窓ぎわのトットちゃん(2023 日本)

監督:八鍬新之介

脚本:八鍬新之介、鈴木洋介

原作/製作:黒柳徹子

キャラクターデザイン:金子志津枝

総作画監督:金子志津枝

美術監督:串田達也

編集:小島俊彦

音楽:野見祐二

主題歌:あいみょん

制作:シンエイ動画

出演:大野りりあな、小栗旬、杏、滝沢カレン、役所広司

①予告編の印象を裏切るいい映画!

原作は黒柳徹子の1981年の超ベストセラーですが、意外と映像化はこれが初めてなんですね。

「校長先生を演じられる人はいない」という理由で、徹子さん自身が映像化を固辞していたそうです。

「アニメなら」ってことで、「ドラえもん」のシンエイ動画が製作。

八鍬新之介監督は映画ドラえもんの「のび太の月面探査記」「新・のび太と日本誕生」「新・のび太の大魔境」などの監督。おっ、割と好きな作品が多い。

 

ただ、予告編を観た時の印象は、あまりよくなかったんですよね。「面白そう」とは思えなかった。

今更「窓ぎわのトットちゃん」と言われてもピンと来ないし。

キャラクターデザインが独特で。大人も子供も男も女も色白で、頬と唇がやたら赤く強調されているので、何だか違和感がすごい。平安貴族みたい。

それであんまり観る気にはならなかったのだけど、観た人の反応がものすごく良いのでね。

慌てて観てきたら、確かに素晴らしい映画でした!

 

口コミで映画好きの間での評価がグンと上がってるのは「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」と似たパターンですね。

実際観てみると、独特のキャラクターデザインもほとんど気にならない。すぐに物語に没入できました。

しかし、これほどまでに「予告編ではそそられなかったけど…」という声が多いというのは…どうなんだろうね。予告編作った人は猛省すべきでは!と思ったりもします。

 

②子供の動きを表現するアニメーションの気持ち良さ

物語は、トットちゃんが小学校を「クビ」になるところから始まります。

トットちゃんは今で言う「気になる子」なんでしょうね。今なら発達障害などの診断がされるかもしれない。

落ち着きがなく、授業中も面白そうなことがあるとすぐ気を取られて、じっとしていられない。

 

そんなトットちゃんだから、描きようによっては、不快な印象になってしまう。

元気で常にドタバタしてるというのは、大人から見ればうるさくて手に負えないということになるからね。

ちょっとしたバランスの違いで、うんざりするキャラクターになってしまいます。

 

本作では、すぐにトットちゃんを好きになることができる。不快に感じることなど一瞬もなく、跳ね回るトットちゃんを微笑ましく見守ることができます。

嫌な面を描いていない訳じゃない。空気が読めずに周囲を振り回す場面を、繰り返し描いているにもかかわらず…ですね。

それを支えるのは、アニメーション表現の気持ちよさ

常に動き回り、走り回るトットちゃんを、生き生きと躍動させるアニメーションの豊かさです。

 

そこはやはり「ドラえもん」で、子供に向けた子供の表現を積み重ねてきたからでしょうね。子供の動きの再現が的確

決して大人をただ縮小しただけではない、子供の動き。体重が軽くて軽快だけど、同時にバランスが悪くて危なっかしい。そんな子供らしさがリアルに再現されていて。

それでいてただリアルなだけでもなく、省略や誇張も的確で、観ていて気持ちいいリズムになっている。

子供を主人公にしたアニメで大事なのは何よりもここだと思うんですよね。子供の動きのリアリティ。

 

そして更に、随所に挟まれる心象風景シーンの美しさ。

ガラッとタッチが変わって、そこだけ見るとまるでアートアニメーションのような。

現実における子供たちの「軽やかさ」から、子供ならではの想像の世界の豊かさへと、ひとつながりに繋がっていく。

もう、観ていて本当に気持ちがいい。アニメーションの魅力がいっぱいです。

(予告編は「この感じ」が拾えていないんですよね…)

③目を開かされるトモエ学園のあり方

​トットちゃんが主役なのだけど、もう一人の主役はトモエ学園の校長先生、小林先生です。

電車の車両が教室になっている、ユニークなトモエ学園の日常の日々が、ひとつひとつ驚きであり、学校がこんな場所であればいいのに…という憧憬を抱かせるものになっています。

 

初めての出会いでいきなり、お母さんを帰らせて、一対一でひたすらトットちゃんの話を聞く小林先生。

延々と続くトットちゃんの奔り出る思いを、遮らない。

子供の思いを聞いてあげるのが良いことだとお題目では分かっていても、大人はなかなか黙って子供の話を聞けないものですよね。脈絡のない話を延々聞くのはしんどいし、ついつい止めたり、質問したりして、子供の話を整理して意味のあるものにしようとしてしまう。

それをしない。ただ、黙って最後まで聞く。トットちゃんが話し疲れて「もう話したいことはない」ってなるまで聞く。

この対応がいきなり凄いことだし、ここで早くも大いに感動してしまいました。

 

トモエ学園の教育方針は締め付けの管理教育とは対極にあって、今から何の勉強をするかさえも子供自身が自分で決める。子供たちの主体性を重んじる、究極の自由教育。

でも、単なる放任主義でもないことが、観ているとだんだん分かってきます。

大人が、通常の学校よりもずっとつぶさに子供を見ている。「教育に見えない教育」をするために、大人がものすごい負担と責任を引き受けている。

 

自由だけど、甘やかしはしない。

トットちゃんがトイレに財布を落として、肥溜めをさらっている時、小林先生は手伝わない。トットちゃんがやるのを止めもしない。「終わったら戻しておけよ」と言うだけ。

こことか、観ていてドキッとするんですよね。トットちゃんがやってることに気づいても助けようとしない小林先生を見ると、あれっと思ってしまう。

なんだか厳しすぎる、不当なように感じてしまう。反射的にそう感じてしまうことが、いかに思い込みに縛られてるかということだと思うのだけど。

 

小林先生はトットちゃんが自分で納得いくまで自分でやらせて、最後まできちんと見届けた上で、着替えやお風呂を用意して、頑張りをねぎらってくれる。

でも、だからこそ、自分でやったことは自分で始末をつけようとする、自主性が育っていくんですよね。

今だったら(当時でも、普通の先生だったら?)、子供に自分でやらせようとはしないでしょうね。子供がうんこまみれになるのも嫌だし、敷地が汚れるのも嫌だろうから。

というかそれ以前に、今の子なら最初から「自分でなんとかしようと」しないでしょうね。いきなり先生に言いに行って、「どうしたらいい?」と丸投げ状態で聞くんじゃないかな。

そう言われた先生もどうすればいいか分からなくて、「業者に電話する」くらいですかね。

 

「自分のことは自分でやる」という、当たり前の営み。

トモエ学園の教育は、ちゃんとそれを身につけさせるものになってる。

これがあるべき形だと、こうして見せられると思うのだけど。

でも、果たして自分は「うんこまみれで肥溜めすくってるトットちゃん」を見たときにどうするか。放っておくことが、果たしてできるか?と思ってしまいます。

④子供を危険に晒すことと、その責任を負うこと

本作を見ていると、本当に何度もドキッとさせられます。

今だったら止める。今だったら子供にそんなことさせない。そんなシーンが何度も出てくる。

危ないから止める。怪我をするリスクがあるから、最初からさせない。

でもそれだと、どんな時に怪我をするか、子供は自分で学べないわけで。

 

表現の面でも、ものすごく考えさせられるところがありました。

子供だけで(小児麻痺の子も含めて)木登りするとか、男の子も女の子も素っ裸でプールで遊ぶとか。

今の基準だと、不適切な表現として封じられてしまう描写だと思います。

特に「子供の危険にかかわる描写」は、「真似したらいけないから」という理由で、あらかじめ避けられることが多いです。

本作でそれが描けているのは、「窓ぎわのトットちゃん」という強い原作があるからというのが大きい。そうでなかったら、きっとどこかで誰かの検閲が入ってる。

 

いや、でも、それが表現の上でさえも封じられてしまうことこそが、問題なのではと思ったり。

現実でもリスクから隔離され、表現の上でも隔離されたら、子供はどうやって何が危険かを学べばいいのか。

 

検閲して遠ざけるのではなく、あえて子供を危険に晒す。なんでも体験させて耐性をつけさせ、大人がしっかり見守って、本当に危ない時には責任を持って止める。

小林先生がやっていたるのはそういうことで、それは直接的な教育のみならず、すべての表現にとっても言えることじゃないかと思います。

⑤戦争を背景にしたエンタメ作品が届ける「戦争の嫌さ」

戦争を背景に庶民の生活を描く映画が、特に今年の後半、連続しています。

「君たちはどう生きるか」「ゴジラ-1.0」「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」「ほかげ」などがそうですね。

世界ではまさに戦火が激しくなっていて…。まさか2023年にもなって、「日常を脅かす戦争」がこれほど切実なテーマとして響くとは、思いもしませんでした。

 

お父さんとお母さんにしっかりと守られたトットちゃんの明るい日常が、少しずつ戦争の暗さに侵食されていく、その気持ち悪さ。

自由な発言や華美な服装が封じられ、世界はみるみる色を無くしていく。

世界が暗くなっていく。具体的な戦火が描かれなくても、トットちゃんが肌身に感じる戦争の「嫌さ」が強く伝わってきます。

 

前半で描かれる小林先生の情熱、子供たちを笑顔にして、明るく楽しい未来へと導いてあげたいという強い強い情熱が、戦争の暗い影によってじわじわと邪魔されていく。

小林先生は、言葉にして「戦争反対」のようなことは一切言わないんですよね。それでも、その怒りと悔しさがひしひしと伝わる。

戦争になるというのはどういうことか。子供たちの笑顔が消え、あるべき明るい未来が奪われることだということが、声高に言わなくても実感として感じることができます。

同じ時期にいくつもの戦争をテーマにした映画が登場してくるのは必然だと思います。特にエンタメ作品を通して若い人たちに「戦争の嫌さ」が届くなら、それは極めて有意義なことでしょうね。

 

 

 

八鍬新之介監督のとても好きなドラえもん映画。

 

 

 

 

2023年後半に連続した「戦中/戦後」映画たち。