リレイションとコミュニケーションとフレンドシップ | 木馬の四方山ばなし

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趣味の話や日々の出来事を中心に何となく、自己満足のためにつづっていくブログです。

なんか、今日は嬉しいなぁ~。


σ(^_^;の与太話を見に来てくれる友人達がいる。


そして、それぞれ、かぶらない別方面の友人が3人もσ(^_^;の与太話にコメントをつけてくれた。


友人達へのお返事コメントはまた、明日以降と言うことにして、今日は乗ってきたのでもう一つ。


最近は自分自身をかなり客観的に見られるようになってきた。 それでもって、心理分析をするとこんな具合である。



---------------------------以下、本日分・第2弾----------------------------


今時の若者はメールがないと生きていけないと言う。


会ったこともないメル友との、文章にもならない程度の短いやり取りで、人とのつながりを感じて安心感を得るのだそうだ。


ワン切りなどは最たるものだろう。


如何に自分のことを気にかけてくれている人がいるか、と言うことを確認することで安心感を得ているのである。


フレンドシップやコミュニケーションと言うものとはちょっと異質である。ここには互いに言葉や文章あるいは表情で相互に意志を伝えあうという関係は見えない。


そんなのはホントの友達じゃないんじゃない!?


そう思っていた。

今でもそう思っている。


しかし、我が身を振り返ってみると、実はσ(^_^;にも共感できると言うか、理解できる部分があるのである。


今年の春先から友人の誘いを受けて、はやり?のMixiにも登録している。 そして、Mixiのオリジナルの日記(=ブログ)を使っている友人の日々の書き込みを見るために、σ(^_^;もほぼ毎日、ミクシィにアクセスする。


友人達の書き込みがあるとトップページにそれとわかる仕組みである。


しかし、それとあわせてつい確認してしまうページがある。


「あしあと」


である。


ミクシィでは、たとえばσ(^_^;のページを訪れてくれた人がいると、必ずそのログが残る。それが「あしあと」である。


友達の友達のページを訪れたり、イベントなどのワードで検索をかけて知らない人のところなども見に行くこともある。そんなあしあとを逆にたどっていろんな人と交流を拡げていく人もいるようだ。


この「あしあと」だが、ミクシィを始めてしばらくした頃、ふと、あることに気づいた。


「あしあと」に友人が来ているかどうかを楽しみにしている自分に、である。


この心理は冒頭に書いた、若い人たちのワン切りと同じだと思う。


なんだぁ~。おいらもまだまだ若いジャン。(^_^)v


いや、ちょっと気づいたときは気恥ずかしかったが、事実だから仕方ない。(^_^;)


Mixiにもブログとして登録してある、σ(^_^;のアメーバブログの方でも、アクセス数が多いと、なぜかちょっと嬉しい気分になるのも同じような心理だろう。


えらそーな事を言っていても所詮、そんなモンである。>自分


もっともσ(^_^;の場合は、実際に面識のある友人とのつながりがメインで、ネットだけの知り合いはそれほど多くない。

ネットで知り合ったとしても、実際にあうことで、さらなる友好関係に進展するケースがほとんどだからである。


こうして考えると、σ(^_^;も「若者文化」とひとくくりにして、とかく離れたところから意見しがちな世代になりつつあるが、昔も今も本質は対して変わらないのではないだろうか?


かくいうσ(^_^;だって、若かった頃は、その言動で年寄り連中の眉をひそめさせたものである。


いっしょ、いっしょ。


変に分類したがる人ほど、他人とのコミュニケーションが恐くて、自分の扉を開けないんだよね。 ワイドオープン、フルスロットルで行きましょう!!