【レポ】オンラインはぐ♡ラボお茶会@もっくん珈琲Vol.3 | もっくん珈琲ブログ

もっくん珈琲ブログ

もっくん珈琲オーナー、タロット&占星術占い師、三児の母のもっくんの日常、店のお知らせ、考えていること。

もう1週間前になるのですが、「性」をいろんな切り口で語り合っていく『はぐ♡ラボお茶会@もっくん珈琲』の3回目を、オンライン上で開催しました。(@もっくん珈琲の要素はどこなんだという感じですがw 私がいることでしょうかね)


今回のテーマは『二次性徴』

近所の研究所(KEK)の理系大学院生、田邊さんに話題を提供していただき、貴重なお話ができました。

感覚を忘れないうちに書き留めておきます。


話題提供で、田邊さんが題材として出してくれたもののひとつが、この漫画でした。

男の子になりたい女の子と、女の子になりたい男の子の二次性徴の過程を描く物語。お互いの自認とは裏腹に、男女それぞれならではの、身体的な変化に晒されていく2人。

エピソードの断片を紹介された瞬間に、非常にザワザワしました😱 できれば思い出したくないやつ(笑)

二次性徴の葛藤をすごくリアルに思い出し、再体験できた感じです。

他の参加者の方もおっしゃっていたのですが、女になっていく怖さ、薄気味悪さ、居心地の悪さ、、、

当時は言葉にできない、いろんな感覚がありましたね。

たぶんみんなそうで、身体的な変化やグッズ(ブラジャーとかですよ)をからかわれたりとか、お互いがお互いの目を気にして、それが時に傷になっていたりしたんだなと思います。

(ちなみに田邊さんのコメントだと、男性は女性ほど、身体的な違和感はそこまで感じていなさそう。貴重な情報です)


私はなぜか、小さい頃は「女の子らしい」という要素を上手に被ることが出来ず、小学校高学年〜中学くらいまで、短髪だしスカートははけないし(※制服以外)、ピンクとかフリフリとかは苦手で、少年漫画とかミニ四駆とかゲームとか、どっちかというと趣味嗜好が男子と合う感じだったのですけど

「男になりたい」「こんなに女っぽくないのは、ほんとは男なんじゃないのかな」「男だったらどうしよう」、、、両方の狭間で、4〜5年生くらいの時、かなり真剣に悩みました。

今思うと、ピンクが苦手だったり少年漫画の類が大好きなのと同時に、ままごとやお菓子作りも好きだったり、少女向けライトノベルにどハマりしてたりと、趣味が広かっただけなんだけどね…

ともかく、子供の頃は「自分は女だ」という認識をあまり持たずに、プラトニック(ピュアという意味ではなく、精神としての、という意味で使ってます)な存在として、いろんな体験を楽しんでいました。

そのプラトニックな存在でいたい感情を言語化したのが「男になりたい」だったのだと思います。実際に男性になりたいわけではなく、性的な意味での女性になりたくない、という感じ。(おそらく、上記作品の女の子もそうなんじゃないかな、と読んでないけど推測)

自分の精神コントロールとは裏腹に存在する、体の生理的な欲求や、周りから入ってくる性的な要素の要求などを通して、世界から「女」を突きつけられる……ある意味、この世界に「女性として受肉する」のが、すっっっごく気持ち悪かったんですよね………😱😱😱

できればただ、精神的な存在でいたいのに、「肉体を持つ」というのは、苦しいのです。

これが二次性徴のモヤモヤの正体かなと、思いました。我が子がそれを迎える前に、再認識できて良かった。


私がこれらから卒業できたのは、ひとつには妊娠、出産が大きなきっかけだったかなあと思われます。

あれは全くもって、動物的な体験といえると思うんですよね。オーー私、哺乳類だったんだ❗️みたいな(笑)

病院の先生やスタッフさんも、その意味では完全にこっちを理科的に扱うじゃないですか。

産後1ヶ月検診で、『今日から夫婦生活オッケーだよ❗️👍』と男性の院長先生から爽やかに言われるとか(笑)(笑) 

反応にこまるわ❗️❗️❗️と思いながら、ニヤニヤしながら、帰途につきました。(ちなみに私は1ヶ月でその気は起きない。笑)

私、動物だった。
あの変な葛藤、わたし悪くなかったんだ。
というのを、一気に認められた体験で、だから妙に嬉しかったんだなと思います。

動物であるとわかることで、精神的な存在に戻れる。受肉しながら、再び天と繋がれる体験とでも言えましょうか。


あとは、私にとっては、「はぐ♡ラボ」を主催している中井聖さんとの出会いも、自分の性をゆるしたきっかけの一つとなっています。

出会ったのは、もうじき8歳になる龍ちゃんが赤ちゃんの頃なので、長い付き合いになりつつあります。小学生含む学生たちに赤ちゃんを触れ合わせるボランティアプログラムが最初ですね。

性や生に対する聖さんの語り口はすごく理科的で、いい意味でキラキラしてないのが、私にとってはとても優しく感じました。

二次性徴は、いのちの営みの一環で、ふつうであると、淡々と伝えてくれることで、生きるって素敵なことなんだなと、思わせてくれました。

キラキラしてないなんて言いましたが、実はこんなにハートフルでキラキラした人は、ほかにいないかも…😚


さて話は戻って。

今回の話題提供の大学院生の田邊さんは、普段は宇宙の研究をされている方ですが、二次性徴に絡む「欲望」の世の中での扱いについて、サブカル作品への表現規制の側面で特に問題意識を持ち、私たちの会に前回から顔を出してくださっています。

引き出しが広い方で、とにかくお話ししてて楽しいのですけど(お店の常連さんで、よっちゃんとはいつも宇宙とか物理の話をしています 笑)

聖さんと共通しているなと思うのは、語り口が理科的で、一般的に世の中で性について語る時に醸されるタブー感的な空気が一切ないのですよね。

今回は話題の性質上、かなり際どい話もしましたが、男女混ざってても、笑えるくらいイヤらしさがない(笑)ある意味『つくば』っぽかったかもww

日本の性教育に足りないのはこの潔さっつーか、理科的な感じかなって思います。 


欧米ではかなり幼少期から性教育が始まるようですが(国際セクシャリティ教育ガンダンスでは、5歳から組み立てられているそう)、日本はせいぜい4〜5年生から。

4〜5年生くらいまで大きくなってしまうと、社会的に作られた性にまつわるいやらしさとか、身体的な葛藤を受け取ってしまうのが先に来ちゃうのかなと、自分の体験を振り返って感じます。

女子だけ暗い部屋に集められて生理の話とかを後ろめたく聞くあの感じ、思い出すと死にたくなるくらいイヤでしたねwww

保健体育の授業で、二次性徴に関する記載の文章をみんな(男女混合)の前で音読させられてた女の子も、気の毒だったな。

タイミングが悪いことで、「受肉」の苦しみを精神的に増幅していたんじゃないかなとすら、思います。


そんなわけで、二次性徴の事実を子供たちに手渡す時の、私なりの答えは「理科的」というところに手かがりがありそうです。

田邊さんからも、自分のことだと実感する前に知ると良いかもしれないですねとのコメントを頂いています。

つまり精神的に「受肉」する前に、事実として欲望の存在を知っておくと、性としての肉体を受け入れやすいかも、ということですね。

聖さんからは『性が美味しいご飯や快適な眠りと同じナチュラルな欲求として語れる、認められる世の中にしていきたい』というコメントを頂いています。ほんとそれ。

変にハートフルに伝えなくていいんですよね。生きるということそのものが実にハートフルなんですから。


いやー はぐ♡ラボお茶会、面白いです😁

次回は5/21(木)10:00〜12:00を予定しています。この状況なので次回もオンラインです。

詳しい案内はまた近くなったらしますが、今度のテーマは「肉体」の話とは少し離れて、「ゲーム」の話で行こうかなと思っています。

休校期間も長引いてますし、この辺との付き合い方について考える方も多いのではないでしょうか。

サブカル全般と精神との関わりにご興味のある方、ぜひお話ししましょう。性がらみ、ジェンダーがらみ、思考回路がらみ、どの切り口でもいけます👍

参加費は1500円。気になる方はSNSや mokkuncafe@gmail.com までお問い合わせください❣️