この病院の院長は父と旧制中学時代の同級生で当時の外地たる台湾の医学校に進学して医師になられたものと聞いていました。
院長本人による診療は入院した初日と病室への隔日ごとの病室への往診と退院直前しかなかったような気がします。彼ははたして私の仮病を見破っていたのでしょうか?そうでなければヤブ医者ですね。
病室へは1日ごとに院長と副院長が来ていました。ここは児童神経等の分野ではその副院長はけっこう知られていたようで2階の棟はすべて年下の幼稚園から小学生ぐらいの年齢の集団を任されていたようです。今にして思えばダウン症候群の子供たちも少なからずいたのではないでしょうか。
二階に娯楽室があった関係で音楽(ステレオ)を聴きによくその小児病棟を通過しましたが、動静ともどもに素っ裸で徘徊する光景は異様でした。当時の私には弱者を思いやり同苦する意識などありませんでした。また布団の臭いかもしれませんが異臭がただよい忍耐を要する通過だったような気がします。
さて前欄で述べた自身のカルテの無断閲覧ですが、何か症状は「強迫性何とやら」といかめしい病名が付いていましたね。最初から仮病の意識がありましたから全然ショックではありませんでしたが、看護婦さんたちは私に気を使われたのか自身の責任のことでなのか定かではありませんが狼狽振りはよく覚えていますね。
「これは僕の病名ですか?」
「一応、制度でそのような名称をつけるだけだから気にしないでね」
「僕はすごい病気なのですね・・・」
といったようなやり取りがあったような気がします。
看護婦さんたちへは罪なことですが退屈だったので病名を見てショックを受けた小芝居はしたような気がします。
ただ、病気や病症は営利事業主たる医者が作るものとの教訓は一中学生ながら得たような気もします。