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デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション(2024 日本)
アニメーションディレクター:黒川智之
脚本:吉田玲子
原作:浅野いにお
企画/プロデュース:新井修平
キャラクターデザイン/総作画監督:伊東伸高
編集:黒澤雅之
音楽:梅林太郎
主題歌:ano、幾多りら
アニメーション制作:Production +h.
出演:幾田りら、あの、種崎敦美、島袋美由利、大木咲絵子、和氣あず未、白石涼子、入野自由、内山昂輝
①前後編連続鑑賞!
巨大な宇宙船が東京上空に出現した「8月31日」から3年。女子高生の門出(幾田りら)と鳳蘭(あの)は友達と共に、変わらない日常生活を送っていましたが…。
浅野いにおの原作漫画を前後編で映画化。
浅野いにお作品のアニメ化は意外にもこれが初めてなんですね。実写化はあったけどアニメはなかった。
アニメに相応しい、宇宙人の侵略と世界の終わりを個人の日常と重ねて描く“セカイ系”の物語です。
前章をやってる段階ではタイミングを逃していたんですが、後章が公開されたタイミングで急に観たくなって前章を鑑賞。めちゃ面白くて、そのまま続けて後章も観ました。
結果的ですが、ベストな観方だった気がします。
後章公開後も前章を上映してくれるのはありがたいですね。
基本的にひとつながりの物語で、一気見推奨かと思うのですが。
前後編で割とテイストが変わっている側面もあります。
前章は門出、後章は鳳蘭の物語で、焦点の当たる主人公は前後編でがらりと変わる印象です。
前章は高校編で後章は大学編。前章は日常編で後章は滅亡カタストロフ編…とも言えます。
一気に観たくなる牽引力ある長編でありつつ、上映時間の都合による前後編という形式も、上手く作品に活かしていた印象を受けました。
②軽快な会話の面白さ
本作の面白さは、まずはやはり門出と鳳蘭をはじめとした女子高生たち(後章では女子大生たち)の生き生きとした会話の魅力。
常にふざけていたり、毒舌だったり、でも同時に真剣だったり、軽くて重くて切実だったりする、大人と子供の間の年齢特有の空気感。
それが軽快で面白くて、そしてまた切なくて、ずっと彼女たちのじゃれ合いを見ていたい気分になりました。
この原作者らしく、彼女たちの描写は非常に現代的。
ネットゲームに没頭し、ネットスラングを多用し、陰謀論とか中二病的発言を頻発する。
でも、それを「わかって」やっているんですよね。基本的に頭がいい。
宇宙船が浮かび、新型爆弾の影響で東京が汚染され、異星人と政府が暗躍する「何が本当かわからない」世の中で、戸惑いながらも流されず、シニカルに軽やかに対峙していく少女たち。
しがらみと立場に縛られる大人たちに対して、いちばんちゃんと世界が見えているのは子供たちだったりするんですよね。
門出を演じた幾田りら、鳳蘭を演じたあの、その二人が凄かったですね。二人とも本職の声優じゃないのに、なんでこんなに上手いんだ。
特にあのちゃんスゴイと思いました。「あのちゃん」というクセの強いいつものキャラを崩さないまま、でも映画の中の鳳蘭という独特の少女のキャラクターにちゃんとなってる。
プロの声優でも、簡単にできることじゃないよ。本当に、多才ぶりが凄いと感じました。
③勝手に自滅する世界
宇宙船がやって来て、東京はいろいろと大変なことになっていくのだけど。
でも、劇中で起こる悲劇的なことは、実はすべて政府と米軍のせいなんですよね。
8.31で爆弾落としたのは米軍だし。
劇中でも、ただ飛んでるだけの宇宙船を撃ち落として、多大な被害を出してるのは日本政府です。
素直に映画を見る限り、侵略者側は別に何もやってない。そもそも侵略すらしていない。
本来は国民を守るはずの政府や行政が、国民を苦しめる方向ばかりに行動する。
その責任は曖昧で、陰謀論やネット上のデマなどで何が本当か分かりにくくなっている。
そして、その裏には企業の利害関係があって、国の行動は国民の安全ではなく、企業倫理の経済と契約で決まっていく。
そして最後の最後には、事情を知ってる上級国民だけが国を捨てて逃げ出す。
…という本作で描かれるどうしようもない様相は、見事に現代の日本の姿を映したものになっていると感じます。
何と言うか、意味のわからない閉塞感。誰も得する人がいないのに、みんなでせえので破滅へ突き進んでいく、そんな感じ。
子供の姿をした弱そうな侵略者たちが虐殺されていく惨たらしさで、そんな世界の理不尽が可視化されていく。
震災や原発事故、コロナ、そして相次ぐ戦争などで実感させられた、意外なくらいの世界の脆さ。本作の背景からは、そういうものが確かに感じられます。
④セカイ系の物語
そして、本作はセカイ系の物語でもあります。
主人公の主観的な思いや動機が、世界の存亡と直結するセカイ系。
世界を救うという社会正義ではなく、目の前のあなたを救うことが、何よりも大事なこととして優先される。
時には世界と個人が天秤にかけられ、個人の方が選ばれることもある。
世界が滅ぶかどうかよりも、たった一人の大事な友達を救うことを選ぶ。
それはやはり、しがらみに縛られた大人には決してできない選択で。
倫理的にも危うかったり、合理的でもない訳だけど、それが選べることこそが若さの特権でもあるんですよね。
本作では、門出と鳳蘭の過去、現在の世界線とは違っているように見える過去が描かれ、それが何なのかがミステリ的な引きになっていき、最後に上記のセカイ系に行き着く訳ですが。
前後編の長さでもなおかつ、そこの部分はやや情報過多で、駆け足に感じる部分がありました。
パラレルワールドはさておき、門出と鳳蘭、特に門出の人物像が、過去と現在で断ち切れてしまっているように感じる。
思春期の少女は、それほどまでに短期間で別人のように変わってしまう…ということなのかもしれないですが。
後編には鳳蘭の恋愛話も出てきて、かなり要素が多い感は否めません。
長い原作を2本の映画に落とし込む上で、そこがやや難しいところだったかもしれないですね。
⑤F先生のSFの味
劇中作品として、怠け者のデベ子を助けるために四次元ポシェットから内緒道具を出す「イソベやん」が登場します。好物は磯部焼き。
本作は藤子・F・不二雄先生へのオマージュが濃厚です。そういえばドラえもんは初登場時おもち食べてたな。
「目的不明の宇宙船が東京上空に浮かび、それが日常となって誰も気にしなくなっている」という状況は、SF短編の「いけにえ」ですね。
「いけにえ」の異星人が終始謎めいていて、最後まで目的がわからないのに対して、本作の異星人はずっと人間的な存在です。
高いテクノロジーを持ってるにも関わらず、地球人より弱っちくて、怖さも神秘性もないかわいそうな立場になってしまいます。
宇宙人の謎の要求でいけにえにされかけた主人公は上のように主張しますが、政府の男に正論で反論されて黙ってしまいます。
それに対して、更に「それでも友達が”絶対”なんだ!」と言い切るのが本作ですね。
スーパーパワーを手に入れて正義の味方になった門出が暴走してしまうのは「ウルトラ・スーパー・デラックスマン」。
力を手に入れた人間がそれに溺れて失敗する悲喜劇は、「ドラえもん」の基本的なフォーマットでもあります。いわばF先生のメインモチーフ。
個人の運命を変えるために過去を改変するのも「ドラえもん」ですね。
もしドラえもんがのび太を助けて過去を変えたことで、世界が滅亡する未来が導かれたら…という“もしもの世界”が本作であるとも言えます。
そんなふうに、シンプルで短いギャグストーリーの中に、人間の業が導く非喜劇を描き出すのがF先生らしさですね。
本作の中でも、確かに生きている。現代的な描写の中でも古びない、F先生のテーマ設定の普遍さをあらためて感じさせられます。
「セカイ系の要素」も、確かに含まれていると思う…確かに。
「いけにえ」収録。
「ウルトラ・スーパー・デラックスマン」収録。