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IMAXで2回目観てきた&小説読んだので、いろいろと気づいたこと、考えたことなど書き留めておきます。

とりあえず一つ。IMAX素晴らしかったです! 映画における「空」の表現の、現状でのもっとも迫真的な映像じゃないでしょうか。

①チョーカーの謎と陽菜の母親の謎

劇中を通して陽菜が身につけてるチョーカーは、冒頭の病室のシーンで、陽菜の母親がつけてるブレスレットですね。

昏睡状態の母親の手を取るシーンで、青い水滴型のアクセサリーがついたブレスレットが一瞬映ります。この病室のシーンで、陽菜はまだチョーカーをつけていません。

 

母親の死後、陽菜は母親の形見として、ブレスレットをチョーカーに作り変えて、肌身離さず身につけていたのでしょうね。

劇中を通して、陽菜はずっとこのチョーカーを身につけています。

最後、陽菜が帆高によって空の上から連れ戻され、ビルの屋上の神社に戻った時に、このチョーカーは割れて、陽菜の体から離れることになります。

このシーンは意味深ですね。ずっと陽菜を縛り付けていた、死んだ母親の呪縛がついに解けた…というシーンにも見えます。

チョーカーというのが、また首輪のようでもあるだけに。

象徴的に見れば、本作は母親の死という呪縛に縛られ続けていた少女が、少年との出会いを通して、その呪縛から解放される物語…という見方もできると思います。

 

また、このチョーカーは陽菜が「天気の巫女」であることの印であるようでもあります。

空と繋がり、天気を操ることができて、その代償として人柱にならなければならない天気の巫女。

陽菜は自身が天気の巫女である間中ずっとチョーカーを身につけていて、天気の巫女でなくなった瞬間に、チョーカーが割れた…というふうにも見えます。

 

そう考えていくと、そのアクセサリーを持っていた陽菜の母親もまた、天気の巫女だったのではないか?ということが考えられますね。

実際、陽菜が何の理由もなく突然天気の巫女になってしまった…というより、彼女自身が母親から受け継ぐ巫女の資格を持っていたから…と考える方が、自然であるように思えます。

 

そういえば、そもそも陽菜が巫女になる前から、東京は異常気象に見舞われており、ずっと雨が降り続いていました。

それはもしかしたら、天気の巫女である陽菜の母親が昏睡状態になっていたせいかもしれません。

「もう何ヶ月も目を覚まさないまま」と、小説には書かれています。陽菜の母親が本来の務めを果たすことができなかったために、雨が降り止まなくなってしまった。

 

気象神社の神主の話から、大昔から「天気を治療」する役割を担ってきたのが天気の巫女です。天気の巫女が見た風景を描いたと言われる、気象神社の天井絵が描かれた800年前から、天気の巫女は存在したわけです。

巫女がただ人柱にされるだけの生贄でしかない存在なら、そこまで存続することはないんじゃないでしょうか。

 

代々、天気のバランスを取る役割を担った巫女の家系があって、空と繋がった能力をほどほどに使って、天気のバランスを保っていた。

陽菜の母親も、いずれ娘にその能力について教え、役割を受け継ぐつもりだった。それが、突然の意識喪失(交通事故などによるものか、脳出血などの病気か…)によって、叶わなくなってしまった。

しかし、巫女を継続させようとする「空の意思」によって、陽菜が巫女にされてしまった。巫女について何も知らない陽菜は、無理に晴れさせるという形で能力を乱用してしまい、結果すぐに人柱になることになってしまった…。

 

チョーカーになったアクセサリーは、雨をかたどった水滴の形をしていました。これは天気の巫女の継承の印、呪具なのかもしれません。

アクセサリーの形は勾玉のようにも見えます。

陽菜は巫女について何も知らなくて、母親の形見のつもりでチョーカーを身につけていたわけですが、結果的には巫女に必要な呪具を身につけていたわけです。これも、巫女の運命を決めている、空の意思がそうさせているのかもしれません。

②様々な「場所」の話

帆高が暮らしていた島は神津島。伊豆諸島の一つで、住所としては東京都に属しています。

神津島から東京までは、大型客船さるびあ丸で9時間55分。

現在の時刻表を見ると、朝の9時半発で、夕方の17時40分東京着となっています。

 

帆高の家出の理由は意図的に語られていないのですが、船に乗っている時点で帆高の頬には絆創膏があります。

お父さんが厳しい人らしいので、おそらくは父親に殴られたんでしょうね。

ただ、虐待のような深刻なムードはあまりないです。どちらかというと、昔ながらの厳しいお父さんという雰囲気。

帆高の家出の理由は割とありがちな親との衝突で、客観的にはそこまで深刻なものではない…というのが設定なのではないかなと思います。

帆高はそういう、未熟な少年として描かれていて、だからこそ物語を通して成長していくことになるわけですね。

 

映画は東京のリアルな風景を描き出していて、聖地巡りがはかどる形になっています。

帆高が拠点にするのは新宿歌舞伎町。「なんとなく東京の中心は新宿だと思った」という理由で、帆高は新宿を選んでいます。

陽菜がバイトしていて、帆高がビッグマックを恵んでもらうマクドナルドは西武新宿駅前店

須賀の事務所「K&Aプランニング」があるのは新宿区山吹町。帆高はバスで移動しています。

「来夢来人」というベタな名前のスナックを、そのまま事務所に転用しています。

ちなみに新宿には須賀町という地名もありますね。ここは「須賀神社」があるところで、この神社横の階段は「君の名は。」ラストシーンの舞台となったあの階段だったりします。

 

陽菜が天気の巫女になった、屋上に神社のある廃ビルは代々木駅近くの代々木会館

「代々木の九龍城」と呼ばれる有名なスポットらしいです。古くは1970年代に、「傷だらけの天使」のロケ地にも使われているとか。

2019年8月1日より、老朽化による解体工事が始まったそうです。

代々木会館に「屋上の神社」はないのですが、銀座のビルの屋上にある朝日稲荷神社がモデルと言われています。

 

気象神社高円寺氷川神社の中にあり、日本で唯一の気象にまつわる神社です。天気占いにちなんで、下駄の形の絵馬が名物。

気象神社は1944年、大日本帝国陸軍気象部の構内に造営され、戦後に高円寺氷川神社に遷座されたもので、800年の歴史を誇るという天井画は実在しません。

この絵は山本二三氏が描いています。「未来少年コナン」の美術監督を務め、「天空の城ラピュタ」や「もののけ姫」などを手がけた大ベテランです。

 

陽菜と凪が暮らすアパートがあるのは北区の田端

山手線の田端駅南口から線路沿いに登っていく坂道が印象的に登場しています。

 

「君の名は。」の瀧くんのおばあさん、立花冨美さんの家があるのは墨田区の曳舟

隅田川と荒川に挟まれた、東京の下町ですね。

この辺りは後に水に沈んでしまい、冨美さんは荒川沿いのより高い土地のマンションに引っ越すことになります。

冨美さんは、「この辺は昔は海だった。だから元に戻っただけ」と言ってますね。

ちなみに「君の名は。」に冨美さんは一切登場しなかったのですが、瀧くんの家は父子家庭っぽかったので、こんな元気なおばあさんがいたらもっとしょっちゅう面倒見に来てくれそうです。

そして、三葉と入れ替わってる瀧くん見て「あんた、瀧じゃないね…?」とか。妄想が捗ります。

 

「君の名は。」のもう一人、宮水三葉が務めてるアクセサリーショップがあるのは新宿ルミネ

劇中の時点では瀧と三葉は結婚してないみたいですが、3年後に帆高が訪ねた時には、冨美さんの家には「お孫さんの結婚写真」があります。

ちなみに四葉はほんの一瞬、陽菜が消えて帆高が逮捕され、久しぶりに晴れたシーンで歓声をあげる女子高生の一人として登場しています。

 

帆高、陽菜、凪の3人が警察と児童相談所を逃れて逃げ出した夜、3人の乗った山手線は大雨のために池袋駅で止まってしまい、3人は池袋のラブホテルで一泊します。

陽菜が消えてしまい、警察に踏み込まれて、帆高は池袋警察署へ。これは池袋駅前にあります。

警察署を逃げ出した帆高は 夏美のバイクに乗って、陽菜が天気の巫女になったビルのある代々木を目指します。

おそらく目白駅を超えて、高田馬場駅の手前あたりで線路へ。

高田馬場、新大久保、新宿、代々木と3駅分ちょっとの距離を、帆高は走ったことになりますね。約4kmくらいの距離でしょうか。

この距離を全力疾走できるのが、若さですね。

③「時間」の話と、陽菜の祈ったこと

陽菜が人柱となって一瞬晴れた後、陽菜が戻ってまた大雨となって、「それから3年間止むことなく、現在も降り続け」、東京は水没します。

高校一年だった夏から2年半、帆高は保護観察処分を受けて神津島で過ごし、高校を卒業した春、再び東京にやって来て、陽菜と再会することになります。

 

そこで思うのが「君の名は。」の世界で。

本作に瀧と三葉が登場する以上、二つの映画の世界は共通しているということになります。

瀧と三葉が再会するのは、2022年の春とされています。この時、天気は晴れで、東京は水没してはいないので、「天気の子」の出来事が起こった夏は2022年以降であるということになります。

 

Wikipediaを見ると、「天気の子」は2021年夏の出来事ということになっていて、そうなると瀧と三葉が2022年の春の晴れた日に再会することはできなくなってしまう。(その頃には雨は一回も降り止まず、東京は水没を始めているはずだから)

そこから、「天気の子」と「君の名は。」はパラレルワールドである…という解釈もあるようですが、それもちょっと不自然であるような気がします。ここまで瀧や三葉を出して、同じ世界観であることを示しておいて、互いに矛盾する世界にしてしまうというのもね。

それよりは、「天気の子」が2022年夏の出来事であると考えた方がスッキリします。つまり、この夏の時点で既に瀧と三葉は再会を済ませているという解釈です。

お盆のシーンでの瀧の余裕ある雰囲気からも、それが伺えます。2021年夏なら瀧は就活中で焦っているはずだし、思い出せない三葉のことが心に引っかかっていて、どこか晴れない気持ちを抱えていたはずです。

お盆のシーンでの瀧には、そういう屈託が一切感じられません。すごく心おだやかに、落ち着きを感じさせます。

 

「天気の子」が2021年であるということは、劇中で示されてはいないし、小説にも記述はありません。

ではWikipediaなどの根拠はなんだろう…と見てみると、劇中に登場する雑誌「ムー」の号数であるようです。現実の号数から計算すると、2021年7月号にあたる…ということらしい。

でも、劇中では「この仕事」と言う意味で示されただけなので、別にそれが最新刊であるとは限りませんね。1年前の号かもしれない。

 

神津島での帆高の卒業式。一瞬だったので定かじゃないんですが、「令和6年度卒業式」と書かれていたような…。

令和6年度の卒業式が行われるのは令和7年3月なので、この場合この年は令和7年、すなわち2025年であるということになります。

そうなると、2年半前の夏、「天気の子」の舞台となるのは2022年夏ということになって、「君の名は。」との矛盾は解消することになります。

自信ないんだけど。どなたかはっきり読み取れた方、いないですかね…。

 

帆高との再会の時、陽菜は田端駅からの坂道に立って、一心に何かを祈っていました。

「晴れ女」の時の彼女のポーズと同じであることからも、この時陽菜は「雨が止むこと」を祈っていたのでしょう。東京で雨が降り止まないのは、自分が人柱から逃れたせいなのだから…もちろん、それが一方的に押し付けられた理不尽な運命であって、陽菜自身に責任がないとしても…やはり主観的には陽菜は責任を感じて当たり前だろうし、雨が止むことを祈ることが当然だろうと思います。

彼女はこの時既に巫女ではない…晴れ女ではないので、祈っても仕方がないのですが。それでも、祈らずにはいられない。

そんな陽菜の姿を見たからこそ、帆高は自分の選択をあらためて自覚し、「東京を水に沈め多くの人の幸せを奪っても、陽菜を救う選択をした」ということを自分の責任として受け止めることになります。

 

ただ、ここで最初のところに戻って、陽菜がもともと母親から引き継いだ天気の巫女の資格を持っていたのだとしたら。

人柱から戻ることで強い力は一旦失ったけれど、天気に関わる力はまだ僅かながら残っている…あるいは、時間を経て復活する…ということも、あり得なくはない。

この再会の後のどこかで、陽菜の祈りが空に通じて、ついに雨が止む日がやって来る…ということも、考えられなくはないのではないでしょうか。

この時、空はわずかに明るくなっていたように思います。希望のあるラストシーン、だったんじゃないでしょうか。