The Brood(1979年 カナダ)

監督/脚本:デビッド・クローネンバーグ

製作:クロード・エロー

製作総指揮:ピエール・デビッド、ビクター・ソルニッキ

撮影:マーク・アーウィン

編集:アラン・コリンズ

音楽:ブライアン・デイ

出演:オリバー・リード、サマンサ・エッガー、アート・ヒンドル、ヘンリー・ベックマン、ナーラ・フィッツジェラルド

 

①いいタイトル!

「クラッシュ」4K版からの流れでしょうか、デヴィッド・クローネンバーグの初期作が2K版で上映されていました。

 

クローネンバーグの初期作品と言えば、80年代のSFXブームの頃、「ヴィデオドローム」「ザ・フライ」で脚光を浴びたクローネンバーグの初期作品が、いろんな記事や雑誌で紹介されていたのを思い出します。

「シーバース/人食い生物の島」とか、「ラビッド」とか、本作とか。

なんかタイトルがそそるんですよね…どんな映画か想像がつかない。

特に「ザ・ブルード/怒りのメタファー」というのは、ホラー系のタイトルでは上位に入るカッコいい邦題じゃないでしょうか。

 

「ランボー/怒りの脱出」みたいだけど、メタファーだし。

どんな映画か分からない…と思ったら、観てみたらまさしく、そのタイトル通りの映画だったりするんですよね!

 

②クローネンバーグらしい人体変容の恐怖

精神不安定なノーラ(サマンサ・エッガー)は、著名な精神科医のラグラン博士(オリバー・リード)「サイコ・プラズミック」と呼ばれる最先端のセラピーを受けていました。ノーラの夫フランク(アート・ヒンドル)は、博士の施設に入院するノーラとの面会を終えた娘キャンディ(シンディ・ヒンズ)の体に、多くの痣があるのに気づきます。ノーラによる虐待を疑ったフランクは、もうキャンディをノーラに会わせないとラグラン博士に宣言し、ノーラの母にキャンディを預けますが、家に侵入してきた不気味な子供によって、ノーラの母は殺されてしまいます…。

 

本作の中心となるアイデアは、怒りの感情が具現化されて、奇形の子供の形をとって、殺しに来る…という奇想

ノーラの下腹部に不気味な外部の子宮のような腫瘍ができて、そこから性別もへそも持たない奇形の赤ん坊が這い出て来る…という、クローネンバーグらしいぐちょぐちょした人体変容が見どころになっています。

 

まさに怒りのメタファー

なぜそういうことが起こるのか…は、映画の中では一切説明されません。とにかく、そういうことになってしまったのだ…というだけ。

精神上のものが血と肉を得て、物質的なものにそのままするりと変換される。

精神と肉体は繋がっていて、精神の変容に応じて肉体も歪んでいくという、クローネンバーグがその後ずっと追い続けていくテーマが既にはっきり描かれています。

③子供恐怖症の映画

怒りのメタファーだけど、産まれてしまえば肉体だから、ガンガン物理的に攻撃してきます。

サイズは子供、しかし内面は怒りそのもの。まったく迷わずに殺りに来る。

そして子供サイズだから、棚の上とかベッドの下とかに潜める。廊下の隅のちょっとした影にも潜んでいるかもしれない。

そして、ハンマーとか持って飛び出して、迷わず頭をかち割りに来る。怖いです!

 

このブルード(同腹児)、ノーラの怒りさえあればいくらでもポンポン産まれて来るので、後半はたくさん出てきます。

大勢でわらわらと飛びつかれて殺される。いくら子供でも、抵抗できない。

 

本作の殺人描写はなかなか強烈。

超自然的な殺し方じゃなく、殴る切る絞めるの直接的な殺し方になっていて、目を背けたくなるような現実感につながっています。

トラウマになりそうな、「子供恐怖症」の映画になってます。

 

ブルードたちは徹頭徹尾怖いんですが、見た目のシルエットは子供なので、その立ち姿は可愛くもあります。そこも本作のミソですね。

赤青黄色のモコモコしたスノージャケットを着込んだ子供たちが、雪の道をとことこ歩いていくシーンとか、まるでメルヘンのような可愛さに満ちてます。

…ってそのシーンはブルードたちがキャンディを誘拐して連れていくシーンで、可愛さが逆説的に怖いんですけどね。

 

手を繋いで歩くのがかわいい!

④壮絶な公私混同!

本作でもう一つ顕著なのは、怒りのメタファーを産み出している主体であるノーラへの憎しみです。

精神を病んでいて、怒りの衝動を抑えられず、暴力や暴言、虐待に走ってしまうノーラ。

そのあげく、自分の肉体までも変質させてしまい、怒りの具現化である不気味な奇形児を産み出す怪物と化してしまっている。

こういうキャラクターの場合、恐怖と共に同情的な視点とか、心ならずも異形と化した悲しみが描かれるのがよくあるパターンですが。

本作は、そこがないんですね。ノーラは最初から最後まで徹底して、恐怖と憎しみの対象として描かれています。

 

ここには、当時のクローネンバーグの状況が大きく関わっています。

本作製作中、クローネンバーグは「最初の妻と娘の親権を巡り泥沼の離婚劇を繰り広げて」いたそうで、本作はまさに娘を奪おうとする妻への怒りと憎しみを込めたものになってる。

もう、ほとんど私怨をぶちまけたような作品と言えるんですね。

 

映画の中では、フランクがノーラに歩み寄ろうと、優しい言葉をかけるけれどノーラは信用せず、逆恨みして激しい憎悪をぶつけてきて、そしてその肉体の醜さもさらけ出し、生殖によらずに産んだ奇形の赤ん坊の血を舐め回す。

そんな元妻の醜い姿に、キレたフランクは渾身の力で首を絞めてくびり殺す…。

これもう、ほとんど当時のクローネンバーグの心の底からの「願望」じゃないでしょうか。

 

こういう「公私混同」で思い出すのは、やっぱり「ミッドサマー」のアリ・アスターですね。

自らが恋人と別れた体験をきっかけに、裏切られた女性が自分を裏切った男を火あぶりにする映画を作ったアリ・アスター。

泥沼の離婚調停中に、怪物化した妻を夫が絞め殺す映画を作ったクローネンバーグ。

どっちもすごいな。

 

両方の映画に共通する一種異様な鬼気迫る迫力の秘密は、そんなふうに本音をぶっちゃけて自身の創作にぶち込んでしまう度胸にあるのかもしれません。

しかし、どちらも現実の相手はたまんないだろうな。

⑤コンプライアンス無視!の過激さ

この頃のホラー映画を観ていて感じるのは、当時ならではの描写の過激さ

コンプライアンス? 何それ?みたいな時代だからね。痛快でもあり、観ていて若干心配にもなります。

 

幼稚園の子供たちの目の前で、優しい女の先生が惨殺される容赦のなさ。いくら作りものだとわかっていても、子役たちは衝撃デカいんじゃないかなあ…。

クライマックスでは、幼いキャンディが「シャイニング」のウェンディ並みに追い詰められます。

死体の山の中で呆然とするキャンディ役の女の子の表情は、もはや演技を超えてそう。トラウマにならないか心配。

 

こういう容赦のなさとか、カナダの美しい雪景色とのコントラストなど、これもアリ・アスターとの共通項を感じます。

何かと、古いホラー映画からアリ・アスターを連想することが多いですね。この間の「ローズマリーの赤ちゃん」もそうでした。そこが、今乗ってるってことなのかな。

というか、アリ・アスターのセンスが良くて、過去の遺産をしっかり吸収してるということなんだろうな。

 

音楽の面では、盟友であるハワード・ショアと初めて組んだ作品です。

クローネンバーグとショアは、これ以降ほとんどすべての作品でコラボすることになります。

基本的には低予算だし、荒削りなところも多い作品ですが、今観ても全然面白い。ある種の実感の込もった迫力のある映画になってると思います。機会があれば、ぜひ。