Belfast(2022 アイルランド、イギリス)

監督/脚本:ケネス・ブラナー

製作:ケネス・ブラナー、ローラ・バーウィック、ベッカ・コヴァチック、テイマー・トーマス

撮影:ハリス・ザンバーラウコス

編集:ウナ・ニ・ドンガイル

音楽:ヴァン・モリソン

出演:ジュード・ヒル、カトリーナ・バルフ、ジェイミー・ドーナン、キアラン・ハインズ、コリン・モーガン、ジュディ・デンチ

①ストレートな王道娯楽映画

ベルファストといえば、「機動戦士ガンダム」のミハルのエピソードを思い出す…というのは、世代的な習性ですが。

アニメから印象に残っているのは、ヨーロッパの陰鬱な港町の風景。

明るい、陽光溢れる…って感じではなくてね。

実際、ケネス・ブラナーの記憶に残っている幼少期のベルファストはモノクロの印象で、本作を白黒で撮ったのはそのため。

 

本作は「ナイル殺人事件」などで知られるケネス・ブラナーが、自身の幼少期の体験をもとに描いた自伝的な作品です。

ケネス・ブラナーはシェイクスピア俳優/演出家として名をなし、文芸的なシェイクスピア作品からマーベルのメジャー大作まで、多くの監督作・出演作を持っています。

監督主演をこなした「ナイル殺人事件」「オリエント急行殺人事件」を観ても、また「マイティ・ソー」などを観ても、割と王道のエンタメ作品というか、ストレートな分かりやすさを追求する人という印象があります。

ベタというか。考えてみればシェイクスピアというのも、今日のエンタメの基本になっている王道中の王道と言えますね。

 

なので本作も、白黒映像や個人的な自伝的作品などの作家的な要素を持ちつつも、全体の印象としては非常に王道で分かりやすい

メッセージ性も明確で、ブレがない。とても観やすい娯楽映画になっていると感じました。

②北アイルランド問題についての補足

1969年、北アイルランドのベルファスト。プロテスタントとカトリックの抗争が市民を分断する中で、9歳のバディ(ジュード・ヒル)の暮らす街はバリケード封鎖されてしまいます。そんな中でも、バディは初恋の女の子にときめいたり、映画を観て興奮したり。しかし対立は激しさを増し、バディの父親のパ(ジェイミー・ドーナン)と母親のマ(カトリーナ・バルフ)は、ロンドンへ移住することを考え始めます…。

 

舞台となるのは、1969年の北アイルランド、ベルファスト。

いわゆる北アイルランド紛争が物語の背景になっています。

劇中ではほとんど説明されないので、最低限の知識だけは持っておいた方が観やすいとは思います。

 

アイルランドがイギリスから独立したのは1920年。その際、北アイルランドはイギリスの一部として残されました。

アイルランドは古くからカトリックの住民が多かったのですが、北アイルランドにはイギリスからの植民者の子孫であるプロテスタントの人々が多く住んでいました。

 

すなわち北アイルランドでは、多数派であるプロテスタント=イギリスとの連合維持を望むユニオニストと、少数派であるカトリック=イギリスからの独立と南北アイルランドの統一を望むナショナリストが、衝突の火種になっていきます。

北アイルランドでは多数派であるプロテスタントに有利な政策がとられ、カトリックは差別されていましたから、その権利の回復を求める運動が起こってきます。

また、60年代後半にはアイルランド共和国軍(IRA)が武装闘争を開始し、テロが頻発するようになります。

そうした動きに対抗して、北アイルランドのプロテスタント住民の一部は先鋭化し、カトリックへの攻撃を過激化させていきます。

 

…というのが、映画の舞台である1969年ベルファストの状況になります。

主人公バディの一家はプロテスタントですが、彼らの住む通りは伝統的にカトリックの住民が多い地域でした。

とは言え同じ国民なわけで、それまでは特に区別のないお隣さんとして、平和に共存してきたわけです。

でもそれが、ある日突然理不尽な暴力によって壊されて、取り返しのつかないくらいに失われてしまう。

その理不尽さは、今のウクライナにも通じるものがあるようです。

 

③対立の無意味さを際立たせる子供の視点

…という時代背景なのですが、それは映画を観た後に調べたことで。

僕は恥ずかしながら、北アイルランド問題についてはおぼろげにしか覚えていなくて。

カトリックとプロテスタント? どう違うの?

どっちがイギリスで、どっちがアイルランドだっけ?

…というくらいの状態で映画を観ました。

 

それで全然分からないか…といえば、そんなことはなかったと思います。

というのは、映画は幼いバディの目を通して描かれているから。

政治のことも宗教のこともよく分からない子供の目を通して、突然降りかかった訳の分からない暴力として、描かれていく。

 

だから、むしろ分からなくていい。

複雑な歴史や信念を背景にした対立が、でも実のところは大人だけの理屈でしかなくて、子供の目から見ればまったく意味のない、馬鹿馬鹿しい対立であること。

それを子供と同じ感覚で体感できるという点で、キリスト教に詳しくない日本人であることは、むしろこの映画にとっては有利かもしれないですね。

 

実際、対立しているどちらも同じ民族で、見かけも同じ。同じ言葉を喋っているわけで。

宗派が違う…と言っても、日本人から見れば同じキリスト教にしか見えないくらいの違いですね。

劇中でも、バディが年上の子供に質問する。「プロテスタントとカトリックって何が違うの?」

誰も、子供に分かるように答えることはできない

 

そんな小さな違いで人々が分断されるなんて、ましてや殺し合うなんて、なんて意味不明なことだ…と感じます。

子供に説明できない理由なんて、本当はそのために殺し合ったりしなくていい理由なんだと思いますけどね。

でも実際、ほとんどの戦争はそういうところから起こっているんでしょうね。

④かけがえのないふるさとを描く

そんなシビアな時代を背景にしつつも、物語は幼いバディに寄り添って、等身大の日々を描いていきます。

少年時代の、何でもないけどかけがえのない日常。

モノクロ映像でも、その美しさは伝わってきます。

 

街がバリケード封鎖されても、危険と隣り合わせの生活でも、その中でそれなりに楽しく過ごしてしまう子供ならではのバイタリティ。

温かいユーモアも込められて、やはり王道コメディになっているんですよね。下町人情喜劇…というムードでもあって。

 

いよいよ命さえも危険になってきて、大人たちは移住することをバディに告げる。

でも、バディは「引っ越しなんてイヤだ!」と泣くんですよね。「友達や、おじいちゃんやおばあちゃんと離れたくない!」と。

 

風景が白黒であることも相まって、ふるさととは要するに場所ではなく、人なんだということが伝わってきます。

そこで一緒に時を過ごした多くの人々。

多くの人々との関わりの中で、見聞きしたり、行ったりした様々なこと。それがかけがえのないふるさとであるということ…ですね。

⑤通り抜けてきたあらゆる体験がふるさと

日常がモノクロで描かれる中で、バディたちが観る映画は鮮やかなカラーで描かれる。その対照も、印象的でした。

総天然色で大画面に展開する「チキ・チキ・バン・バン」と、その映像に夢中になってほとんど4DX並みにのめり込むバディの家族たち。

 

ケネス・ブラナー監督の映画への愛が、溢れるほどに伝わってくる。

もちろんそれだけでもなくて、そこで観た映画や舞台やテレビなんかも全部含めて、ふるさとなんですよね。

バディの、そしてケネス・ブラナーの。

 

劇中にはアガサ・クリスティの本とか、「フランケンシュタイン」とか、「ソー」のコミックとか出てきて、ケネス・ブラナーのキャリアへの楽屋オチ的な目配せになっていますが。

これらもすべて、ケネス・ブラナーという人に影響を与え、形作ってきたという意味で、ふるさとの一部であると言える。

 

人や出来事や映画や本や、通り抜けてきたあらゆる体験がその人のふるさとで、それはその人をその人たらしめた、本当に大切なものであって。

だからこそ、それを破壊する、紛争や戦争、暴力は決して許されてはならない

意図的ではないけれど、やはりこれも今の時代に訴える作品になっていましたね。優れた表現というのは、自然とそうなるものなのだろうと思います。

 

 

 

本国での公開順で言うと、こちらの方が最新作になるようです。

 

ケネス・ブラナーが監督/主演でポアロを演じた第1作。

 

クリストファー・ノーラン監督とも縁の深いケネス・ブラナーです。