのものもどんどん減っており、フィルム選びの楽しみなども激減しているようだ。もちろん、撮ったフィルムを現像してくれるところもだいぶ限られてきているみたいだし、お金もだいぶかかるようになっているみたい。
そんな彼らの夢の浮き船はこれから先、どこへ向かうのだろう。。。
フィルムだからという色味とか味わいというのもぼんやりとはわかる。だが、オイラ的にはやはり機械を操作する喜びの延長線上に、撮った(撮れた)作品があり、その作品が他人に共感してもらえるものだといいなと想うだけだ。
単なる懐古趣味ではなく、自らの主張としてフィルムなりを使って、自分なりに納得できる作品を生み出してもらえたらと想う。
オイラは地道に腕を磨きつつ、千載一遇のチャンスに巡り会うことを願いながらシャッターを切ることにしよう。(苦笑)
ゆめの浮き船は過去の幻か、はたまた新たなゆめを生み出すのか。
彼らの、そしてオイラの行き着く先は果たして・・・・
to be continued.