篤(あつ)く大恩(たいおん)を念(おも)いて大考(たいこう)を申べる | 格言とその意味

格言とその意味

廣池千九郎先生の格言とその意味をUPしていきます。


 最高道徳を実行せんとするに当たりて、その根本原理及び根本精神を表現する主要条件の一は、その自己の諸伝統に対して報恩することにあるのでござります。
すなわち神・君主・父母・祖先及び自己の精神開発もしくは救済における師の系統であります。
われわれ人間はこの諸伝統の恩恵によって今日あるを致しておる のであります。
故に、その諸伝統に報恩するということが最高道徳実現の第一条件であります。
しこうして自己の物質生活に関する恩人・学問もしくは技芸の師 及び自己の職務上の長上の類は、これを真の諸伝統に準じて尊敬せねばなりませぬ。
現代人の頭脳にはこの伝統及び準伝統の観念がありませぬから、その精神の 中に自己の行為を規定する標準なく、何事でも自己の思うとおりに放縦なる言語をほしいままにし、且つ利己的なる行動をあえてして畏るるところがないのであ ります。
されどかくのごときはあたかも根を断ち切られたる草のごとき類にて、自己の落着する所も定まらず、自己に対していかなる事あるも自己を見捨てない という後進の系列も出来ぬのであります。
しこうしてかくのごとき自由放縦なる思想の人の生涯は、ただ年の若き間もしくは身体強健なる間だけにおける一時的 享楽を満足さするだけで、いったん何事か起こるか、もしくは年老うれば淋しい生涯になりおわってしまうのであります。


               広池千九郎WEBSITE格言の間より