ゲームについて語るお茶会ログ、第3段です。
<過去のシリーズ>
ゲーム依存症のはなし【5/21はぐ♡ラボ×もっくん珈琲お茶会 振り返り①】
ゲーム・デジタルツールと教育のはなし【5/21はぐ♡ラボ×もっくん珈琲お茶会 振り返り②】
今回は、表現活動としてのゲームの側面に関するディスカッションを紹介します。
ピンクの文字の部分は、ディスカッションを振り返っての私の所管になります。
(本文とは関係ないのですが、サムネ用の綺麗な画像として、FFXのユウナの異界送りを。綺麗でしょう~)
お茶会参加者紹介
三児の母、80年生まれ、元ゲームっ子
人の心の仕組みと癒しへの興味から、子供の教育に関心をもつ
もっくん珈琲、(最近)デザイナー/クリエイター
三児の父、80年生まれ、田舎の山育ち
生と性のはぐくみ研究室 はぐ♡ラボ 主宰
元ままとーん代表(現理事)
思春期保健相談士
三児の母
安田歩さん
子育て×メディア Five for earth 代表
市民団体 子どもの未来を育む会 代表
認定心理士、新聞読み聞かせインストラクター
三児の母
田邉大樹さん
総合大学院大学 博士課程の学生(KEK/高エネルギー加速器研究機構所属)
90年代生まれ
ご専門の宇宙のことから、社会のこと、サブカルまで、ジャンル跨いで色々神のように詳しい(※←私の見解)
ゲームの種類
アクション・RPG ・パズル ・ノベルゲームなどなど…
ゲームは、ジャンルやハードウェアなど、それぞれの形態で、プレイヤーに与える心理や与える影響が全く違うはず。それらすべてを「ゲーム」という1つの言葉で、同じ土俵で語るのは無理がある。
【もっくん所感】
ここのパートは、参加者個人個人が過去やっていたゲームの話に花が咲いて、ログを聴いていても非常に楽しい部分なのですが(笑)本質ではな部分はあえて割愛して、このようにまとめてみました
いわゆる暴力的な表現を持つゲームというのも確かに存在していて、それが子どもたちに好ましい影響を与えるかというと、それ単品で見ればそうとは言えないものもあるでしょうが、一方で、小説のような、映画のような美しいストーリーが紡がれたゲームもたくさんあります。
ゲームに限らない話ですが、たくさんのものに満遍なく触れることで、情報の偏りが均され、何か1つのものへの没頭・依存、そしてそれからの悪影響は減らすことができますし、
また、たとえネガティブに見える表現であっても、それを世の中の「確かに在る一側面」として、身の安全を確保された中で、そういったものを『知る』ことができる、というメリットが生じます。
この疑似体験/思考錯誤こそが、ゲーム・サブカルその他、バーチャルな表現の最大のメリットではないでしょうか。
(※この辺の見解は、今回のディスカッションメンバーとの場外議論で深まったところがあります。みなさん本当にありがとうございます~)
きれいなもの・きたないもの・・・私達は、それらが混在した世界に住んでいます。これは誰も否定の出来ない真実でしょう。
とかく大人というのは、理想の世界を目指すあまり、子供に対して「きれいな世界」のみを見せたがり、「きたない世界」に落ちる子を見ないふり、という側面がありますが、これはとても冷い話で、自分たちを追い詰める原因にもなっているのでは、と思います。
一般的なコンピューターゲームが誕生してから半世紀近く経つ中、ゲームの形は進化し、表現としてのクオリティが洗練されている。
進化することで、当初の単純なゲームにはなかった要素が生まれてきていることを、大人たちがほとんど知らないのが残念。本質を見誤る原因にもなっているのでは。
映画なども、かつては単なる大衆娯楽で、低俗な文化とみなされていたのかもしれないが、いまは社会的にも認められて、哲学的な領域にもなっている。ゲームやサブカルもそういうものになり得ていることが、真面目な人ほど触れないので、わからないのかもしれない。
田邉大樹さん
ゲームを作っている人の存在が見えていない。ある作品の存在に触発されて、新しい作品が創造されるというかたちで、連綿と受け継がれたものがある。芸術、自己表現の場として捉えて本気で作ってきた人の存在が見えていないからこそ、ゲームという一括りであまりに単純に語られるし、昔が良かった、という感覚が生まれる。
もっくん
たとえば、ゲームでプロになると言った場合でも、プロゲーマーはスポーツ選手、クリエイターは映画監督などに近いと思う。同じ「ゲームの仕事」という言葉では元来まとめられない。キャリアパスとしても随分違うのではと思う。
いずれにしろ、ゲーム関連の職業は、きちんとした就業先として認知されていないため、実際にクリエイターになれる素質があるのに、なる道がない、道筋を知らないという状況はあるかもしれない。
その辺があまりはっきりしないので、子供にとっては、(ゲームという枠の中での)自分の将来をうまく言語化しづらいかもしれないですね。
【もっくん所感】
私は自分のことを『元・ゲームっ子』と言っておりますが(この表現、昭和っぽいでしょ 笑)、私の年子の弟も私以上のゲームっ子でした。
彼は幼少の頃から、「ゲームを作る人になりたい」と言って、例えばスクエアエニックスだとか任天堂だとか、ゲーム会社へ入ることをぼんやり夢見ていましたが、当時はたしかに、明確なキャリアイメージなんか描きようがなかったなあと振り返ります。
高橋名人が唯一、キャリア的なアイコンで、元祖プロゲーマーみたいな感じでしたが、あのひとはそもそもハドソン(ゲーム会社)の社員だったのですよね。
▲人気すぎてゲームまで出た高橋名人。懐かしくて涙出るわwww
弟はその後、「ゲームを作る人になる」というイメージ通りにはなりませんでしたが、そんなゆるいキャリアイメージと、ロボットやプログラミングの興味から工学部に入り、今はSEになって働いています。この人も、ゲームに導かれたといえないでもないかな。(離れて暮らしてるけど、今でもめっちゃ仲いいです)
表現活動としてのゲーム
ゲームのクリエイターさんたちというのは、ゲームをたくさんやってきた人たちなのでしょうか?
それに関しては、田尻 智 ポケモンを創った男 という本があるが、それによれば、クリエイターになるには、ゲームをやっていればいいというものでもなく、他の体験を沢山積むことが大事であると述べられている。
いろんな経験を積んだ上で、なぜそれを面白いと思ったか突き詰める必要がある。ゲームをやっている自分を観察する必要がある、ということになると思う。
ゲームクリエイターになる人は、おそらくゲームが好きな人がほとんどなんだろうな、と思う。ただ、それ(ゲームが好きだった)だけで作品を作ると、やはり薄っぺらい感じになるのでは。
アニメやマンガでもそういう作品はあるなと感じる。この人、リアルの人生経験があんまりないのかなあ、と感じさせるような作品が。
自分が大学生の頃、「ゲームクリエイターではない人がゲームを創った」という作品が話題になったことがあった(ICO 2001年)。
その頃ありがちだった、ゲームの経験が薄い人を遠ざけがちな複雑な操作性を排した、極めて単純なゲームだったが、美しい音楽や謎めいたストーリーで、非常に魅力的だった。
そういう別サイドから入ってくる、という試みも、ゲーム業界はやっているのかなと思う。
ゲームというのが、シナリオ、背景美術、キャラクター、イラスト、音楽、ゲームシステム周りのプログラミングなどの総合芸術となってきたのが90年代後半からの流れ。たとえばイースシリーズ(1987-)などがその分水嶺。
新海誠(※「君の名は」「天気の子」などのアニメーション監督)はその時代にゲームのムービーを創っていた人です。
自分も学生時代(※2000年頃)にアニメーション作品を作ろうとしていた時期があったが、ちょうどその頃に新海誠が世に出てきた。写真をトレースするような技法で綺麗な背景を描いていて、当時は『ちょっと邪道だなあ』と思っていた。
その頃にちょうどデジタル環境が発達してきて、絵画的に綺麗な表現が柔軟にできるようになった、という技術的な側面があります。
それまでは、1人のクリエイターがアニメーションを創るというのは不可能であると言われ、たくさんのスタッフを抱えて創っていく時代だったところ、彼が1人で作り上げたというのが非常に評価されたと記憶している。
また、彼は美しい詩的な内容を表現できる、という強みがあったので、そこが評価されて、どんどん名を上げていったように思う。
【もっくん所感】
よっちゃんが当時、バイト代で高価なPCを買って、日々なんか創っていたのはよく記憶しています。絵を描いたり、作曲してみたり、簡単なアニメーションを創っていたり、試行錯誤の連続。
私は横で見ていただけでしたが、その頃の作業環境を思い出すと、20年後の今は驚くほど技術が進んでいるなあと思います。
こういったものが、ゲームやアニメの表現のクオリティを押し上げているし、ストーリーの練り上げ方なども、どんどん洗練されていて、本当に『総合芸術』と呼ぶにふさわしい内容になっているんですよね。
しかし、ディスカッションの中でも出ていますが、『クリエイターになるには、他の経験をたくさん積むことが大事』というのは、間違いないと思います。
様々な経験、試行錯誤こそが、良い作品を生む原動力だというのは、何でも同じですね。
クリエイターになるということを外しても、良い人生には、豊かな経験が必要だと思います。この部分は、子どもたちにも伝えたいです。
また付け加えるならば、『ゲームだけ』では勿論のこと、『勉強だけ』でも豊かな人生は作れないよ、というメッセージを届けたいと思います。(これは主に、間違った方向に教育熱心な大人たちに)
ゲームの話シリーズ、まだまだ続きます。