門司城調べるシリーズを始めよう | 上条武術研究所

上条武術研究所

プロレス・サンボ・合気道を経験。
月刊秘伝読者。
○現在の活動
・自宅ジムを開放(不定期)
・武術系、介護系の同人誌制作

佐々木小次郎を追って岩国への遠征を終えまして、次は宮本武蔵の熊本に行こうかな~とか思っていますが、遠征はお金もかかりますので、基本は地元北九州での武術探訪をしていきます。


で、次は【門司城】を調べていきたいと思います。


テーマ・目標としては『門司城をバズらせる!』。

ここがポイントで、私が自分で調べて自分で納得!ではなく、バズらせることも一つの目標にします。


私が好きでやっているyoutubeの武術探訪シリーズですが、10~20再生とかで、自分だけが再生したカウントなんじゃないだろうか?というくらい、どの層にも興味を持たれていないことがわかります。

ついでに白石正一郎の動画だけ400再生までいっているのも謎です。

なので、その辺りも改善点として視野に入れながら動画を作りたいと思います、


ただ、私は門司城のことをよく知りません。

実は自分でも意外だったのですが、このブログの過去記事で門司城について詳しく書いたことはないんです。


というわけで、今回は最初の一歩目ということで、門司城の築城について調べたいと思います。



Wikipediaだと築城に関して…

『『豊前志』などの記述によれば、1185年元暦2年)に平知盛が家臣の紀井通資に命じて築いたという。』とあります。


◯豊前志…中津潘の国学者・渡辺重春が文久三年(1863年)に書いた豊前国についての本。年代が豊前と長州がやり合う直前なんですね。

敗走する豊前を記録に残そうとしたのでしょうか?それとも戦意高揚のためでしょうか?

で、写しが大分県立図書館にあるみたい。明治、昭和でも活字本として復刻している。


◯平知盛…平清盛の四男。檀ノ浦の戦いの平家の総大将で入水している。

一ノ谷の戦いで敗れて、九州へ到着。防衛体制を整えるために門司城を築城した…という感じですかね。


紀井通資…【きいみちすけ】と読む。ただ、ネットで調べても、門司城を築城した人とかしか出てきません。おそらく豊前志にだけ名前が登場する人物なのでしょう。

あと【資】を【すけ】と読むのは、地元のチェーン店・資さんうどん以外で初めて見ました。何か関係あるのだろうか…。なんかこのネタで『資さんうどんは平家の怨念か?』みたいなでっち上げ動画を作れそうですよね。


とりあえず、豊前志を手に入れようと思います。

しかし、買おうと思えばネット通販で買えることが、便利な世の中になったなと感じます。


あと、門司城を調べていて気になったことがありまして、同じ構図の写真がやたらあるんですよ。




たまたま、同じ写真をがコピペされて出回っているわけでもないんですよ。多くの公のメディアがこの構図なんですよ。
これも『門司城跡あるある』で「関門橋も構図に入れがち。」とか、『門司城跡を美しく写真に収める方法』とかで動画にできればと思います。

本日はこんな感じ。
次の休みに門司城築城の動画でも作ります。