
引用ここまで
日常生活を送っているとあまり考えないことではありますが、人間関係の悩みの大半はこれなんじゃないかというくらい、けっこう大事な要素です。
ネットで起こる批判炎上などもこれで、他人を非難することをわざわざ書く人って、ぶっちゃけそれ、「私は世界をそのように見ているし、私こそがそういう人間です」っていう自己紹介文なんですよね…。(これは自分にもブーメランなんですが 笑)
金儲けを非難する人は、本当はお金が大好きだし(素直に好きって言えばもっと楽しいし、金儲け=悪っていうのが一種の思い込み)
フリンを大非難する人は、自分の正しくない部分が大嫌いで、でも本当はそこを認めて欲しいし(こういう人が多いから、不倫系のトピックは炎上しやすい)
人間の暗い部分を見た、って思うひとは、悪いけどそれ自分の内部にあるものだからね。
人や物事の一面を、自分の世界観に合わせて恣意的に切り取っているか、もしくは全くの自分の妄想をスクリーンに映し出しています。
なぜに投影の話が出たかというと、参加者さんが「よっちゃんがどういう人が全く見えない」ということを言ってくれたから(笑)
私(もっくん)はどういう人か、なんとなくわかるけど
よっちゃんはわからない、と。
なんでかな?と考えた時に私が発した言葉は
「何も投影できないからかな?」
でした。
何気なく出た言葉だったけど、みんなで「おお〜」といって、そこからそれについて色々考えました。面白かったなあ
自分の中で、他人に役割を振る。
この人はこういう人。
この人はこういう人。
そういう自分の眼鏡(投影)で、ひとは他人を見ている。でも本当のその人の姿は、また別のところにあって、自分が見ていると思っているその人の姿はほぼ自分の妄想。
100歩譲ってもごく小さい切り口の一面でしかなくて、そのひとそのものは絶対に捉えてきれていないのですよ。
これは知らないひとなら言わずもがな、なんだけど、身近な家族に対してだって、そうです。自分の中の役割を振っているの。
夫が頼りない、情けない、甲斐性ない、給料少ない、なんて思っているひとは、夫にその役割を振ってる。そうしてくれないと困るのです。「夫は情けない」→「だから私が頑張らなきゃ」→「従って私には存在価値がある」
これを発動させるためには、夫が頼れる人では困るから、頼りないひと、という役割を振ってる。根本は「私には存在価値がないから、何かでそれを作らなければいけない、証明しないといけない」という思い込みです。
その思い込みが消えれば、夫はキャラ変します。
これは、夫をほかの何か(同僚とか後輩とか会社とか子供とか)に差し替えても色々な例で考えられると思います。
話が逸れましたが、他人に何も投影しない、そして何も投影されないっていうのは、ある意味いちばん、素のまま、自然な状態なのかもしれません。
ただ、別に投影しまくりされまくり、の関係が悪いということもありません。そうやって、自分を知り、自分を愛することを知る道の途中にいる、ということになります。結婚なんていうのは、ある意味、究極の投影劇の始まり(笑)
あとは、前述の引用にもありますが、投影には、良い投影もあります。
好きだ、好ましい、あの人のようになりたい、と思っている人物がいるとしたら、あなたの中にもその部分があります。そうでなければ、その人は自分から見えない(気に止まらない)はずです。(悪い意味の投影と同じで、見えていると思っているのは人や物事のごく一面か、自分の妄想です)
いい投影も、自分の中に統合して自分で使っていけるといいですよね。素敵じゃない?憧れのあの人、あの出来事は、私の一部なんですよ





