門司城を調べるシリーズ。
門司城の築城を命じたのは平知盛。檀ノ浦の戦いにおける平家の総大将です。
門司城の築城は…1185年。細かい月日は分かりませんでしたが、平知盛が檀ノ浦の戦いで命を落とすことを考えると、檀ノ浦の戦いに備えて築城されたと考えるのが自然です。
屋島の戦いから檀ノ浦の戦いまで1ヶ月くらいあるんですよね。源氏側が海戦を得意とする平家に対抗するために訓練や戦力の増強をしていたそうですが、平原側も門司城の築城も含めて準備をしていたのでしょうかね?
これですね、私も今回の【門司城調べるシリーズ】のために、一般的な檀ノ浦の戦いが書かれた歴史の本(小学生や中学校の教育用みたいなヤツ)や関連する歴史ブログさんに書かれている記事等は読んでいるのですが、檀ノ浦の戦いに関連ついた門司城の記述は全く見当たらなかったのですよ。
だから「…準備をしていたのでしょうかね?」という想像しか書けないのです。
ただ、この時点で一つ疑問を感じます。
檀ノ浦の戦いの直前、平家は彦島に拠点を構えています。
この理由は、一ノ谷・屋島の戦いに敗れ、瀬戸内海に沿って退却していたからです。もう1つの理由は、すでに源頼朝の手が回っており九州側にも源氏の勢力がいたためです。
挟み撃ちされているような形で彦島に陣取るしかなかったわけです。
あれ?
門司も九州なんですが…。
門司はまだ源氏の勢力圏内ではなかったのでしょうか?
とりあえず、門司城跡に行ってきました。
ガンダム好きとしては【残党制圧】の話を詳しく調べたいところですが、【下総前司親房】なる人物を検索しても、門司城のこの文章しか出ないんですよね…。
誰なんだー!千葉県北部辺りを前に統治していた親房さんってことなのかしら?
あと、ここにもう一時代を加えるなら、先の大戦時代に陸軍の砲台と弾薬庫があった時代になるかしら。
まあ、そんな感じです。
門司城を極めようと思うと、色々とその時代時代の歴史的を背景を調べないといけませんね。
門司城そのものの情報が極端にないですから。
次回は、檀ノ浦の戦いの話か、門司城自体というか山城の話か、例の豊前志をネットで注文したので新情報が手に入ればそれを書きます。