Pahanhautoja(2021 フィンランド)
監督:ハンナ・ベルイホルム
脚本:イリヤ・ラウチ
製作:ミカ・リタラハティ、ニコ・リタラハティ、ニマ・ユーセフィ
撮影:ヤルッコ・T・ ライネ
編集:リンダ・イルドマルム
音楽:スタイン・ベルグ・スベンドセン
出演:シーリ・ソラリンナ、ソフィア・ヘイッキラ、ヤニ・ボラネン、レイノ・ノルディン
①ユニークな北欧モンスターホラー
フィンランドで家族と暮らす12歳の少女ティンヤ。母は幸せな家族の動画を毎日アップ。ティンヤは体操の大会を目指して努力していました。そんなある日、ティンヤは森で奇妙な卵を見つけます。それを持ち帰りベッドで温めたところ、卵が孵化して不気味な鳥のような生物が現れます…。
これは面白い北欧ホラー映画でした!
冒頭、どこまでも続く深い森の中に、隠し絵のように家々が現れる。
いったいどんな秘境の町か…と思ったら、近づいていくとそうでもないんですね。割と普通の町。
フィンランドならではの、人の暮らしが深い森の中にある光景。これが、本作のホラーに独特の色彩を与えています。
そして、鳥。本作はモンスター映画でもあるんですが、本作のモンスターは鳥です。
幸せ家族の中に飛び込んで、不吉な死をもたらすのは、北欧神話でもおなじみのワタリガラスでしょうか。
ポーの「大鴉」でも描かれた、凶兆の鳥、レイヴン。
その鳥の卵を少女が拾って、ベッドの中で暖めて育てる。それによって、少女の抑圧された願望が怪物となって出現する…。
いかにも寓話的な話なんですよね。観ながら、いろんな作品が思い浮かんできます。
(連想したのは「カネゴンの繭」とか「のび太の恐竜」とか)
そして、卵から孵化する「鳥」(水鳥を意味する「アッリ」と名付けられます)はCGではなく、昔ながらの実在感あるアニマトロニクスで表現されています。
美少女と、グロテスクなアッリの取り合わせ。少女/母と怪物/子。
象徴に満ちた、なかなか魅力的な構図になっています。
②家族の呪いを描く
テーマとなるのは、表向き幸せいっぱいの家族の中でじわじわと培われる、思春期の少女の抑圧。
お母さんが自己顕示欲と承認欲求のカタマリなんですね。自分たちの幸せな姿を毎日撮影。ティンヤに体操させるのも、大会で活躍して家族がハッピーな姿をネットに上げるため。
それでいてその一方で、なんか家の修理に来た若い男と不倫する。
娘に見られても悪びれず、逆に不倫相手の家への週末の滞在にティンヤを招待する。
夫もそれを知ってるけど、何も言わずに好きにさせてるんですよね。「幸せな家族」のために。
このお母さんの有り様は、見ていて大いにムカつかされると共に、現代的な「自由」の行く末も感じてゾッとします。
昔から、北欧は性的に自由なイメージがあるけど。でも、この母親の行動は引いちゃいますね。
また、堂々とそんな行動をとられてもヘラヘラしてる父親も気持ち悪いし。
この父親に奇妙に似ている男の子もなんだか不気味です。
この子は常に不機嫌で暴力的で、この家族の中に常にある闇の部分が既に漏れ出してしまってる存在でもあるんですよね。
お母さんだけでなくお父さんも弟も、全員がどことなく気持ち悪い。
「ヘレディタリー/継承」にも似た、家族が醸し出す不穏が上手く生きたホラーになってると思います。
そういえば「ヘレディタリー」も「ミッドサマー」も、家族がもたらす呪いの話でしたね。
③母と娘の関係のメタファー
体操で選手の座を奪われそうになったティンヤを容赦なく追い込んでいく母親の態度は、ほとんど虐待と言えるものになっています。
でも、ティンヤは反抗はしない。
ティンヤが受ける抑圧と苦痛は、すべて彼女が育てるアッリが請け負っていくことになります。
「子である怪物」が「母」の怨念の化身となって、代わりに残虐な暴力を振り撒いていく。この展開はクローネンバーグの「ザ・ブルード/怒りのメタファー」も思い出します。
怪物を育ててしまって、その怪物が制御できず暴走する。という形も物語の原型で、「フランケンシュタイン」とかコレですね。
「グレムリン」とか「ランペイジ」とかもこのパターンになるのかな。
アッリは母であるティンヤに攻撃を加えるものを攻撃し、ティンヤの憎しみを先取りして、過剰な殺戮を繰り広げていきます。
これはつまり、ティンヤの人格の影の部分が分裂したのだとも言えます。「鳥」はティンヤの「影」ですね。
その構図が予言する通り、アッリは成長するにつれ人に変わっていき、それだけでなくティンヤそっくりになっていきます。
だから本作は全体として、子供の成長と変化、親からの脱却を描いているのだとも言えます。
アッリがティンヤになり変わっていくのは、ティンヤが自分自身の暗黒面に飲み込まれたと見ることもできるし、あるいはティンヤが「幸せ家族の幻想」から解放されて遂に自由を得た…という見方をすることもできますね。
④子供が変わるということ
本作は鏡合わせのような入れ子構造になっていて、母親とティンヤの関係が、ティンヤとアッリの関係で繰り返されています。
母親の望みを叶えるために笑顔を絶やさず、体操を頑張り、幸せ家族の一員であろうとするティンヤ。
ティンヤの望みを叶えるためにライバルに大怪我を負わせ、不倫相手の赤ちゃんを殺そうとするアッリ。
どちらもその動機は「母への愛情」ですが、母親とティンヤの関係が既に歪んでいることが、相似系であるティンヤとアッリの関係によってあからさまにされるという仕組みになっています。
最後、ティンヤを守るために母親はアッリを殺そうとするのですが、ティンヤはアッリを見捨てることができません。
ここも2つの親子関係が相似系になっていて、母親はティンヤへの愛情ゆえに、ティンヤはアッリへの愛情ゆえに、母親がアッリでなくティンヤを刺し殺してしまうという悲劇が導かれます。
ティンヤが死にアッリが生き残って、ここで完全に入れ替わりが完了する。
見た目はティンヤそっくりだけど、別人に変わってしまったものを、この先母親は娘として愛することができるのか?
親にとって、子が別人に変わってしまう恐怖。メタファー的には、大人になること、子が親離れをすることというのは、そういうことだったりもします。
⑤北欧らしい美しさと、モンスターのグロテスクと
と、いろんな象徴を読み取ることのできる映画です。観ながらも思索が刺激されて、これは好きな作りの映画でした。
また、多くのメタファーを含みつつも、基本路線は「かなりベタなモンスターホラー映画」というのも良かったですね。
演出もかなり正攻法で、音楽なども含め、割とオーソドックスなホラー映画として楽しむこともできる作品です。
(だからこそピー助とかカネゴンとか連想するのかもしれない)
そしてやっぱり、アッリの造形がいいですね。
羽毛がまだ生えてない、皮膚が剥き出しで胎児っぽい鳥の雛の気持ち悪さを上手く再現しています。
粘液出すしね。エイリアン的・ゴーストバスターズ的なネバネバ・ベトベトの粘液。そして強烈に臭い。
ティンヤがアッリを「吐瀉物を餌にして」育てる、というのもビジュアル的には強烈で。
ぶっ飛んだ直接描写の面白さは、楳図かずおの漫画なんかも連想しました。考えてみれば、本作の構造は「わたしは真悟」だったりもしますね。
北欧ってホラーでもオシャレなイメージで、実際背景の風景やインテリアなんかはとても洗練されているのだけど、モンスターに関してはオシャレのカケラもないんですよね。
むしろ不快さを掻き立てるようなグロテスク。
テーマ性と悪趣味ホラー要素の不思議な共存は、「TITAN/チタン」も思い出しました。。
「チタン」のジュリア・デュクルノー監督と同様、本作のハンナ・ベルイホルム監督も女性で、ホラー映画がデビュー作。
自身のオリジナルな表現のために、ホラーという形式を上手く使っている、という点で、共通するものがあるように感じます。
家族にかけられた呪いが破滅を招く。
北欧を舞台にした、これも「家族の呪い」ホラー。
「怒りのメタファー」として生まれる子供たちが、母親の怨念を晴らしていきます。
女性の体が変容していく痛いボディ・ホラー。
ついつい連想してしまった作品。そんな似てないけどね!