少しお疲れモードの時に思い出す言葉。
↑ 少しではなく、かなりお疲れモードなルークさん☆
自分を家に例えると、メンテナンスの時期だとか、どこを酷使しているかなど
大抵想像がつくそうだ。
築50年の家が目の前にあるとして、わたくし達が思うことは何だろう。
屋根は大丈夫か?(頭は古い考えなままじゃないか?物忘れも多くない?)
水道のパイプは大丈夫か?(血管は大丈夫?つまってやしないか?)
基礎の部分、ガタがきてないよね?(足腰、何気に不安かも)
自分の年齢そのものを、建物の築年数に置き換えてみる。
必然的に、大切にしなければならない部分、どこの部分をメンテしておけばいいのか
想像がつくと思う。
↑ トラ吉様をメンテしているつもりのルークさん☆
わたくしも築年数、40年を過ぎてしまいましたわ。
40年前の建物だったら、壁から床から水廻りからほとんど全部を見直し。
いや・・・とっくにリフォームされちゃってるのね ( ̄ー ̄;
それだけ頑張ってるんだな、わたくしっ!
よくぞ、生きてくれた。毎日毎日、騙し騙しで生きてくれた!←そりゃいかんな ( ̄Д ̄;;
でもね、家にしてもそうなんだけど
古いからダメってばかりじゃないと思う。
手入れさえしていれば、味わい深くなる部分もある訳で。
外見だって、その人の味わいが年数と共に出てくる訳で。
人間で言えば、精神的な部分は「魅力」にもなれば「強み」にもなると思う。
そして、生きてきたからこそ後世に伝えれる何かも持っている。
いや、そんな大げさなことじゃなくても、日頃関わり合ってる人達と励ましあったり
分かりあおうとする気持ちが大事。
最小単位の輪から、いつか多くの人へ温かな何かが伝わるはず。
↑ 暖かな毛布が大好きなミリさん☆
偽造やまやかし、その場しのぎじゃいけませんな。
それはいつか根底から崩れるに決まっている。
誰だって自分が可愛いから、そんな時があるのも否めない。
けれど基本、善悪の判断さえ出来れば
自ずと軌道修正に向かって歩くはずなのだ、個々としての人間は。
今、世の中がおかしいのなら、どんなに地道でもおかしくない方向へ
一人一人が意見し歩いていくしかない。
いや、歩きたくなるものじゃないか?
楽しいはずの道へ。 本当に必要なものに会いたくて、真理に会いたくて。
あら・・・わたくし、お話の方向が違うところへ向かっているような ( ̄ー ̄;
築年数の分だけ、自分を素直に褒めてあげよう、喜んであげよう、手入れもしてあげよう。
ただ時が過ぎるより、ある程度意思を持った人生の方が面白い。
決して力まずに。自分が嬉しいこと、楽しいこと、人とつながることの喜びに
ただただ忠実であればいい。
きっとまだまだ輝けて、楽しいことはこれからも沢山待っている。