Possessor(2020 イギリス、カナダ)

監督/脚本:ブランドン・クローネンバーグ

製作:フレイジャー・アッシュ、ニヴ・フィッチマン、ケヴィン・クリクスト、アンドリュー・スターク

撮影:カリム・ハッセン

編集:マシュー・ハンナム

音楽:ジム・ウィリアムズ

出演:アンドレア・ライズボロー、クリストファー・アボット、ジェニファー・ジェイソン・リー、ロッシフ・サザーランド、タペンス・ミドルトン、ショーン・ビーン

①人間性の変質と、鮮血の猟奇性

タシャ(アンドレア・ライズボロー)は遠隔殺人という手法でターゲットを殺す殺し屋です。彼女はターゲットの近くにいる人物の人格を乗っ取り、ターゲットを殺した後、自殺することによって「離脱」して元の体に戻ります。しかし、彼女は離脱のための拳銃自殺ができなくなっていました。別れた夫マイケル(ロシフ・サザーランド)と息子アイラへの思いが、彼女を迷わせていました。そんなある日、上司ガーダー(ジェニファー・ジェイソン・リー)は新たなターゲットとしてIT企業の社長ジョン・パース(ショーン・ビーン)を指定し、タシャはジョンの娘エヴァ(タペンス・ミドルトン)の恋人コリン・テイト(クリストファー・アボット)の人格を乗っ取りますが…。

 

デヴィッド・クローネンバーグの息子であるブランドン・クローネンバーグ監督による作品です。

人間性の変質を描く、異様な世界は父親譲り。

そこにダリオ・アルジェント監督ばりの鮮血の美学過激な人体損壊描写が加わって、一種独特な迫力ある作品になっています。

 

本作はR-18+指定。レーティングを引き上げてるのはエロではなく殺人の直接描写です。

ナイフによる滅多刺し。とにかく執拗なまでに何回も、腹やら喉やら刺しまくる。

溢れ出る大量の血液

過剰に残酷な偏執狂的殺し方。

人間の肌にナイフがずぶずぶと刺し込まれていき、鮮血が溢れ出してくるクローズアップのスローモーション。

 

CGを一切使っていないと誇らしげにうたわれてますが、非常に病的な「リアルな」殺害描写が全編に散りばめられています。

血が流れる描写に弱い人は要注意。かなり精神をヤられる映画になっています。

 

②違和感に彩られた物語

本作の特徴は、説明や背景描写が極端に少ないこと。

主人公のタシャにしても、どういう人生の果てに今の境遇があるのか、まったく描かれない。

ただ、今のタシャの行動が描かれていくだけです。

 

タシャは殺し屋と、夫と子供と平和な暮らしを営む妻/母親と、2つの顔を持っています。

タシャは見かけは後者の方が似合って見えるのですが、しかし殺し屋として行動する時の残虐さは異様です。

夫と子供の存在はタシャにとって安らぎであるはずですが、殺し屋の上司ガーダーにとっては「危険な因子」であり、排除すべき邪魔なものです。

タシャは「子供の頃に作った蝶の標本」を見て罪悪感を感じます。殺人への罪悪感、夫と子供への愛着などがタシャが任務遂行する妨げになっていて、それは離脱に必要な拳銃自殺ができないという形で現れています。

 

コリンからの離脱に失敗したタシャはコリンに体のコントロールを奪われ、夫と子供がピンチになります。

しかしコリンの脳内から語りかけたタシャは「マイケルは邪魔だから殺せ」と命令。

マイケルはコリンに殺され、ガーダーに操られたアイラがコリンを殺して、タシャは離脱します。

目覚めたタシャからは、蝶にまつわる罪悪感も消え失せている。かくして、真の殺人マシーンが誕生した…ということになります。

 

本作は、そういう物語ですね。まず第一には。

まだ人間味を残していた女性が、人間らしさを完全に捨て去り、得体の知れないモンスターのような存在に生まれ変わる物語。

 

しかし、そのプロットのあちこちに、不可解な違和感が散りばめられていて、スッキリしない気持ち悪さにつながっています。

そもそも、タシャはどうしてこんな特殊な殺し屋なんかやっているのか。

あの異様な仕事と、夫や子供との生活はどうやって両立してきたのか。タシャの仕事にマイケルがまったく気づかないって、あり得ない気がします。

というか、あんな秘密組織がタシャにまともな結婚を許しているというのも奇妙に思えます。

 

また、タシャがターゲットを拳銃で殺せず、ナイフで刺殺するのも謎です。罪悪感ならナイフだって同じだし、タシャはむしろもっと残酷でグロい殺し方をしています。

タシャが最後なぜ、マイケルを殺すように言ったのか…というのも不明瞭ですね。

 

…という様々な不明瞭が全体の輪郭をぼやかしていて、すごく気持ちが悪い

気持ちが悪くて、それがクローネンバーグ的に気持ちがいい…という。なかなか面白い構造です。

③フェミニズム的な解釈

一見ハッピーに見える夫と子供との生活が実は欺瞞で、それを脱却して真の自由を得る。

…という筋立てでで連想したのは「マトリックス レザレクションズ」でした。

 

「レザレクションズ」のトリニティは、敵AIによって「夫と子供たちと幸せに暮らす生活」という虚像を押し付けられていました。

本当の自分に目覚めたトリニティは「良い妻、良い母親」という役割を脱ぎ捨て、ネオを超える救世主へと生まれ変わります。

 

本作からも、フェミニズム的な含みを読み取ることは可能です。

タシャは男の体を操って、男を殺す。

体の支配権を巡って、タシャとコリンがせめぎ合う。

互いに相手を支配下に置こうとする、男性と女性の戦い。

 

コリンがタシャの元夫を訪ねて行って、「タシャはどこだ」と迫るのは、まるでタシャの新しい男が前の男のところに怒鳴り込んで来たようです。

ていうか、マイケルからはそんなふうに見えるでしょうね。殺し屋とか遠隔殺人とかのぶっ飛んだSF設定を取り除いたなら。

コリンは、タシャを支配しようとするDV男で、タシャは前の夫に走るけれど、そもそも男に頼ること自体が自分を縛っていることに気づいて、コリンからもマイケルからも離脱する…。

 

そんな「女性の自立」的な寓意を読み取ることも可能です。

可能ですが、自立したその先に獲得するのが「罪悪感の消え失せた殺人マシーン化」というのは相当にブラックですね。

④タシャの実体は男性か

「マトリックス レザレクション」には、ラナ・ウォシャウスキー監督自らのジェンダーの縛りからの解放というテーマもありました。

本作では、タシャのジェンダーも意図的に不明瞭にされているように感じます。

 

タシャは女性としてマイケルと、男性としてエヴァとセックスを行います。

男性としても、タシャは戸惑いなくこなすことができます。

というか、マイケルとしている時の気のない表情より、エヴァとしている時の方が情熱的に思えます。

 

全体を通して、タシャは実は男性なのではないか…と思える節があります。

ガーダーは女性ですが、タシャへの接し方は上司と部下の関係を超えたものがあるように見えます。ガーダーはタシャを愛しているようです。

であれば、マイケルは文字通り「邪魔者」になります。

 

伝統的に、銃は男性器の象徴とされます。

拳銃を男根と考え、タシャを男性と考えれば、タシャが男性に対して銃で殺さずナイフを使い、女性は平気で銃で殺すことも、首尾一貫したものになります。

また、自分に対して銃を使う拳銃自殺…その時タシャは銃を口に咥える…をタシャができないというのも、意味が見えてきます。

口の中にぶっ放す拳銃自殺は、オーラルセックスの象徴になりますね。

 

タシャの行動に散りばめられた象徴からは、男性として男性とセックスすることへの嫌悪が見えてきます。

それを女性としての男性嫌悪と受け取ることもできるけれど、むしろ男性のホモフォビア的な受け取り方をした方が、しっくりくるようです。

 

タシャがコリンから脱けられなくなったことを考えると、タシャの中には実は、それ以前に脱けられなくなった男性の本体がいるのかもしれません。

殺し屋は実はその男性で、タシャは殺人のために体を利用されただけ…と考えると、タシャがいかにも普通の主婦のように見えることも納得がいきます。

その場合、ガーダーはその男性の恋人だったと解釈できます。

途中で出てくるあの変なマスクも、タシャの見かけが「仮面」である示唆かもしれません。

 

殺し屋である男性がタシャの肉体を乗っ取るけれど、何らかのアクシデントで離脱できなくなる。仕方なく、男性はタシャの中で生きることになる。

タシャの人格になってしまうのを防ぐため、思い出の品を使って男性の記憶を呼び覚ます。

ボロが出ないよう夫マイケルとも別れたけれど、タシャの人格がところどころ戻ってきて、マイケルやアイラに会いに行ってしまう。

マイケルへの挨拶をタシャが「練習」するのも、別の人格が混じっていて記憶が定かではないからと解釈できます。

 

そうして、男性とタシャが押し引きする状態でなんとか生きていたけれど、コリンにマイケルを殺させることによって、タシャは完全に男性の人格になった…というのがラストシーンです。

その場合、コリンに語りかけたのはタシャでなく男性の人格ということになるでしょう。

⑤男性になりたい女性の物語…という解釈も

そしてこの解釈も、更にメタファーとして捉えることが可能です。

タシャの中にいる男性というのは、特に遠隔殺人装置のようなSFを持ち込まなくても、タシャの性自認の問題として、普通に解釈することができます。

 

タシャをトランスジェンダー男性と考えても、銃のメタファーは同様に機能します。

コリンがマイケルを殺すことでタシャが「男性になる」というのも同様ですね。自己の性別に迷いを持っていた女性が、迷いを断ち切って男性になる過程と見ることができます。

 

他人の脳を乗っ取る行為を「男性になる願望」、男を滅多刺しで殺す行為を「セックスの対象としての男性への否定と嫌悪」と捉えることもできそう。

ということは本作は性自認に悩む主婦が男になった自分を夢想して、自分に女性性を求めてくる男どもを切り裂きまくる性転換ファンタジー?

 

他にも…コリン・テイトを主体として捉える解釈はどうだろう。

コリンを主人公と考えるなら、彼の体験は典型的な精神病(統合失調症)体験といえます。

誰かの命令が聞こえ、自分の体が意思に反して誰かに操られる。誰かに体を乗っ取られる…というのは、すべて精神病の症状として解釈できます。

 

タシャはコリンの妄想の中の存在で、本作は彼が逆に「女性化」する物語なのかもしれない。彼が拳銃=男根を拒否するのは、それゆえであるとも考えられます。

 

…どこまでも妄想できちゃう。観た後も延々と楽しめる、妄想がはかどる映画です。

エグい殺人描写が無理でなければ、オススメです!

 

 

 

 

 

これまでにレビューした父クローネンバーグ作品3本。

 

タシャ役のアンドレア・ライズボローがタイトルのマンディを演じています。

 

ガーダーのジェニファー・ジェイソン・リーが体当たり。

 

フェミニズム革命映画の傑作だと思います。