これは「イレイザーヘッド」ネタバレ解説1の続きです。
メアリーの不在と赤ん坊の発熱
赤ん坊の世話に追われ夜も眠れない生活と、何の協力もしないヘンリーにブチ切れたメアリーは実家に帰ってしまいます。
帰り際に、ヘンリーのベッドを「押す」のが面白いですね。ベッドの下のスーツケースを取り出しているのだけど、ヘンリーにとっては不条理に責め立てられているようです。
苦しそうな赤ん坊の様子に、ヘンリーが体温を測ると37度。
見ると、赤ん坊の全身にブツブツの発疹が現れています。
ヘンリーはスチームを焚いて対処します。一応気にかけてはいるようですが、病院に連れて行く気はないようです。
ここでも、「赤ちゃんがかわいそう」という感覚より、ヘンリーの嫌悪感の方がむき出しになっています。
奇形や皮膚病、醜悪な病状への興味は、「エレファント・マン」や「デューン」に繋がっていくものです。
レディ・イン・ラジエーター
ベッドに横たわったヘンリーは、ラジエーターの中で壁が開き、ステージにライトが灯るのを見ます。
ステージ上には、両方の頬が膨れ上がった女が現れます。女はニコニコ笑いながら、ステージ上を左右にぎこちなく行き来します。
彼女はLady in the Radiatorとクレジットされています。演じるのはローレル・ニア。
この人はキャサリン・コールソンの友人で、俳優ではないようです。
ラジエーターはヘンリーにとってぬくもりの象徴。暖房器具なので、物理的にあったかい訳ですが。
そこから現れる女性は、まさにヘンリーを癒してくれる理想の存在であると言えます。
ステージに、いくつもの「胎児状の物体」が落ちてきます。ラジエーター・レディはニコニコしながら、その物体をブチっと踏み潰します。
ここで起きているのは、ヘンリーにとって理想の「夢の女性」が、ヘンリーにとっては穢らわしい「分娩の象徴」をブチブチと踏み潰してくれている…という「夢」ですね。
ヘンリーには、「赤ん坊が増えていくことの恐怖」があるようです。メアリーの家にいた多産の犬、この後の「ベッドから次々胎児が出てくるシーン」からも、それが伺えます。ラジエーターの中のレディは、そんな忌むべき赤ん坊を「退治してくれる」存在です。
また、それはヘンリーに「赤ん坊を殺すことを唆している」ようでもあります。
赤ん坊という悪夢に囚われてしまったヘンリーにとって、そこから脱出する手段は赤ん坊を殺すこと以外にないように思えてきます。それはもちろん、安易な現実逃避に過ぎないのですが。
レディはヘンリーの潜在意識の中にある現実逃避の心の具現化である、という言い方もできます。彼女はヘンリー自身であり、だから完璧な美女にはならず、醜いこぶを持っているのでしょう。
リンチ「ラジエーターの中の女性はひどい肌をしている。子供の頃にひどいニキビができちゃって、その痕を隠すためにパンケーキをこってり塗ってるんだと思う。だけど、内面こそが彼女の幸福の源なんだ。外見は問題じゃない」
レディの頬がぷっくり膨れているのは、化粧品の「パンケーキ」からの連想かもしれません。ほっぺに食べ物のパンケーキをくっつけちゃってる…という子供のようなギャグですね。
メアリー再び
カットが変わるとヘンリーはベッドの中にいて、隣にはメアリーが寝ています。
メアリーにしつこく押され、ヘンリーはベッドの端に追いやられてしまいます。
メアリーは眠りながら目を掻きむしります。
たまらずに起き上がったヘンリーは、ベッドの中にへその緒のような物体があるのに気づきます。
ズルズルと引き摺り出しては、不快そうに壁に叩きつけます。へその緒のような物体は、後から後から出てきます。
これはつまりメアリーと赤ん坊にまつわるヘンリーの悪夢。メアリーがいたら、この先もどんどん赤ん坊を産み落としていくんじゃないか…という恐怖と不安ですね。
これも悪夢めいたシーンで、夢か現実か曖昧です。
メアリーは実家に帰っていたはずなので、何の説明もなく隣に寝ているのは変ではあります。この次のシーンになると、彼女はまた消えていて、ヘンリーは「また実家に帰ったようだ」とか言っています。
この辺りではヘンリーはもはや、メアリーが家にいるんだかいないんだか分からなくなっているようです。
ワーム
観音開きの箱が開き、その中に隠されていたワームが生きているように動き出します。
短い芋虫のような、ヒルのような、蛆虫のようなワーム状の生物。シャクトリムシのように身をくねらせて移動します。
このシーンはクレイアニメーションで表現されています。
ワームは惑星の表面のような場所を這っていきます。穴を出入りするうちに、だんだん大きくなっていきます。
最後にワームは大きく変形して口を開き、視点はその口の中の暗闇に吸い込まれます。
穴の向こう側に、座っているヘンリーが見えます。
未完成の「ガーデンバック」のヒントから、ワームはヘンリーの浮気心の象徴なのでしょう。まさに「浮気の虫」ですね。
これはヘンリーが隠し持っていた浮気心が成長し、ヘンリーを飲み込んでしまった…というシーンなのでしょう。
従って、この次のシーンは隣の部屋の美女との不倫のシーンということになります。
隣の女
隣の部屋の美女が「鍵を忘れちゃったの」と訪ねてきて、「泊めてくれる?」とヘンリーを誘惑します。
ヘンリーは赤ん坊の口をふさぎ、女の目から隠そうとします。
ヘンリーと女はベッドの白い水たまりの中で抱き合います。二人は水たまりに沈んでいき、最後には泡立つ白い水だけになります。
そして、惑星が現れます。
リンチとペギーの離婚の原因はリンチの不倫だったようなので…このシーンはリンチの自己言及かもしれません。
「イレイザーヘッド」からは妻であるメアリーの不快さと、美女との不倫の抗えなさが漂ってくるので、これはリンチが正直であるということなのか、あるいは言い訳なのか、皮肉的なユーモアなのか。
どちらにせよ、最終的にはヘンリーは酷い目にあうことになるのですが。
また、ヘンリーと女のベッドインは白い水溜まりの中で行われ、その先には冒頭に出てきた「惑星」があります。
惑星は、分娩と出産をつかさどり、赤ん坊を送り出した場所です。性行為は出産という悪夢につながるという、ヘンリーの強迫観念が伺えます。
イン・ヘヴン
ラジエーター・レディがステージに立ち、「In Heaven」を歌います。
In Heaven
Everything is fine
In Heaven
Everything is fine
In Heaven
Everything is fine
You got your good thing
And I've got mine
天国ではすべてがうまくいく
天国ではすべてがうまくいく
天国ではすべてがうまくいく
あなたはあなたの悦びを
そして私もまた
「In Heaven」はデヴィッド・リンチ作詞、ピーター・アイヴァース作曲。
歌もピーター・アイヴァースで、ラジエーター・レディは口パクです。
ピーター・アイヴァースは1969年デビューのミュージシャン。前衛的なジャズやフォーク、ブルースをミックスさせたような音楽性で、70年代にかけて3枚のアルバムをリリースしています。1983年、未解決の殺人事件で殺されました。
「In Heaven」はものすごくストレートに、ヘンリーに自殺を勧める歌ですね。究極の現実逃避。
メアリーとの関係は悪夢のような赤ん坊につながり、隣の女との関係もいずれ惑星で行われる出産という悪夢につながることが示唆される。そんな絶望にあっては、自殺以外に解決策はない…というヘンリーの深層の思いが、死への甘い誘いという形で現れてくる。
ラジエーター・レディが手を差し伸べ、ヘンリーはその手を取ろうとする。これはヘンリーが、自分の中の自殺衝動に負けようとしているということなのでしょう。
光に包まれてレディは消え、代わりに惑星の男が現れます。
惑星の男は怒ったような顔をしています。彼はヘンリーの生を司どる機械を操作している男でした。
彼は、ヘンリーが自殺衝動に負けて人生を投げ出そうとしていることに怒っている。ヘンリーを生へと引き戻す存在ですね。
落ちる頭
風が吹いてきて、床に散らばった踏み潰された胎児を押し流していく。
カーテンの奥から、枯れ枝のオブジェが現れます。
それは、ヘンリーの部屋にあった盛り土に枯れ枝のオブジェを大きくしたものであるように見えます。
動揺したヘンリーはいつものように手すりをつかんで落ち着こうとしますが、ミミズのような物体が体内から突き出て、頭を吹っ飛ばしてしまいます。
ヘンリーの頭は床に転がり、首のない体は手すりをくるくる回し続けます。
枯れ枝のオブジェの土台部分から血が流れ出し、床の頭の周りに血溜まりができます。
ヘンリーの体からは赤ん坊の頭が生えてきます。
ヘンリーの頭は血溜まりの中に沈み、道端に落ちて割れ、脳が露出します。
血を流す枯れ枝のオブジェは、やはり短編「グランドマザー」(1970)を連想させます。
「グランドマザー」では、土に種を植えて水をやるとおばあさんが生えてきます。お父さんもお母さんも少年も土から生えてくるんだけど。
その土から血がドクドク流れてるということは、これは流産してるということですね。
ヘンリーの頭を吹っ飛ばすミミズ状の物体はワームということになりますね。
浮気の虫に、脳を(理性を)吹っ飛ばされた状態。
浮気をする愚かな頭は床に転がり、体は赤ん坊に乗っ取られる。
総じて、これは性欲に捉われて考えのない行為をやってしまう男の愚かさと、その結果として起こるぐちょぐちょヌメヌメした「生殖・分娩・出産」というもの。
その対比が、ある種のブラックな戯画として描かれているのだと思われます。
イレイザーヘッド
少年(トーマス・コールソン)が走ってきて、道端に落ちたヘンリーの頭を拾って駆けていきます。ホームレスの老人がそれを見ています。
少年は消しゴム工場にやって来ます。少年の持ってきた頭を見た店番のポール(ダーウィン・ジョストン)はボス(ニール・モラン)を呼び、ボスは少年を奥の工場へと連れていきます。
機械のオペレーター(ハル・ランドン・Jr.)はヘンリーの脳からチューブ状の組織を取り、鉛筆と共に機械にセットします。
機械が作動すると、端に消しゴムがついた鉛筆ができていきます。
オペレーターは消しゴムの出来栄えを確かめ、合格と伝えます。ボスは少年に金を払います。
オペレーターが机を払うと、消しゴムのカスが虚空へ飛んでいきます。
トンボ鉛筆のサイトによれば、消しゴム付き鉛筆を発明したのはアメリカのハイマン・リップマン氏だそうです。1858年のことでした。
リップマン氏は画家でした。デッサン中にすぐ消しゴムがなくなることにうんざりした彼は、鉛筆と消しゴムを一体化するアイデアを考えつきます。結果、リップマン氏は画家としては大成しませんでしたが、消しゴム付き鉛筆で一儲けすることになります。
コントというか、一幕のギャグのようなシーンですね。
一人の男の人生が、鉛筆にくっついた消しゴムになって、取るに足らない消しゴムのカスとして消えていく…。
笑えもするし、ペーソスを感じる場面でもあります。
またこれは、人間の知能の座である脳が、オートメーション化された機械にかけられて、均一された事務用品に成り果てる転落の図式です。
工場機械が支配する抑圧的な世界では、人の尊厳はならされて、つまらない既製品にされてしまう。
ただ、ヘンリーはそもそも頭脳を大したことに使っていない…映画を通してまったく何もしていない。そんな人間は、そもそも消しゴム頭みたいなものである…という皮肉かもしれません。
嘲笑と破滅
ベッドの上で頭を抱えるヘンリー。一人きりで、隣の女はいません。わざわざ廊下へ見に行くけど、部屋にもいないようです。
そんなヘンリーを嘲笑うように、赤ん坊が笑い声をあげます。
気配を感じて慌ててドアを開けたヘンリーですが、女は中年男と部屋に入っていきます。
隣の女の訪問は事実だったのでしょうか? 何の取り柄もない冴えないヘンリーに、美女が理由もなく誘惑してくる…というのは、いかにも都合のいいファンタジーに見えます。
ヘンリーは引き出しからハサミを出して、赤ん坊の包帯を切り裂きます。
赤ん坊には皮膚がなく、内臓が丸出し。ヘンリーは赤ん坊の心臓にハサミを突き立てます。
白い泡が吹き出し、電気は点滅し、コンセントからは火花が吹き出します。
赤ん坊の首が伸びて、巨大化した頭がヘンリーに迫ります。
この破滅は「マルホランド・ドライブ」で繰り返されるものを連想させます。
嘲笑が破滅の引き金になるのは「マルホランド・ドライブ」と同じですね。
赤ん坊が本当に嘲笑うとは思えず、どこまでもヘンリーの中の勝手な劣等感の表れなのでしょう。そこも、「存在しないはずの両親の嘲笑」で壊れてしまう「マルホランド・ドライブ」のダイアンと同じです。
「マルホランド・ドライブ」のダイアンは自殺、ヘンリーは赤ん坊を殺すという違いはありますが、どちらも理性を失った果ての自滅行為であることは同じです。
どちらも、直接的な原因は外部よりむしろ、彼ら自身の内部にあります。
自分の中に他者の嘲笑を勝手に想像して、それに耐えられなくなってしまう。
人というのは、往々にしてそうなのかもしれません。自分を本当に痛めつけるのは他人ではなく、自分自身であるということ。
当初は、赤ん坊がヘンリーを飲み込んでしまうラストシーンが予定されていたようです。
巨大化して迫ってくる赤ん坊の頭がその代わりになりましたが、ニュアンスは同じ…でしょうね。
赤ん坊をうとましく思うあまり、逆に赤ん坊に心のすべてを奪われてしまい、赤ん坊に支配されたようになってしまう。
ラストシーン
惑星が破裂し、大きな暗い穴が開きます。
機械はショートして、火花を吹いています。惑星の男はレバーを必死で操作していますが、どうにもならないようです。
すべては光に覆われます。光の中で、ヘンリーはラジエーター・レディと抱き合います。
これは、人の精神が崩壊する過程の映像化…とでも言えるかと思います。
赤ん坊殺しという自分自身の罪に慄いて、ヘンリーの精神は許容量を超えてしまう。現実処理能力を失って、「世界」から切り離されてしまう…。
「イレイザーヘッド」の世界はそもそも全部がヘンリーの精神世界だったので、これは世界の終わり。「電気」は尽き、世界は持続できなくなります。
ラジエーター・レディと抱き合って、ヘンリーは天国へ。はたして、そこですべてが上手くいくかどうかは、怪しいですが…。
映画が主人公の破滅で締めくくられるのは、既に触れた「マルホランド・ドライブ」の他、「エレファント・マン」「ツイン・ピークス」「ロスト・ハイウェイ」「インランド・エンパイア」まで共通するところです。
いずれも悲しく混乱した破滅であり、それでいてそれが単なる終わりとも言い切れないような、スピリチュアルな救いの存在も示唆するものになっています。そんな精神も、「イレイザーヘッド」が原点にあるといえそうです。
ちなみに…「イレイザーヘッド」はリンチの若き日の盟友であるキャサリン・コールソンが全面的にバックアップした作品なんですが、2017年の「ツイン・ピークス The Return」には、彼女が演じた丸太おばさんの死を追悼するエピソードがあります。
コールソンは病をおしての出演で、ドラマの収録後間もなく亡くなっています。リンチの友情を感じて感動的なので、こちらも機会あれば観ていただきたいです。