EVANGELION:3.0+1.0 THRICE UPON A TIME(2021 日本)

総監督/脚本/企画/原作:庵野秀明

監督:鶴巻和哉、中山勝一、前田真宏

製作総指揮:庵野秀明、緒方智幸

絵コンテ:鶴巻和哉、前田真宏、庵野秀明

総作画監督:錦織敦史

作画監督:井関修一、金世俊、浅野直之、田中将賀、新井浩一

デザインワークス:山下いくと、渭原敏明、コヤマシゲト、安野モヨコ、高倉武史、渡部隆

主題歌:宇多田ヒカル

音楽:鷺巣詩郎

出演:緒方恵美、林原めぐみ、宮村優子、坂本真綾、三石琴乃、山口由里子、石田彰、立木文彦、清川元夢、関智一、岩永哲哉、岩男潤子、長沢美樹、子安武人、優希比呂、大塚明夫、沢城みゆき、大原さやか、伊瀬茉莉也、勝杏里、山寺宏一、内山昂輝

 

①大団円!

公開初日の月曜日。IMAX版で観てきました。

とにかく情報量が多い! 多すぎて、なかなか頭がまとまらない…。

これからいろいろ書いていこうと思うんですが、とりあえずまずは何より、面白かったですね〜。

アニメーションとしてのレベルは、世界最高峰じゃないでしょうか。

観ていて気持ちがいい。めくるめくような映像の連続に、本当に目が楽しい。

見たことのない映像。そして動きのダイナミズム。アニメーションの本来の快感が盛大にあります。

 

それに、こだわりまくったディテールの面白さ。

既知の現象をスケールを広げて展開するのではなくて、まだ誰も知らない現象を描いていく。

特筆すべきは、それでいて今回とても分かりやすい、ということ。ちゃんと何やってんのか(なんとなく)分かる

 

「序」は電線&鉄柱映画だったけど、本作は鉄道映画ですね。冒頭の線路から宇部新川駅まで、めっちゃ鉄道好き。

ヤマト作戦とか、惑星大戦争とか、ボイジャーとか…。

いろんな作品の引用もあちこちにありそうだし、旧作との絡みも。

掘っても掘っても何かありそうで、いくらでも読み込みができそう。

 

ストーリーの面でも、これだけハードルが上がりきっているところで、見事に大団円に持っていったと思います。

しっかりと「Q」の続きになっていて、多くの人が「Q」で疑問に思いストレスを感じた部分をすべて明快にして、なおかつ旧作を含んだこれまでのシリーズの様々な謎にきちんと落とし前をつけてみせる。

本当に、これで投げっぱなしだったらどうしようかと思ったけどね。(それでもエヴァらしいと言われたかもしれないけど)

きちんと風呂敷を畳んだ「大人になる」ことが本作の最大のテーマだったと思うけど、庵野監督自身も完璧に、大人になっていた。

 

そしてそして、何より素晴らしいのは、これだけきれいに畳んでいるのに、予定調和になってない。

見事に驚きに満ちた、意外な展開の物語になっていたことですね。

本当に、何一つ予想できなかったよ。皆さん、ネタバレ排除して観て欲しい。未見の人は、これ以降読まないで!

 

②災害と復興

これまで盛り込まれてきた様々なテーマが、余さず取り上げられているのも良かったです。

例えば、災害と復興

 

「Q」はダイレクトに東日本大震災の影響を受けた映画で、その先の「シン・ゴジラ」もそうだったわけですが。

本作もその影響は色濃かったですね。モロに、津波が街を呑むシーンがありました。

 

本作の前半で非常に象徴的に描かれるのは、未曾有の大災害で日常を破壊され、大切な人を失って深く深く傷ついても、なおも立ち上がり、それぞれ自分に出来ることを頑張って、前を向いて笑って生きようとする人々の姿。

たとえどんなに絶望が深くても、世をすねて壁を向いて閉じこもってしまわない。一人一人の力は小さくても、負けずに出来ることをやろうとする。

そんな人々の意志。

 

「Q」は崩壊した世界を見下ろす映画だったし、「シン・ゴジラ」は行政の立場から災害に対処する映画でした。

だから、このテーマに真摯に向き合う以上、本作が一般の人々の姿を描くのは必然であると言えますね。

 

悲劇に向き合いながらも絶望してしまわずに、自らの責任をまっとうして、子供たちに未来をつなぐ。そうした人々の姿が体現するのが、「あるべき大人の姿」になっている。

感心するのは、そこでちゃんとこの災害と復興というテーマが、エヴァのメインテーマと繋がるんですよね。

旧シリーズからずっと描いてきたエヴァンゲリオンのメインテーマ、その到達点である、シンジが大人になるということ。

復興のために頑張る人々の姿は、シンジにとって大人のロールモデルになっていて、後半のシンジの成長のために機能している。

描きたいテーマが遊離してしまわずに、しっかりとまとまっている。そこが素晴らしいと思うのです。

③ゲンドウの物語

本作はゲンドウの物語でもありました。

ゲンドウは人類補完計画を遂行する最大の重要人物でありながら、旧作も含めてこれまで、ほとんど掘り下げて描かれることがありませんでした。

 

「シン」では「Q」にあった見えにくさも解かれることで、ますますすべてがゲンドウ一人に集約していきます。

被害を受けた一般人の姿が初めて描かれ、ヴィレが人々を守るために戦っていることが明らかになり、ゼーレも既に消えていて。

ゲンドウ一人が世界を滅ぼそうとしていて、もはや誰もそれに同調していない。ヴィレのみんなも、「まあシンジくんはお父さんに命令されただけだし…」ってなってるし、シンジでさえ「父さんはいったい何をやってるんだ?」とほとんど呆れてしまってる。

 

頑張って計画を立てては遂行して、目的へ向かっているうちに、気がつけば誰も周りにいなくなり一人っきりになって、孤独になるほどにかえって意固地になっていく。

そして、大人になった我が子に引導を渡される。そういう悲しいおっさんの姿。

 

本作の「大人になる」というテーマに照らせば、ゲンドウは究極の「大人になれない人」なのだと思います。

何しろ、シンジに自分の思いを打ち明ける真っ先に言ったのが、「親戚の集まりが苦手だ」でしたからね。

これ、素晴らしいですね。これだけ世界をめちゃくちゃにした言い訳がそこからかよ!っていう。

人付き合いが苦手でダメな僕を、ありのまま受け入れてくれた唯一の人がユイ。そのユイを失って自暴自棄になって、ユイに再び会うためだけに世界もろともご破算にしようとする。

いや、子供かよ!っていうね。だから子供なんですが。見た目は大人、権力も大人だけど中身は子供。いちばんタチが悪い。

 

そして今回、意外なほどに庵野秀明監督の自分自身が、ゲンドウに投影されていました。

うん。親戚付き合いとか、関係の薄い人と社交的に交わるのが苦手なんだよね。分かるよ。僕もそうです。

ユイや冬月やマリ?や、同じ価値観を共有できる仲間の中ではリラックスできるけど。アニメを作る仲間とは、なんとかやっていけるように。

 

少しずつ、自然と大人にはなっていく。いろんなことに順応はしていく。

でも、人格形成の核にある「子供っぽさ」「大人になれなさ」は、いつまでも消えない。染み付いたものとしてどこまでも残る。

だから、ことあるごとに、世をすねた気分だったり、前向きに責任に向き合えない弱さだったり、そういう形で現れてくる。

そういう気分を、「いくつになっても少年の心を持ってる」なんて言ってごまかしちゃう。それもよくある話ですが。

そういう自分自身の弱さを客観視して、最大の憎まれ役であるゲンドウに集約し、それを乗り越えることを描いた…のだと思うのです。

 

旧劇場版でも既に、アニメファンに対して「大人になれ」というメッセージを発していた庵野監督ですが、本作ではその頃にあった「険」も取れて、より普遍的な発信になっていると思います。

「親戚の集まり」の例で言うなら、状況に応じて、ふさわしい対応をすることが出来るのが大人ですね。

今なら、「公共の場所ではマスクをする」とかでしょうか。

それはたぶん、「何かを犠牲にすること」だと思うんですよ。多かれ少なかれ。

「親戚の薄っぺらい付き合いを馬鹿馬鹿しいと思っている自分」だったり、「マスクに関して持論がある自分」だったり。

それは小さなことにも思えるけど、状況が違えば「レイか世界かの二択」になったり、「未曾有の災害を前に生きようとするか否か」になったりも、するわけだから。

大人であり続けるのは、大変なことなんですよね。人生は修行の連続だ…というところでしょうか。

④アスカの物語

本作はアスカの物語でもありました。

アスカは式波でしたね!「Q」で一回も式波と言わないのはわざとのミスリードだな。見事に乗せられてしまった。

 

アスカやシンジは「ゲンドウに仕組まれた子供たち」で、「AKIRA」におけるラボの子供たちのようなイメージになるのかなと思いますが。

メタ的な視点で見れば、「永遠の14歳であることを義務づけられたキャラクター」であると言えます。

シンジ、アスカ、レイ、カヲルは14歳であることがキャラクターの一部として認知されていて、エヴァンゲリオンが続く限り彼らは14歳でなくてはならない。

だから、彼らが解放されるためには「さようなら、すべてのエヴァンゲリオン」にしなくちゃならない

 

メタも含んだエヴァの呪縛によってアスカは見た目14歳だけど、中身は大人になってる。ミサトと同じように、自分の責任に基づいて行動する人になってます。

これは、滅私奉公するのが大人っていう意味ではないし、ブラック企業で死ぬまで働くのが大人って意味でもない。

自分の信念に基づいて、自分で自分の行動を選ぶってことですよね。ある種の自己責任。

 

…なんだけどね。やっぱりアスカは幸福ではないように見えるし、傷ついても傷ついても、映画を通してずーっと頑張り続けるアスカは犠牲者に見えてしまいます。

やっぱり人を使い潰すブラック企業とか、大義のために自分を殺す、前時代的な特攻精神を連想せずにはいられない。

 

だから、それをアスカに強いているもの、アスカやミサトや多くの人々に我慢と犠牲を強いている象徴としての、ゲンドウ。

そんなゲンドウを打破することが、テーマ的な集約になっていくわけです。

現状を追認するために自分を犠牲にして頑張るんじゃない。

現状を変えるために、頑張る。

 

やっぱり、東日本大震災にせよ、今のコロナ禍にせよ、災害自体は偶発的なものであるにせよ、それに伴う原発事故とか、政治の混乱とかね。

ブラック企業であったり、既得権益であったり、人々の幸せとかけ離れたところに目標を置いて、人々を搾取し消費しようとする社会のシステム

それが、大人の権力を持っているけど中身は子供という、はた迷惑なゲンドウの姿に集約されている。

 

それに対して、まともに食べることや眠ることさえ奪われ、もはや人間でない何かにされながらも、なおも屈せずにアスカが戦いを挑んでいく。

ゲンドウが代表する負のシステムを打破して、人間らしさを取り戻すためなら、命を賭すことも厭わない。アスカもミサトも。

 

アスカが「Q」でシンジを殴りたかった理由について、「救うことも殺すことも、どちらも決めなかったから」ということを言っていましたね。

エヴァにおいて最悪なのは、何も決めず何も行動しないこと

辛いことに直面して、膝を抱えてうつむいてしまい、思考停止で自分の中に閉じこもってしまうこと。そういう有り様が「ガキシンジ」と呼ばれているわけです。

それに対して、自分で考え、自分で決断し、責任を背負って行動すること。

それが価値あることだと、明快に示されているのですね。たとえ失敗に終わったとしても。

⑤シンジが大人になる

シンジが大人になる。そのために、父を乗り越える

最後に、物語の王道のようなところに着地しましたね。

実際、シンジはずーっと、大人になれなかった。旧劇場版のラストでも、グズグズ泣きながらアスカの首を絞めてしまって、子供のままだった。

だからこそ、ずっと14歳だったわけで。逆説的に言えば、だからこそエヴァの物語は終わらなかったわけだけど。

エヴァはシンジの思春期の葛藤の物語だから、大人になったら終わりなわけです。

 

世界の有り様をきちんと知り、人々の姿を目を背けずにしっかりと見れば、自ずと大人になれる。

そういう本作の展開を見るとますます、「Q」でももうちょっと説明してくれてれば…という気もしますけどね。

「Q」で多くの人が感じた疑問。どうして説明しないんだ?という。

 

でもあらためて考えてみると、そんなふうに「周囲の人が説明してくれるだろう」と当然のように期待してしまうこと自体が、子供っぽい態度と言えるのかもしれない。

大人は、待っていても誰もわざわざ説明してくれない。知りたければ、自分で動いて知ろうとしなければならない。

 

シンジが父親と戦う。正面から向き合い、きちんと腹を割って話し合う。これも、これまで一度もなかったことですね。

今まで目を背けていた父親をちゃんと見て、父親のことを理解する。

で、理解するともう、父を恐れる気持ちはなくなるんですよね。怖いのは、分からないから怖いんだから。

 

子が親を理解した時、その時点で親は子供を支配する力を失ってしまう。

一方的な親から子への支配/保護のベクトルが、ある時を境に逆転する。

それはエヴァ世界では、シンジが決める世界の有り様に、ゲンドウが影響を与えることがもう出来なくなることを意味するわけです。

 

子供である以上、世界は自分だけでは決められない。だから旧エヴァの世界も、新劇場版の世界も、保護者であるゲンドウの干渉によって大きくねじ曲げられてきた。

しかし遂にシンジが大人になって、ゲンドウの影響を断ち切り、未来を決めることができるようになる。それは、どうなっても誰も助けてくれない厳しさと裏腹ではあるのだけど。

本作の結末をそういうふうに捉えると、とても普遍的な、人の成長の姿を描いていると言えますね。

⑥虚構と現実

本作では、世界そのものを夢とか虚構のような形で反転させるという、夢オチ的な方法は取りませんでした。

(それやってたらさぞかし荒れたでしょうね…)

しかし、映画の最終盤では、世界はどんどんメタ的な様相を呈していきました。

イマジナリーとか、ネオン・ジェネシスということになってきて。

それぞれの登場人物がエヴァ世界の中で居場所を見出していく一方で、シンジはエヴァ世界から外に出て行く

 

シンジが大人になるということは、要するにエヴァ世界が終わるということ。

虚構のエヴァ世界を脱して、現実の世界に戻る

巨大ロボットと怪獣と美少女の、永遠の14歳の世界を卒業して、駅前にビジネスホテルがある地方都市のJRでネクタイ締めて仕事に通う、現実の世界に帰る。

 

現実の世界はエヴァ世界に比べたら地味で面白みに欠けるけど、でも巨乳の彼女がいるなら捨てたもんじゃないですね。

 

巨乳の彼女はさておき、本作のラストがとても良かったのは、すべてのキャラクターに愛情が込められていたことです。

置き去りにされるキャラクターがいない。幸せになるにしろ不幸に終わるにしろ、きっちりとドラマを最後まで描き切ってる。

これだけ長きに渡った物語の締めくくりとして、それが何より嬉しいところでした。

 

「ネタバレ徹底心理解析」を書き始めました。

 

 

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