ひょんなことから、うちのひいおじいさんを思い出したので書きます 笑
アイディアマンで実業家、そして「早すぎた」と誰からも言われた明治男です。
でも、よく考えたら一本書けそうなくらいの面白い人生を歩んできた男ですな。
牛の膀胱をつかって氷嚢を作ったり、ストーブ列車で使うタドンを作って大きく事業をしていたり。
それから今は全然見ませんけど、ビニール製の組み立てる衣装ケースの走りを発明。
そしてなぜか、ドイツ人を呼び寄せ、パン屋を開く。
外人=パン屋だと思っていて、少しずれていたようです 笑
私が一番好きなエピソードは、その当時「モスクワ放送」というラジオがあったらしいんですが、いつも一人で静かにこのラジオに耳を傾けていたそうです。
これは、唯一の世界各国の情勢が流れるラジオだったそうな。
もう60年以上前の話ですが。
大正、昭和初期を駆け抜けた、好奇心いっぱいの男、喜一郎です。
このおじいさんの遺影は本当にいい写真なんですよ。
めがねをかけて、お着物でシャンとして。でも、体は大きくなく、見かけはどっちかっていうとのび太ぽい 笑
でも会って話してみたいです。
たまに、喜一郎の血を受け継いでるのはお前だとか親戚にからかわれますが^^;
よけいに会いたい。
でもどうせならミス九州になって、若くして白血病で亡くなったおばさんに似たかったよっ!!
誰もその血を受け継いでないのはなんでなんだ??笑
ドラマティックって意外に身近に落ちている笑