ルーツを訪ねて♪ | モカ族一家のワン⭐︎モモな日々♪

モカ族一家のワン⭐︎モモな日々♪

モカ族のチワワっ子達+トイプードル+フクロモモンガとの楽しい暮らしと、てんやわんやな日々の日記です♪



わーい♪ 休みだ、休みだ о(ж>▽<)y ☆



・・・・



あら・・・よく考えるとお盆休みでしたわ ( ̄ー ̄;



お盆と言えば、ご先祖様を敬わなければ。





我がモカ族、わたくしが父親を亡くしてることをお話し致しましたが



がっちゃまん酋長の父上も、既にこの世の方ではございません。




共に酒好きだった両父上、今頃帰宅して酒を酌み交わし



酔っ払いじーさん同士、その辺りで寝っ転がってるに違いない ( ̄_ ̄ i)



我が酋長が、邪魔してなければいいんですけど。











さて、お盆ということもありますし



前回の「ルーツを訪ねる旅」について、お話し致しましょう。





しかしながら、今回は少々退屈なお話しにございます ( ̄ー ̄;





そして、わたくしの考えを含め随分長い文章になることに



何卒最後までお付き合いを頂ければ・・・と願っております。






ヒントで 「犬神家の一族」 と書きましたが



今回宇佐に行きたいと言い出した我が母は



その旧姓を 「大神(おおがみ)」 と申します。






ことの発端は数年前に、親族が「大神家々譜」という冊子を作成しまして



「当 大神家一族の先祖は宇佐八幡宮の神官なり と言い伝えあり・・云々」



と、難しいお話が続く訳なのですが



ここで 大神比義 という重要人物が登場します。






まず宇佐八幡宮については




●全国に4万余りある八幡様の総本宮


●全国に17社ある勅祭(天皇のお使いをお迎えする)の大社


●伊勢神宮につぐ「第2の宗廟(そうびょう)」




宇佐神宮は奈良時代の神亀2年(725)に


現在地に迎えられたと伝えられます。


現建物は、安政2年(1855)から文久元年(1861)の間に造替


昭和60年にも修理されました。







↑ 宇佐神宮 二の御殿に参拝する母











大神比義については




八幡信仰(応神八幡神の信仰)を完成したのは


大神比義であるから、宇佐八幡宮には大神比義は


下宮に祀られている。


それは天台山の天台大師のような存在である。







字が小さくて分かりづらいですが


比義は下宮の一之御殿に祀られています。





↑下宮に参拝する母





もし、難しいお話に興味のある方は、こちらをご参照下さい。



宇佐神宮に関しては こちら


大神氏については こちら







どんな先祖があったにせよ、私達のこの体には


相当数の先祖の血が流れています。




立派な方もいたでしょう。


「そちも悪やのぅ・・・」というような方、長命だった方、短命だった方。


健康だった方、生涯病気に苦しんだ方。





しかしながら、どんな方でも1名でも欠けてしまったら


私達は、まずこの世には存在していないことになります。


いえ、もしかしたら魂だけは一緒でも、この体や容姿は


確実に存在していません。








いつの時代に生まれたかにより、人生も変わるでしょう。


ほんの60数年前まで、日本は戦争もしていた。


100年以上前で振り返れば、刀を持った武士も歩いていたり


お殿様、お姫様も存在していた訳です。









時折、この体の一部が昔の何かを覚えている気がする。


知らない場所なのに、見たことがある風景のように思える。


会った事がないはずの、目の前の人が妙に懐かしい気がする。


何気に掛けられた言葉に、魂が震えるような想いになることがある。









一度きりの人生ながら、この体には様々な記憶を持った先祖がいる。


だから私達は、今を生きる不思議さに時折想いをはせる必要もある。


この世に誕生したという事は、何という深い縁なのだろう。





今を生きていることは必然なのだ。


そして、我々の祖先がそうであったように


いつか死にゆくことも必然なのだ。









だから、今を生きる。


とにかく、命尽きるまで生きる。






私達には魂があるのだから、人との触れ合いも大事にする。


その人は、以前先祖がどこかでお世話になった末裔かも知れない。


昔の先祖の恩を、今、その人に返しているのかも知れない。


先祖が果たせなかった事を


今、もしかしたら自然にやりとりしているのかも知れない。





人は、縁がある人としか出逢えないものだ。









世界の人口がどんな数であろうと


人が一生をかけて関りあえる人数は、そう大したものではない。




そんな中で出逢えた奇跡を大事にする。


「今」を生きてることに必ず意味がある。





あなたがあと一年遅く生まれてきていたら、今の同級生とも


出逢えていない。関りあえていない。









私の人生を振り返っても、出逢いと別れはある日突然やってきた。



出逢いは、いつも有難く尊い。


しかし、別れだけは到底受容れ難い。





私は40代になったばかりだが、知っている同級生だけでも


亡くなった別れは片手では足りない。


今の、この時代にだ。





その度、傷つきしばらく立ち直れなかった。


中には親友が2人も含まれている。


どう考えていいか分からなかった。


寿命というには、あまりにも理不尽で短すぎる。





彼女等が何かを果たし、その人生を終えたのかと言えば


絶対にそうとは思えない。


死に際に、どう自分を受容れたのか考えるほどに辛い。





親友死して、10年以上が経つ。


そして、私は病を得ながらもこの時代を生きている。










彼女等は、私に無いものを与えてくれた。


優しさ、笑顔、そして時には自分と闘う勇気。


そして、別れて10年以上経つ今でも、私の中で生き続け


言葉を掛けてくれている。





不器用ながらも書き続けたい私がいるのは


「今」を生きてる証にしたいからかも知れない。


私の中で生き続ける、彼女等の言葉を忘れずにいたいのかも知れない。









私達がこうして今、インターネット上や携帯電話を駆使し


自分を表現したり、何かを伝える術を持った奇跡に感謝しよう。


それもまた「今」を生きている証になるのだろう。









少し異次元な佇まいに身を置きながら


私達は遥か彼方の先祖に想いを馳せる。








この地に立ち、先頭に立って何かを守り続けた先祖。

彼等の生きた証が、ここにある。







そして、彼等の末裔である私達も

何かを残しながら今を生きている。




何百年後、私達の末裔がこの地に立つ奇跡を望みつつ


宇佐の地に別れを告げた。