母なる木 | モカ族一家のワン⭐︎モモな日々♪

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モカ族のチワワっ子達+トイプードル+フクロモモンガとの楽しい暮らしと、てんやわんやな日々の日記です♪



体の弱い私が、一年に一度訪れる場所。








この桜の木は、私にとっての「母なる木」 なのです。





正面からだと恥ずかしいので、裏に回り、ちょっとばかり抱きついて


パワーをもらってます。


花咲く時の為にパワーを蓄えていたかのような桜が、一番好きです。










小学二年の冬休みに、熱湯をひっかぶって左足に大ヤケドを負いました。


瞬間、私の表面の皮膚はあっと言う間にチリチリと散らばりました。


無数の針に突き刺されたような痛みが


その時から付きまとうことになったのです。





この時、いろんな事情や偶然が重なり


三つ違いの弟も同じ足にヤケドを負って、一緒に入院しました。








弟は立った状態で、私は座った状態で熱湯をかぶったので


どちらかと言うと、私の方が重傷でした。





小学二年の時に、どんな勉強をしていたかも思い出せない私です


この時の光景や入院生活はよく覚えています。





もう30年以上も前の事で、田舎の病院ですから


入院生活は不自由きわまりないものでした


母が私達の間で布団を敷いて寝泊りする生活です。


暖房設備も無いので、ストーブを持参しました。





油物は一切摂れません。


私達はホットケーキが食べたい、ラーメンが食べたいなどと言って


よく母を困らせていました。






足はいつも膿んでいて、流れる膿に治療の光線が当てられると


かなりの激痛で、その度に泣いていました。


そばで見ていた母も、毎日が地獄だったかも知れません。





一ヶ月後、皮膚が真っ黒になり、それを剥がしていく作業が始まりました。


無理に剥がすのは禁止だったので


自然と剥がれるのを待ちながらの作業です。


剥がれると、とてもキレイな皮膚が出てきて大喜びしていました。





けれど、私達は皮膚が薄い上に、弱かったので


お医者様から「ケロイドとして残るかもしれません」と宣告されていました。





着る物も木綿を心掛けていましたが


割と早い時期にケロイドになりました。





母はとても気にして、サポーターを買ってくれたりでしたが


一度も気にしたことがなかった私は


ズルズルと落ちてくるサポーターが面倒で


あまり付けることがありませんでした。





男の子は「ヤケドでジューッ!」などと言いながら


からかったりしてましたけど


女の子はそんな私をよくかばってくれていました。




痛みを共にした弟、介護の限りを尽くしてくれた母


入院の間、一人で暮らしてきた父、親戚の心配を思うと


そんなことは気にならない強さが心の奥底であったのかも知れません。










小さな花びらが集まり、満開で大きく見える桜の木。




私達も生きてる年数の分だけ、小さな痛みや喜びが無数に集まって


人生を歩いています。





今回のお正月に、弟が当時の話しをして


「悪いのは俺やけん、一生モカちゃんに申し訳ないと思って


 生きていくやろう」


と言いました。





いや、弟よ、これは私達の運命だったのさ。


同じ両親から生まれて、あの時にそうなって


いろんな愛情や人の心を感じながら


私達は育ってきたのさ。


あれはきっと必然の出来事だよ。









いろんな想いも毎年散っていくかのように思える。


なのにあなたは随分古い想いを引きずって生きてきたのだね。


でもそんな経験ですら、私の心の中で栄養として蓄えられたのだよ。





どんなに寒い冬の時も


暖かい春が来ることを信じて生きているんだねぇ。


きっと経験という栄養が、全ての木を立派にするんだよ。







あと数ヵ月後


母なる木に、今年も私は笑顔で会いに行くだろう。