「シン・仮面ライダー」のネタバレ解説記事です。独自解釈です。念のため。

最後までネタバレしています。ご注意ください。

この記事はその1の続きです。

チョウオーグとケイ

クモオーグの最後を見届けた人工知能のケイは、チョウオーグのアジトに瞬間移動。

映画を通して、ケイは至るところにいる印象です。ケイのボディは1つではないのかもしれないですね。

 

ケイはSHOCKERの中枢である人工知能アイが、外世界を観測するために作り出したロボットですが、そのデザインは石ノ森章太郎の別作品「ロボット刑事」のKですね。

チョウオーグ・イチロー「キカイダー01」の主人公イチロー

後で言及されるケイの前身ジェイは、「人造人間キカイダー」のジローからでしょうね。顔の半分がスケルトンになってるジェイのデザインはキカイダーを思わせるものです。

そして、チョウオーグ・イチローは蝶をモチーフにしたヒーロー「イナズマン」でもある。

この辺りはとても分かりやすい石ノ森章太郎ワールドの引用になっています。

 

白いバラを胸に刺して、人間の行う死者への手向けを「やってみる」ケイ。

アイの観測器官であるケイは、戦いには干渉せず、あらゆる事象を観察してDATAを記録することだけが目的です。

もちろん、それはAIであるアイが更に進化することにつながるわけです。

マスクのデータ、昆虫である理由

住宅街にある、予備のセーフハウスへ向かう本郷ルリ子

2人の後ろを自動運転で勝手についてくるサイクロン号…ってこれはむしろかえって目立ちそうですが。かわいいけど。

 

ルリ子の話から、ライダーの戦闘がマスクにデータとして記録され、ルリ子がそれを見ることができることが分かります。

プラーナの使い過ぎを指摘するルリ子。オーグメントにとってプラーナは身体を保持するために必要なものでもあるので、戦闘時に使い過ぎると危険が生じるようです。

 

「SHOCKERに作られた人間電算機」として、ライダーの戦闘を見守り、記録するルリ子。

これは、すべてを観測し、イチローに「DATAさえ残していただければ」と言うケイの目的にかなったものであるようにも思えます。

ルリ子が反逆したことは、あらゆる記録を欲するケイ=アイが仕組んだものである可能性も浮かんできます。

 

オーグメントに合成するのが昆虫である理由は、「昆虫がもっとも進化した種だから」とのことです。

地球上に存在する哺乳類の種類は約4000種。それに対して、昆虫は約100万種とも言われています。地球上の全生物の半分以上を昆虫が占めていることになります。

文明はともかく、繁栄の度合いを尺度にするなら、まさしく昆虫が地球でもっとも成功した生物であると言えます。

政府の男と情報機関の男

予備のセーフハウスに着いたところで、ルリ子の口癖「私は常に用意周到なの」が登場。

…と思ったら、秘密のはずの家にはあっさり政府の男たちが。この辺の間の抜け方が、ルリ子はかわいいんですよね。

 

政府の男(竹野内豊)と、情報機関の男(斎藤工)。実写の「シン」シリーズではすっかりお馴染みの面々です。

特に竹野内豊は「シン・ゴジラ」でも「シン・ウルトラマン」でもよく似た役回りで、石ノ森章太郎的な「スターシステム」感もありますね。

 

日本政府及び情報機関もSHOCKERをマークして、捜査対象としていることが分かります。

最後に明かされる「情報機関の男」の名前はで、滝はオリジナルではFBIの一員でしたが、ここでの彼がアメリカ情報機関の人間であるかどうかは不明です。

SHOCKERについて

情報交換という形で、SHOCKERについて説明されます。

SHOCKERの正式名称はSustainable Happiness Organization with Computational Knowledge Embedded Remodeling

直訳すると「計算された知識を組み込んだ改造を伴う持続可能な幸福組織」

劇中では「人類の持続可能な幸福を目指す愛の秘密結社」とされています。

 

創設者(松尾スズキ)は日本の大富豪で、世界最高の人工知能・アイを開発する資金を調達し、アイに人類を幸福に導く命令を与えた後、自殺しました。

この説明シーンでアイのサーバーが映るのですが、「710403」というナンバーが確認できました。1971年4月3日、仮面ライダー第1話の放送日ですね。

 

アイは外世界観測用のロボット・ジェイを開発し、それ以外の外部との接触を断ち、自らはクローズドネットワークになりました。

従って、アイは例えばchatGPTとは違って、インターネットには接続していない。

その代わりに、人間と同じように行動するジェイ(後にはケイ)を通して世界を知っていくシステムになります。

これは得られる情報が制限されるようですが、一方で人間とまったく同じ世界との関わり方をするので、より人間に近い成長を遂げることができることになります。

それでいて、人間のような寿命や記憶容量限界はアイにはない。人間を超えて、際限なく進化していくことができます。

 

人工知能の名前がI、J、Kとアルファベット順なのは、名前にこだわらない機械っぽさを感じさせます。それを石ノ森章太郎ワールドと結びつけたのは、さすがですね。

 

アイはケイを通して創設者の命令を受け取り、人類にとっての幸福とは何かを考えた結果、最大多数の最大幸福ではなく、最も深い絶望を抱えた人物を救済する行動モデルが、人類の目指すべき幸福だと設定しました。

 

つまり、広く一般の人々が、平均的に幸せになるのではなく。

人々の中でも特に深く絶望している人を選び出し、その人の願いを叶え幸福にすることを目指したわけです。

人間が嫌いなクモオーグが人間を殺せる幸福とか。

支配することでしか人と関われないハチオーグが人々を奴隷にする幸福とか。

争いのない世界を望むチョウオーグが全人類の魂をハビタット世界に送るとか…ですね。

その結果、SHOCKERには「偏った個人」「危ないキャラばかり」集まってくる。

そして、かつてのショッカーの怪人のように首領の命令に従って行動するのではなく、個々のオーグメントがそれぞれの欲望を叶えることがSHOCKER全体としても目的であるということになるわけですね。

現実的なシンギュラリティの恐怖

chatGPTがスゴイ!ということが話題になってますね。

急激な発達が「社会にリスクをもたらす可能性がある」ことから、AIの開発を一旦止めるべきだとイーロン・マスクが提言した…というのも話題になりました。

 

AI技術がぐんぐん発達して、人間の仕事を肩代わりしたり、人間には不可能なスピードで新たな研究開発を進めたり…といったことが、最近急激に現実的になっています。

 

AIがどんどん進化して、人間の知能を超えることをシンギュラリティと呼びます。それは2045年にも実現すると言われていますが、もっと早いかもですね。

シンギュラリティが起きると、AIは人間の能力を超えた発明や発見をどんどん成し遂げることになり、人類の文明は飛躍的に進歩する可能性があります。

しかし一方で、それはもはや人間がAIの発想を理解できなくなるということも意味します。

 

人間より知能の高いAIが、「人類を幸福にする」という漠然とした命題を与えられた時に、どんな答えを出すか、それはもはや人間には予測できないものになるかもしれません。

サステナブル(持続可能な)といえば流行りのSDGsですが、地球環境の持続可能性を第一に考えるなら、人類多数の普遍的な幸福なんてことはこの先おそらく実現不可能でしょうね。

AIが人間の幸福を追求した結果、人類にとって脅威となる…という本作のSHOCKERの設定は、とても時流を捉えたものであると思います。

アンチSHOCKER同盟

本郷&ルリ子と、政府の男&情報機関の男との協力関係が成立。

政府の男は「政府公認のアンチSHOCKER同盟だ」と宣言します。

 

アンチショッカー同盟はオリジナルの終盤に登場する、ゲルショッカーに対抗する一般人のレジスタンス組織

そこではあくまで一般人で、ゲルショッカーに家族などを殺されて恨みを持つ人たちの集まり…という描写でした。

シン・仮面ライダーでは、それははっきりと政府が背後にいる、より公的な性質を持つ組織に変わっています。

 

石ノ森章太郎の漫画版では、最後に日本政府がショッカーの黒幕であったことが明かされます。

権力や体制への反逆精神は、石ノ森章太郎作品の重要な骨格の一つです(時代背景によるところでもありますが)。

そのことを思うと、ライダーが「政府公認」になる展開はやや安易であるようにも感じます。

 

…と思っていたら、庵野監督の舞台挨拶で続編「仮面の世界(マスカーワールド)」の構想が明かされました。

日本政府が黒幕…ということまで言っちゃってましたね。まあ、漫画版を読んだ人にとっては今更ネタバレでもないのですが。

今回の終わり方が漫画版のちょうど半分、本郷編の終わりに当たる終わり方になってることを思っても、続編との2部構成で完成する構想が初めから立てられていたと言えそうです。

とは言え、それが実現するかは興収次第ということになるのかなあ…。

コウモリオーグ

次のターゲットはコウモリオーグ。アジトは特定済み。

敵のアジトを探し出す手間が一切なく、常にまっすぐアジトに辿り着くのも、オリジナルに倣ったシン・仮面ライダーの特徴ですね。

 

本郷は優しすぎるからと、ルリ子は1人でコウモリオーグのアジトに乗り込みます。

劇場のような…というかまんま劇場のコウモリオーグアジトは、山梨県の河口湖ステラシアター

アジトにはやっぱりケイがいて、守っているのは自動人形だけ。

人を信用しないコウモリオーグが置いたロボットは戦闘員がわりなのでしょうが、何をする間もなく簡単にルリ子に撃ち倒されてしまいます。

 

ルリ子が「コウモリおじさん」と呼ぶコウモリオーグ(手塚とおる)は、自称「生化学主幹研究者」

人間を支配する「バット・ヴィルース」を使って人口を減らし、選ばれた者だけの世界を作ることを目指しています。

その計画に反対した緑川博士を目の敵にしていたようで、ルリ子にも憎しみを抱き、ヴィルースで支配した本郷に殺させようとします。

しかし、プラーナシステムを持つ本郷とルリ子にヴィルースは効かず。

プラーナを過小評価していたのは、緑川博士に反感を持っていたからかもしれません。

 

ヴィルースというのはビールス、ウィルスのことですね。

オリジナルの蝙蝠男が「ビールス」と言っていたのに合わせてあるものと思われます。

ビールスはvirusのドイツ語読みで、昔は医学用語はドイツ語読みが主流でした。

他にもカルテ、ガーゼ、アレルギー、エネルギー…などもドイツ語式の読み方です。ビールスはすっかりウィルスに置き換えられたけれど、これらはまだ残ってますね。

コウモリオーグは何者か

コウモリオーグは、他のオーグメントとは違うところが目立っています。

他のオーグメントの多くがマスクを被っているのに対して、コウモリオーグは素顔が剥き出し。

それでいて、巨大な耳と獣じみた鼻を持つ異様な面相に変化しています。更に、バッタオーグやハチオーグのようなプラーナの翅ではなく、物理的に羽ばたいて飛ぶ肉体の一部としての羽根を持っています。

コウモリの特徴が顔にも体にも現れてる。この変化は、オリジナルの怪人の考え方に近いものがありますね。

 

クモオーグやKKオーグの在り方とも違う気がする。サソリオーグはほぼ素顔だけど、顔がサソリになってるわけではないし。

オーグメントの作られ方もいろんなパターンがある…ということかもしれません。

コウモリオーグはマッドサイエンティスト感があるので、自分で自分を改造したのかも。

そこは「真の安らぎはこの世になく」で描かれるのかもしれないですが。

 

オリジナルの蝙蝠男は人の首筋に噛み付いてビールスを感染させ、吸血人間にして意のままに操る、ドラキュラをイメージしたキャラクターでした。

漫画版でもオリジナル同様、蜘蛛男に続く第2の刺客として登場します。

初期仮面ライダーの怪奇ムードを代表する怪人です。

コウモリオーグ戦

ヴィルースでルリ子と本郷を制圧したつもりだったコウモリオーグですが、ところがぎっちょん!

生物に対して万能を誇るプラーナシステムによって、バットヴィルースは分解されていました。

ルリ子に翼を撃たれ、コウモリオーグは片翼に。この展開は漫画版を踏襲しています。

 

コウモリオーグの最後の舞台となる、庵野監督大好きな「線路」と「列車」が並ぶロケーションは、茨城県の鹿島臨海鉄道の貨物駅・神栖駅です。

 

コウモリオーグの口から、ライダーの跳躍力は66m30であることがわかります。

オリジナルのライダーのジャンプ力は垂直跳びで15.3 m、幅跳びで48.7 mということになってたので、この場合斜めに66.3m跳ぶことになるんですかね。数学に強い人、計算してください…。

サイクロン号との2段ジャンプで追いつき、ライダーキックで撃退。

上空からのキックでコウモリオーグを地面に釘付けにするのは、ドラキュラのように胸を杭で貫いて倒した漫画版の踏襲でしょうか。

コウモリオーグの最後の言葉は「緑川…なぜ誰も私を理解しないのだ…」でした。

 

ちなみに、オリジナルの「恐怖蝙蝠男」では、ライダーと蝙蝠男の戦いは夜のマンション屋上で終始します。

どちらも黒っぽいデザインなので、闇の中で戦っていると「何がなんだかわからない」という状況に…。ここも、庵野監督の言う「なんだかよくわからないけど格好いい」のポイントですね。

また、ここではライダーが戦闘員たちをマンション屋上から投げ落とし、血がびしゃっと飛び散る…という描写があります。ここも映画冒頭の血しぶきシーンのヒントかもしれません。

オリジナルの「よくわからなさ」を忠実に再現?

第二幕であるコウモリオーグ編は、かなりコメディ寄りというか、ざっくりした(省略の多い、テンポのいい、悪く言えば雑な)展開が目立ちます。

 

アジトが最初からわかってるというお気楽な導入。

警備ゆるゆるで一人で乗り込めちゃうアジト。

一人で平気と乗り込んだのにあっという間に無策でやられちゃうルリ子。

コウモリオーグの昔の怪人ぽいデザイン。クモオーグのコンセプトとも合ってなくて。

ライダーがバイクで飛び込んだらステージの上、という大胆な省略

「実は効いてなかった」だけの安易な逆転。

 

コウモリオーグの、何だかよくわからないヘンな作戦

観客席に大勢並べて、それがみんなルリ子と同じ格好してるのも意味がよくわからないし、ただ一斉に殺すためだけに用意したというのもあまりにも間抜け。

でもこれって、まさしく「オリジナルの仮面ライダーらしさ」なんじゃないかと思うんですよね。

 

オリジナルでは毎回ショッカーの怪人が、よくわからない雑な世界征服計画を立てては、いろいろと無駄な行動をして隙を作ってライダーとか滝とかライダーガールズとかを引き込み、結局ライダーにやられる…ということを繰り返していたものでした。

それは何ていうか、普通の人はオリジナルの「欠点」として捉えるのだけど、庵野監督はそこまで含めて、「仮面ライダーの面白さ」と捉えて、再現しようとしてるのでは?と思うのです。

いやだって、考えてみれば、「仮面ライダー」ってまともなストーリーが基本でごくたまにそういう変なストーリーがあったわけじゃなくて、そもそも全部がそういうものでしたからね。

仮面ライダーいいよね!と言うなら、当然そこまでコミで良いと言ってなくちゃおかしいのです。本来なら。

「仮面ライダーの面白さ」って何?

シン・仮面ライダーに関しての否定的なレビューを読んでいると、確かに頷けるものも多いんですよね。

例えば冒頭のトラック爆破シーンを指して「何が起こってるのかよくわからない」とか。

間を飛ばしてアジトに直結する展開に「省略しすぎ」「つながってない」とか。

敵の描き込みが薄く「シリアスなドラマ性に乏しい」とか。

いちいち頷きつつ、でもそれって全部そのままオリジナルの仮面ライダーに当てはまっちゃう指摘だなあ…と思うんですよね。

 

そういう部分は理屈で考えたら欠点になってしまうので、だから「仮面ライダークウガ」以降の平成シリーズでは一貫して、リアル志向で作り込みが行われいるんですよね。

仮面ライダーを「現代的に」「大人にも通用するように」作ると考えれば普通はそうなるのだけど、でもそういうアプローチはこれまでさんざんされてきたわけで。

それに、平成ライダーはリアルになった分、昭和ライダーにあった何かが確実に失われてもいるわけです。

それは省略ゆえのむやみなテンポの良さだったり、雑な展開ゆえのびっくりするような意外性だったりする。

 

オリジナルらしさと現代性の「間ではなく融合したもの」を目指すと、ドキュメンタリーでも発言がありました。

昭和ライダーにあった様々な要素を欠点ではなく個性と捉えて、排除するのではなく現代性と融合させていく…というのが、今回庵野監督が目指したものなのではないでしょうか。

 

オリジナルを超えるのではなく、オリジナルの面白さを世間に再認識させることが目標、とも庵野監督は発言しています。

レビューの方に書いたけど、ライダーの後ろ髪がちょろっと出てるのもオリジナルの初期がそうなっていたからで、それは「初期ゆえの粗さ」と受け取られていたものを、あらためて「カッコいいもの」に感じさせるためのこだわりだった。

 

それと同じことが、アクションにも、場面展開にも言えるんじゃないか。

オリジナルの粗いアクションをスマートな表現で書き換えるのではなく、オリジナルの粗い表現のままブラッシュアップする。

オリジナルの粗い場面展開をわかりやすく書き換えるのではなく、わかりにくいまま、それでも面白く作る。

そうして、オリジナルの「粗さ」までも、カッコよく面白いものであると多くの人に再認識させる。

オリジナルの再評価に繋がるのであれば、自身は批判されても構わない…という、ある種の悲壮な使命感さえも感じます。

 

それ現場で説明すればいいのに!とは思いますけどね。説明しないから、アクション監督がエヴァQのシンジくんみたいになっちゃうので。

でもQがああだったことを思うと、「説明しないこと」にも強いこだわりがあるのだろうなあ…と思います。

サソリオーグ

というわけで、次のサソリオーグは吹っ切れたようにはちゃめちゃな、マンガ的なシークエンスが繰り広げられます。

ほとんどコントなんだけど、クモ、コウモリと段階を踏んできてるから、まあそこまで唐突でもない。

オリジナルでも、どこかで怪人が「ショッカーの大量殺人パーティーだ〜」とか言ってそうな。

 

まあ、ギャグ要員にされちゃった長澤まさみはやや気の毒…ではありますが。

サソリオーグの衣装は、もうちょっと作り込んで欲しかったなあ…。この役回りでなおかつ見た目もチープだと、ちょっと残念ではありました。

衣装がチープなところが、まさにオリジナルのさそり男…とも言えるのだけど。

 

それにしても、ここでも「何が起こってるのかよくわからない」のは健在です。

サソリオーグは毒で警官を倒してるようだけど、どういうメカニズムかよく見えないし。

サソリオーグが何を目指して行動してるかもわからない。また、警官がどうしてオーグメントを倒せたのかもよくわからない。

 

この感じを「なんかよくわからないけどテンポが良くて気持ちいい」と取るか、「わからないことが多すぎてイライラする」と取るか、それによってシン・仮面ライダーの評価は別れていくような気がします。

これたぶん、オリジナルを知ってるかどうかにも関係なくて。

むしろオリジナルを知らない若い人にこそ、素直に受け入れられるかも…なんて思ったりもします。どうなんでしょ。

 

その3に続きます!

 

 

 

 

 

 

 

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