GODZILLA MINUS ONE(2023 日本)

監督/脚本:山崎貴

製作:市川南

撮影:柴崎幸三

編集:宮島竜治

VFXディレクター:渋谷紀世子

VFXプロダクション:白組

音楽:佐藤直紀、伊福部昭

出演:神木隆之介、浜辺美波、山田裕貴、青木崇高、吉岡秀隆、安藤サクラ、佐々木蔵之介、田中美央、遠藤雄弥、飯田基祐

①山崎貴監督と、ハリウッド的作劇の達成

正直言ってこれまで、山崎貴監督という作り手が苦手だったのです。

と言っても、そんなに全部の作品をちゃんと観てる訳ではなかったのですが。

好きじゃない作品があって。どうしても先入観を持って見てしまうところがありました。

なので、かなりハードル下げて、イラっとしても我慢するつもりで、観に行ったのですが。

 

いや〜……とんでもなかったです。先入観吹き飛びました。

疑ってごめんなさい!という。勝手な偏見で決めつけてすみませんでした!と、心から謝罪したくなる勢いでした。

めっちゃ面白かったです。大好きな映画でした。

 

ゴジラのシーンが大迫力なのは言うに及ばず。

人間ドラマの方も大満足でした。すごく引き込まれた。

ストーリーも破綻なく、ゴジラという大きな虚構が上手く人間ドラマに溶け込んでいたし、戦後すぐを背景にしたからこその重いテーマも実に真摯なものに感じられました。

何より、初代ゴジラが持っていた精神へのリスペクトが強く感じられた!

 

「好きではない山崎貴」の要素が、まったくない訳ではなかったと思うのです。

全体にわかりやすさ優先で、演技はオーバーアクト気味

セリフはやや説明的で、皆が代わりばんこに喋るのは作り物臭く感じる。

特に佐々木蔵之介のコントみたいな「べらんめえ」キャラは…明らかに浮いていたし、芝居を壊していました。

なんか一歩引いてバランスが取れない人だなあ…というのは感じる。

それでも、そんなの最終的には気にならないくらいに、主人公をめぐるドラマが魅力的だったし、説得力のある強いものになっていたと思います。

 

今回すごく思ったのは、ハリウッド的作劇なんですよね。アメリカ映画の発想。

主人公の苦悩と葛藤が物語の芯になっていて、時に大局をそっちのけにしても、個人的動機を軸に物語が進む。

場合によっては、個人的動機が大局を左右する。多少のご都合主義よりも、個人の物語の方が優先される。

「スター・ウォーズ」とかマーベルとか、ハリウッドのエンタメ映画は基本そんな作劇で、だから決して珍しいものではないんですけどね。ギャレスの「ザ・クリエイター」とかまさにそうだったし。

そこは特に庵野秀明監督とは違う、山崎貴監督の資質ですね。

 

思うのは、これまでハリウッド的作劇は、日本映画と相性が悪かったのだと思うのですよ。

技術面がついてこなかったから。視覚効果がショボくて、世界観の作り込みが心許なかったから、ヒロイックで劇的なハリウッド的作劇をすると、すごく学芸会的に浮いて見えてしまう。

「その部分」に目をつぶって、見ないふりをしなければならない…のが平成ゴジラシリーズだったと思うし、シン・ゴジラは意図的にハリウッド的作劇を排除して、岡本喜八に徹することで成功したのだと思うのです。

(個人的見解です!)

 

ゴジラの特撮、VFXは、本当にハリウッドレベルだったと思います、今回。

シン・ゴジラでも、まだ序盤のCGとかは危ういものを感じたけれど、今回まったく隙がなかった。見事にリアルな、何の忖度もいらない映像世界を作り上げていました。

そして、ゴジラのようなスペクタクル映画の場合、映像がそこまで作り込まれて初めて、ハリウッド的作劇の人間ドラマが生きてくるのだと思います。

日本のVFX映画が遂にその域に達した!という、かなり大きな感慨がありました。

 

②意思を持って殺しにくる史上最恐レベルのゴジラ

今回、ゴジラのサイズ感が絶妙だなあと思いました。

シン・ゴジラは現代の街にゴジラを置かねばならないので、非常に巨大なゴジラになっていて。

デカくて怖いのだけど、でもあそこまでいくともう「生き物っぽさ」はない。

とか、使徒とか、巨神兵とか。得体の知れない「超越的存在」になっていて、だからシン・ゴジラは黙示録的な滅びの怖さになっていましたね。

 

今回は、もう一段小さい。まだ生き物として感じられる、絶妙なサイズ。

生き物だから、感情も感じられる。撃てば怒って、やり返してくる。ピンポイントで狙いをつけて、人間を殺しにくる。猛獣の恐怖

ロックオンして殺しにくるゴジラ。噛みついて、踏みつけて、尻尾で叩いて、熱線で、殺意を持って殺しにくる。

そりゃ怖いですね。シン・ゴジラなら足元にいて見過ごされることもありそうだけど、今回のゴジラは逃げられそうもないです。

 

いや本当に、「海から上陸して、東京の街を壊し、人々を恐怖に陥れて、海へ帰る」という「ゴジラの定番フォーマット」を守って、初代ゴジラともシン・ゴジラとも違う、新たな恐怖を創り出す……って、生半可なことじゃないと思うのですよ。

特に、シン・ゴジラがあの夜の東京炎上シーンで、究極的なことをやり尽くした後だから。

そのプレッシャーたるや…と思うのだけど。見事に、これまでのどのゴジラとも違う、それでいてシリアスな恐怖というベクトルは初代やシンと共通する、見事な新機軸を創り出していたと思います。

③海も陸も、絵も音も、圧倒的迫力の臨場感

今回、あえてこれまでやらなかった「ゴジラならこれもあるはず」シーンを描いていたのも素晴らしかったですね。

冒頭、大戸島に出現したまだ小さいゴジラの、一人一人捕まえて殺しにくる怖さだったり。

「上陸を阻止するために、海上でゴジラと人が対決する」のは、これまでも描かれても良かったはずですが。ゴジラは元々「海洋生物」とも言える訳だから。

でも、それこそ海の特撮は難易度が高かったんですよね。これまではあえて、「そこは言いっこなし」にされていた。

 

前半の新生丸とゴジラの対決シーン、めちゃめちゃ良かったです。緊迫感が見事だった。

小さな木造船を、巨大なゴジラが波を蹴立てて追っかけてくる恐怖は、まさにこれまで見たことのない驚異でした。映画館の大画面にめちゃ映える。

CGの進歩も大きいのだろうけど、ここはやはり実際に海上でロケをして、実景と合わせているからこそでもありますね。荒れた海の撮影で大変だったようです。

 

今回、あちこちに往年の作品の引用がわかりやすく見えるのも特徴で。

冒頭はジュラシック・パークでしたね。海上対決はジョーズ

他にも海外版ゴジラとか、スター・ウォーズとか、山﨑監督が好きなんだろう世界はかなり臆面もなく取り込まれていました。

この辺も、作り込みが甘いと本当に恥ずかしいことになるんですけどね。真似っこすればするほど、本家との格差が強調されちゃうので。

今回は作り込みがもはや本家を凌駕するレベルだったので。ようやく、これでこそオマージュが成り立つのだと思いましたよ。

 

庵野秀明監督もお墨付きだった「銀座シーン」の迫力。

今回、映像ももちろんだけど、音響が素晴らしかったと思うのですよ。

ゴジラの足音が、劇場を揺らすあの感じ。遥か昔に北野劇場で見た「ジュラシック・パーク」のティラノ初登場シーンの衝撃が蘇りました。

 

溜めて溜めてここぞというところで流れ出す伊福部テーマ曲のタイミングも完璧でした。

シン・ゴジラの個人的な不満点が、音楽の音質があまりにも不揃いだったこと。そこは、庵野監督のオタク的こだわりが悪い方に働いたポイントだったんじゃないかなあ…。

今回は、通常の劇伴ともきれいに馴染んでいて。お馴染みのテーマ曲が、強烈に興奮を掻き立てるものになっていましたね。

 

見せ場の「熱線」にしても、シン・ゴジラがかなり究極で、それを超えるのはいくらなんでも難しいだろう…と思っていたんですが。

匹敵する…超えたかも…と思えるくらいの、破壊力極悪な熱線シーンでした。

振り返って、ゴジラの背中越しに巨大なキノコ雲…という画角も鮮烈で。映像はいたるところケレン味に溢れていました。

④生き残った人々の引け目の象徴としてのゴジラ

今回、ゴジラが「意思を持って殺しにくる」のも、実はテーマと直結するところになっていて。

主人公である敷島をめぐる葛藤のドラマが、戦争というテーマ、そしてゴジラそのものと密接に絡み合って、全体に骨太な筋を通している。

人間ドラマが、大いに充実していたと思います。そこが何よりの嬉しい驚きでした。

 

初代ゴジラより更に時代を遡り、終戦直後を背景とすることで。

戦争を生き延びた人たち、生き延びてしまった人たちの思い、葛藤が、ドラマの中心になってくる。

終戦後9年目に公開された初代ゴジラは、人々の記憶に色濃く残る「戦争の恐怖」を具現化したものであった訳ですが。

今回、その基本に立ち帰り、「ゴジラとは何か」を真摯に考え抜いたテーマ設定になっていたと思います。

 

主人公である敷島(神木隆之介)は特攻の生き残り。しかも、機体が壊れたと嘘をついて不時着し、自分だけ特攻を逃れたという引け目の持ち主です。

更にその上に、目の前で大戸島の整備兵たちがゴジラに全滅させられ、またしても自分だけ生き残ることになります。

 

この「死ぬはずだったのに、のうのうと生き延びてしまった」という感覚、引け目は、しかし彼だけのものではなく、終戦を超えて生き延びた多くの日本人たちが共通して持っていた感覚だと思うのです。

一億総玉砕が叫ばれ、国のために死ぬことを当たり前のように教え込まれて生きていた、その時代の人たち。

多くの身内や友人たちが戦争に行ったり、戦場で死んだり、空襲で死んだりするのを目の当たりにしてきた。

戦争が終わって、とりあえず死ぬ心配はなくなった訳だけど、でもそれは多くの兵士や犠牲者たちが、自分の代わりに死んでくれたおかげで拾った命である…という負い目のような感覚。

 

橘(青木崇高)に押し付けられた、死んでいった整備兵たちの写真は、その負い目を象徴する戦争の怨念、呪いです。

死者たちは敷島の悪夢に現れて、彼に「いつまで生きているのだ」「早く死ね」と語りかけてくる。その呪いに囚われている限り、敷島は前を向いて生きることができません。

そんな敷島に、正反対の生へのベクトルを提示するのが、典子(浜辺美波)である…ということになります。

典子も、空襲で目の前で両親が焼死するという強烈な傷を抱えているのだけれど。

でも両親は死に際して、「生きろ」と典子に言い残した。だから、典子は「何があっても生きる」ことを自分に強く課しているし、明子の命も守り、敷島にも生きろと言い続ける。

そんな典子のおかげで、敷島が前を向こうと決意した矢先に…ゴジラがやってきてすべてを破壊し、敷島を負のベクトルに引きずり戻すことになります。

 

だから、敷島にとっては、ゴジラは明確に「整備兵たちの怨念」と同じものなんですね。

戦争が終わってもなお、どこまでも敷島を追いかけてきて、「まだ許さない」と念を押しにくる存在。

先の戦争で、生きたかったのに叶わず、虫ケラのように死んでいくしかなかった人々の、生き残った人々を「許さない」という思い、怨念、呪い

それがゴジラです。敷島にとっては明確にそうだし、だからこそ彼を生かそうとする存在である典子を彼から奪い去る。

そしてこの「ゴジラが英霊たちの怨念であるというイメージ」は、物語の終わりに向かうにつれ、敷島以外の人々にも共有されていくことになります。

(ここが、個人的動機が全体に敷衍するハリウッド的作劇と感じる部分です。)

⑤死ぬことではなく、生きることを価値とする強固な意志

本作においての「悪役」は実はゴジラではなく、言うならば「人々を死に追いやろうとする力」ですね。

それがつまり、戦争であるということ。国を守るために、お前は死んでこいと強いてくる力。特攻させ、玉砕させ、命を粗末に使い捨てようとするもの。

そんな力に殺された多くの人々の、無念・怨念の象徴としてのゴジラ

だから、ゴジラは他でもない日本を目指し、東京に上陸し、国会議事堂を焼き払う訳です。

 

今回、本当に素晴らしいなあ…と感じ、この映画が好きだと思わされたのは、戦争の主体である「この力」を明確に悪として描いていたことです。

具体的には、それは大日本帝国であり、特攻や玉砕を命じた当時の軍部、権力であり、いわゆる戦前日本的な価値観そのものです。

その視点で見れば、英霊の怨念であるゴジラもまた犠牲者ということが言えます。だからこその、最後の「敬礼」シーンですね。

 

戦争において、人々を死に向かわせるもの…それはある面では、心情的に非常に共感しやすいものではあるんですよね。

愛する家族を守るために、自分が命を賭ける。そのためなら死んでも構わない…という心情は、それ自体は決して否定されるべきことじゃない。人間らしい、崇高な感情でもあります。

でも、それを権力が利用した時、戦争という大きな悲劇が引き起こされる。それがまさしく先の大戦であり、ゴジラという怨霊を生み出したものに他ならない。

だから本作では、「死を覚悟すること」は決して是とはされない。「生きること」を至上命題として、「生きて、抗う」ことを描いていきます。

 

本作でゴジラに対抗する民間人たちは、敷島と同様、戦争を「生き残ってしまった」人たちです。だからそれぞれ大なり小なり鬱屈を抱えている。

彼らがあえて「貧乏くじを引く」ことを選び、「嫌だけど、でも死んでもしょうがないか…」という気持ちになりかけたところで、野田(吉岡秀隆)が「この作戦では誰も死なせない」と宣言する。

これはシン・ゴジラでの「生命の保証はできません。だがどうか実行してほしい」という主人公の演説と対照的ですね。

ここがやはり本作の最大のメッセージだと思うし、シン・ゴジラの後であえて作る上で外せなかったポイントではないかと思います。

 

シン・ゴジラでの上の演説は「政治家から自衛隊員への演説」だった訳で、その点でも対照的と言えます。

本作が、日本に軍もなく、自衛隊もまだなく、アメリカも協力せず、政府も機能していない、いわば「丸腰」の時代設定を選んでいるのは、だからテーマを語るための必然ですね。

 

反戦・反核がテーマと言いながら、ゴジラに対抗するのはやはり軍事力だし、強すぎるゴジラに抗うためには自己犠牲も求められてしまう。そこは、ゴジラ映画が構造的に持っている大きな矛盾点だったと思います。

シン・ゴジラでも、ある種の自己犠牲的な悲壮感とは切り離せなかったし、考えてみれば初代ゴジラからして既に、ゴジラを倒したのは芹沢博士の「特攻」でした。

 

それを一回、ちゃんと否定する。

死ぬことではなく、生きることこそを英雄的行為としてきちんと描く。

それが本作でやろうとしたことで、だからこそ特攻兵の物語だったのでしょう。

本作は歴代ゴジラの中でも特に「好戦的でない」作品だと思うし、本来のテーマである反戦の精神にもっとも忠実な映画であると言えるんじゃないでしょうか。

本作で否定された「人に死を強いる力」は、現代もまだ生き残っているかもしれない…という意味では、しっかり現代に通じる映画でもあります。

 

そんな重厚なテーマを、でもあくまでもエンタメとして、辛気臭い説教ではなく、ドキドキワクワクする面白い物語として提示している。

怪獣映画で、人間ドラマと怪獣が乖離してしまいがちなのを融合したいという目標も、見事に達成されていましたね。

本当に、あらゆる面で達成度が高い。傑作怪獣映画だと思います。またまた次回作のハードルが上がりましたね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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