「愛」について | モカ族一家のワン⭐︎モモな日々♪

モカ族一家のワン⭐︎モモな日々♪

モカ族のチワワっ子達+トイプードル+フクロモモンガとの楽しい暮らしと、てんやわんやな日々の日記です♪




「愛」



近くにいることも愛。



離れることも愛。



奪い合うのも愛。



生きることのすべてが「愛」から始まって「愛」で終わるのかな?






















無償の愛(見返りを求めない愛)です。























いろいろと文章で書くのは簡単だけど 一言って難しいですね。



私は  ”家族”   ”愛”   ”心”   です。























たぶん私のテーマは


「愛」です。



与える愛、受ける(与えられる)愛。



恋愛の愛もあれば、



家族間などの愛情の愛。




















私も月並みだけれど、



『愛』だなぁ~。



愛がなければ、人間は生きられないよ。































小田さんのコンサートへ行った時のこと。



終盤も近いようなトークの場面で、「愛」をテーマに唄い続ける



小田さんがこう言った。











「随分長いこと 愛という字を使ってきたけれど 



先日その字をじっと見ていたら



受けるという字の間に心が入っていて驚いたんです。



愛とは与えるものだとばかり思っていたのに、受けるものだったのかと」





















そうなんだ・・・



大人になる程、わたくし達にとっての「愛」とは長い長い迷路



つかみどころがない永遠のテーマなのだ。



模索し、悩み、苦しみ



「愛」に翻弄され歩き続けている。

















少し、原点に返ってみる。








確かにわたくし達は生まれた瞬間から愛を受けて生きてきた。



どんな人もこの世に生まれた時から、おむつを換えてもらい、ミルクを与えてもらいながら



生きてきた。








泣くことしか出来なかったのに。










訴える手段は、全て泣くことから始まって



関わる全ての人達に試行錯誤させながら、これまで生きてきた。











人間は、泣くことから始まったのだから



もしかしたら



大切な事はいつも「泣きたい」気持ちで見つめているのかも知れない。


















受ける側にも、与える側にも


「無償の愛」を感じる心があるとすれば


人間が泣いて訴えることしか出来ず、育ててもらった(育てた)その期間までを



言うような気がしてならない。








「無償」は「無傷」と同じで


痛みの感情(=泣きたい気持ち)は伴わない、そんな気がする。


だから、痛みを伴わない感情


それが無償の愛だと思う。










例えば・・・生まれたての赤ちゃんを必死で育てる姿



動物と暮らしていく中で芽生える心。


そこは愛に溢れ、打算も駆け引きもない無償の愛が存在していると思う。









けれど・・・わたくし達が大人になってから感じる愛は


大抵痛い。


愛が深ければ、相手を干渉したくなるのが常だ。


親子関係然り。恋人関係、夫婦関係然り。













人は自分の経験上、気持ちが移ろい易いことも知っているし


心がグラグラ揺れることも分かっているし


自分の判断が正しいのかどうかも、本当の所は分からない。


日頃の自分さえ持て余し気味なのに


愛が占める位置はあまりに大きくて、途方に暮れるのが常だと思う。





















今の時代、パソコンで気になる言葉に検索を掛ければ


瞬時に自分に見合う文章を探せる世の中だ。









本屋を巡れば


悩みの解決になりそうなタイトルであふれている。








読んで解決したような気がする自分。


それなのに、自分の体験の前では


それらの言葉は他人の体験止まりだったことに呆然とする。


わたくし達は、その都度何度も立ち止まり、行き場を失くすような心になってしまう。






















「恋愛」としての「愛」を綴るなら











近くにいる程、すれ違うことが、通じ合わないことが情けなくなることがある。


離れてしまうと、もう元には戻れない気がして躊躇してしまう。


奪い合っても、幸せになれるかどうか不安で心はいつも揺れている。








心は、振り子のように動くのだ、いつも、いつも。


その都度、愛も一緒に揺れている。











もう一度記す。





人間は、泣くことから始まったのだから


もしかしたら



大切な事はいつも「泣きたい」気持ちで見つめているのかも知れない。



























泣きたい気持ちで見つめる相手は、あなたの心を揺さぶったのだから



大切な存在であることには間違いない。







相手の心を知ろうとして悩んでいるのだから、大好きな人なんだと思う。







その人に出逢わなかったら、あなたは今頃どうしていただろう。


けれども、過去の人生に「もしも」はない。



もしも出逢わなければ、ここまで苦しんでいなかったかも知れないけれど


あなたはその人と出逢ってしまった。










偶然なんかじゃない、二人が歩いた道がどこかで一つに交わったから


出逢えたのだ。


他の誰でもない、ここにいるあなたと。


それはほとんど奇跡に近い必然だと思う。







あなたにしか巡ってこなかった奇跡を、どうか大切にして下さい。


結果がどうであれ


泣きたくなる気持ちで相手を見つめたことに、後悔はしないで下さい。








あなたは生まれた時から、その家庭にしかない愛を与えられて


生きてきた。


そして自分の真心で人を愛し


あなたにしかない人生を歩いています。







命尽きる日まで、あなたはあなたの人生を歩いていくのです。


歩いている限り、道は果てしなく続いていきます。


きっとあなたは今までそうしてきたように、体中に愛を持って


これからも色々な人達に出逢うでしょう。






挨拶だけで終わる人、世間話で終わる人、仲間になる人、愛してしまう人。


人生の途中にいるあなたには、沢山の人が目に飛び込んできます。







愛の種類も形式も、一つだけでは決してない。


人間の数だけ、愛の価値観も沢山存在しています。


だから多くの人々が実に様々な愛に翻弄され、悩んでいる途中であることも


忘れないでいて下さい。







結婚してもゴールではありません。


ほとんど農作業のように耕さなければ、どんな生活も枯れ果ててしまいます。


「幸せ」は地道な生活の中で芽生え、それを大きな形にするには


ひたすら育てていくしかありません。









生まれた時から、あなたは愛を受けていた。


だからあなたの存在そのものが愛です。






あなたは自分自身の人生を耕してきたのです、どんな時も。


いじめにあった日もあるかも知れない。


人の言葉に傷つき、泣いた日も沢山あったかも知れない。


でも耕すことを忘れなかったから、あなたは今を生きています。


愛はあなたと共にあったことを、忘れないでいて下さい。







そう、だからあなたが記していたように


生きることの全てが「愛」で始まって「愛」で終わるのが


人生だろうと思います。