一つの念いも一つの行いも仁恕(じんじょ)を本となす | 格言とその意味

格言とその意味

廣池千九郎先生の格言とその意味をUPしていきます。

 日本語にて「おもいやり」といい、中国語にて「仁恕(じんじょ)」とい うことがありますが、これは英語のシンパシー(sympathy)に近き言葉にて、それよりは更に深き意味を有し、真にこれを実行するには、神の慈悲心を 体得せねば出来ぬことであります。
次に中国語の「惻隠(そくいん)」ということは、特に悲痛の場合に同情することであります。
そもそも「おもいやり」とい うことはすべて伝統及び準伝統の位置に立つ人々の苦労をおもいやり、老人・障害者・孤者・独者もしくは貧者の苦痛に同情することであります。
およそ人間に この心が出来ねば慈悲になったのでなく、真に人心の開発とか救済とかいうことは出来ませぬ。
万一、このおもいやりの心なき人がたといいかなる善事をなして も、ただそれは利己的事業にすぎぬのであります。
それ故に、人間に「おもいやり」がなければ、その人に真の徳というものは出来ぬのであります。

               広池千九郎WEBSITE格言の間より