偶然と想像(2021 日本)

監督/脚本:濱口竜介

プロデューサー:高田聡

エグゼクティブプロデューサー:原田将、徳山勝巳

撮影:飯岡幸子

出演:古川琴音、中島歩、玄理、渋川清彦、森郁月、甲斐翔真、占部房子、河井青葉

①硬い台詞回しなのに、不思議と感じるリアリティ

2021年に観た最後の映画です。

濱口竜介監督は、「寝ても覚めても」がピンと来なくて、どちらかというと嫌いな映画で。

「ドライブ・マイ・カー」はピンと来た…のだけれど、別にそれほど好きな映画でもないなあ…という印象でした。

で、本作「偶然と想像」。ここに来て、いろんなパーツが気持ちよくハマった感覚があって。

これは、とても好きな映画でした。

 

3本の短編を集めたオムニバス映画です。テーマは「偶然」と「想像」。

ごく限られた登場人物で、限定されたシーンをスケッチする「何気ない映画」。基本的に台詞劇です。

 

濱口竜介監督の作品の特徴として、台詞回しは基本的に硬いです。

決して「本当にありそう」なリアルな喋りではない。たぶん現実には人はこんなふうには喋らないし、こんな内容のことも話さないだろうと思える、舞台劇的な台詞回しになっています。

日常的な場面と硬い台詞回しの組み合わせが常に貫かれていて、何気ないシーンであっても画面にはどこか「違和感」「緊張感」があります。

常にどこか、張り詰めたものがある。

 

硬い台詞回しだから絵空事に見えるかと言えばそんなことはなくて、そこにはなぜか不思議と「リアリティ」があります。

通常使う意味とはちょっと違う、独特の「リアリティ」なのだけど。

現実に寄せていないのに、そこには確かに生身の人が生きていて、葛藤し、気分が移り変わっていく。息遣いがあります。

わざとらしくない、抑制された言動の向こう側に、本人も制御しきれないでいる感情の熱気のようなものが、感じられます。

 

その結果、本作は派手なアクションも何もない、ただ人と人が静かに話しているシーンしかないにも関わらず、「次にどうなるのか」が読めなくてドキドキするし、深く心を揺さぶられるものになっています。

つまり、見事に「映画」になっているんですね。

 

この文章は、いったいどうやってそんな芸当ができているのか、その秘密に少しでも近づきたくて、分析を試みるものです。

なので、各編のストーリーについてネタバレしています。それぞれの短編は意外性も含めて楽しむことが出来るので、未見の方はご注意をお願いします。

 

映画館だけでなく、公式サイトから配信版を観ることもできます。

②魔法(よりもっと不確か)

撮影の後、モデルの芽衣子(古川琴音)とヘアメイクのつぐみ(玄里)はタクシーの中で、つぐみが最近出会った男(中島歩)の話をします。不思議と波長が合って、男との出会いは魔法のようだったとつぐみは話します。つぐみがタクシーを降りた後、1人になった芽衣子はある場所へと向かいます…。

 

偶然にも、友人の語る「魔法のような出会いをした男」が自分の元カレであることに気づいてしまった芽衣子。

この短いストーリーを通して、彼女の表面的な表情はほとんど変わらないのだけれど、内面は激しく揺れ動き、ころころと様相が変わっていきます。

いくつもの、互いに相反する思いが、彼女の中には渦巻いています。その中のいくつかは自覚的だし、いくつかは自分でも気づいていなくて、彼女自身をびっくりさせることになります。

 

まずは嫉妬の感情。友人であっても、友人であればこそ、湧き上がってくる対抗心。

自分が上手くいかなかった男との出会いを「魔法」だと語る友人に、彼女は激しく嫉妬しています。

自分と彼との時間の方が、ずっと魔法のようだった。そんなふうに意地を張りたくなる気持ち。

 

それと同時に、芽衣子は男への怒りも感じています。友人であるつぐみと互いに魔法と思えるほどの時間を過ごしたのに、芽衣子のことをまだ引きずって、尻込みしたように見える男への怒りです。

友人への嫉妬と、男への怒りは相反する感情です。互いに矛盾しています。

 

男がこだわっているのは芽衣子のことだから、芽衣子の嫉妬心はある意味で果たされていると言えます。芽衣子の存在は消えずに男の中に残り続けているわけだから。

でも、芽衣子は自分から男を振って、別れてしまっています。それが上手くいかなかったことも、もう分かっている。

だから、彼女の気持ちはどこにも辿り着きようがない

そんな状態のまま、芽衣子は衝動的に男に会いに行きます。

行ってどうしようというのか、彼女自身にも分からない。自分自身がどうするのか、それは「魔法よりも不確か」です。

 

そんな状態のまま始まってしまう、芽衣子と男の会話シーン。これって、まさにアクションシーンだと思うのですよ。表面上はただ話してるだけだけど。

彼女自身、自分がどこへ向かうか分かっていない。彼女の中の思いは矛盾しまくっていて、男の側も実はそうで、このシーンがどこへ着地するのか誰にも分からない。

先の読めない緊張感の中で観客は、自ずと様々な想像を喚起されることになります。

 

男に向けて投げる言葉はキツいので、表面上、芽衣子はとてもひどい女であるように見えます。

でも、この会話シーンは決してでたらめには見えない。メンヘラ女のわがままを見せられてるようには感じないし、彼女を嫌いになることもない。

それは、この会話シーンが上に書いたような自然な心理に裏打ちされているから。

だから極めて「リアル」だし、表面上キツい言葉になってしまうことが「切なく」感じられてくるんですよね。

 

人って、複雑ですよね。誰もがいろんな性格を持ち合わせていて、決して一面的じゃない。

同じ入力でも、常に同じ出力を返すとは限らない。その時々で、正反対の行動を取ることもあり得る。

そこに「なぜそうしたのか」が感じ取れないと、ただ意味が分からない…ということになるけど、心の裏打ちが伝わっていれば、それはたとえ「おまえ、めちゃくちゃだな」というような行動でも「リアリティ」になるわけです。

 

芽衣子の葛藤は、この短編で2回繰り返されます。深夜のオフィスと、昼間のカフェと。

それぞれで彼女は正反対の行動を取ります。

それは彼女が自分の意思で選んだとも言えるし、ちょっとした偶然でそうなっただけだとも言えます。

自分の心がその時々でどう変わるか、自分でも予想がつかないのだし、また別の場面であれば彼女は別の選択をしたかもしれない…という意味で、すべては偶然だとも言えます。

 

そんな、人の心の不確かさ。魔法よりもっと不確かな心を誰もが抱えて、人と人とが関係を築いているこの世界の、それだからこその面白さ。

そういう普遍的なものを、描き出している短編だと思います。見事です。

 

③扉は開けたままで

瀬川教授(渋川清彦)に留年させられた佐々木(甲斐翔真)は逆恨みし、セフレの奈緒(森郁月)にハニートラップを仕掛けるよう持ちかけます。奈緒は瀬川の部屋を訪れますが、瀬川は扉は開けたままにしておくよう求めます…。

 

不思議な話。出てくる誰もがみんな、ちょっとずつゲスで、ちょっとずつ病んでいて、同時にちょっとずつ誠実で。

夫も子もある主婦なのに、頑張って大学生になって心理学を学んでいる、向学心ある前向きな一面と。

夫も子もある主婦なのに、大学生と不倫していて、セックスと引き換えに、彼の頭の悪そうなハニトラ計画に加担してしまう愚かな一面と。

そのどちらも併せ持っているのが、奈緒という女性で。

 

誰しも大人になると、「自分はどういう人か」がある程度分かって、その枠の中で行動するようになるものです。

自分の行動の予想がつく…というか。それが、第1話の芽衣子との違いかもしれない。

でもそれは同時に、「自分はどういう人にはなれないか」を自分で規定してしまうことでもあります。

 

奈緒にはたぶん、「自分は性的にだらしないダメな人間だ」というネガティブな自己認識が根強くあって。

それがある種の絶望として、彼女の人生を規定している。

だから彼女は不倫をしたり、バカなハニトラ計画に乗ってしまうのだろうと思います。

 

瀬川教授に色仕掛けで迫ろうとしても通じず、瀬川から人格を評価され、承認されることで、奈緒は「生きるのが楽になった」ような気分を感じることができます。

これ、自分で自分にはめていた「枠」を、瀬川教授の言葉が取り払ってくれたのでしょうね。

 

そして、それは瀬川教授の方も同じだと思うのですよね。

強い言葉で奈緒を勇気づけてくれる瀬川教授。彼は世間に流されず、「自分の中の価値を抱きしめて」生きてきた人で、それは確かに魅力的ではあります。

でもその一方で、彼の世界は世間に背を向けて閉じている

結婚もせず、女にも目を向けず。まるで、自分の小さな世界を崩されることに怯えるように。

パワハラやセクハラを疑われることを恐れて、執拗に「扉を開けておく」様は、彼の臆病さの表れであるようです。

扉を開けたままにすればするほど逆にオープンにならず、彼の世界は小さく縮こまって閉じていく。

 

奈緒が瀬川の言葉に救われたように、瀬川も奈緒の言葉に影響を受けて、ほんの少しですが変わろうとしているようです。

録音を欲しいと求めるなんて、用心深い瀬川の行動原理からは大きな逸脱だったでしょう。

また、彼はその録音を聞きながらオナニーすることも約束しているわけで。

仙人のよう、あるいは幼児のようだった彼の世界は、今更ながら新しい領域に一歩踏み出そうとしていたのかもしれない…。

 

と言っても、それは想像に過ぎない。

セガワとサガワの打ち間違いという冗談みたいな偶然で、その変化は断ち切られることになります。

 

この短編は、最後のバスのシーンもいいんですよね。これがあることで、本作は艶笑小噺みたいな枠を脱して、もう一段広いところへ向かっているように思いました。

再会という偶然で、奈緒が何かを想像して、そして何かのスイッチが入る。

その時の奈緒の顔が、美しい。

それが何かは、はっきりと描かれはしないのだけど。そこを想像させるのも、巧みですね。

④もう一度

同窓会に出るため仙台にやって来た夏子(占部房子)は、仙台駅のエスカレーターであや(河合青葉)とすれ違います。本当に会いたかった相手との20年ぶりの再会を喜び、夏子はあやの自宅へ招かれますが…。

 

互いに勘違いが重なるという偶然によって、本当なら出会うはずのない赤の他人の2人が、かつての親友…パートナー、恋人…の立場を想像して演技することで、とても親密な関係を築いていく。

そんな「偶然」と「想像」というテーマそのもののようなストーリーです。

 

他人同士だから、相手のことを何も知らないから、互いに相手のことを考えるためには、想像するしかない

でも、何も知らないからこそ、様々な「事実」のノイズに影響されることなく、純粋に相手のことを思うことができる。

むしろその方が、互いの思いの核心に触れることができたりもする。

 

夏子とあやは2話の奈緒より更にもう一段大人で、彼女たちが抱えているのは「後悔」や「絶望」です。

夏子が、20年も前に別れたパートナーに対して、今もまだ抱き続けている後悔。

あやが「心に穴があいている」「燃え立つものが何もない」と言うのは、2話の奈緒の絶望の延長であるようですね。

自分で自分を規定することで深まっていく、静かで穏やかな絶望。

 

20年も過去に置いてきたパートナー。そのことへの後悔。

夏子にとっては同窓会に出席したこと自体、「もう一度」彼女に会うことだけが目的だったんでしょうね。

20年もの年月を取り戻すことは現実にはあまりにも困難で、夏子は本当のパートナーに再会することもできない。

でも、「奇跡的な再会を果たした」という勘違いは夏子の衝動にエネルギーを与えていて、あやが別人だと分かってもなお、強い勢いで突進していくことになります。

 

そして、夏子の「もう一度」へ向けての突進は、夏子の20年間の思いを溶かしていくと同時に、あやの強固な絶望にも風穴を開けていきます。

止まっていた時間が、「もう一度」動き出す。希望を感じる、前向きな幕切れになっています。

 

本編には割とほっこりとしたユーモアがあって、それも見やすさに貢献してますね。映画館で笑い声が起きていました。

いちばんウケてたのは人違いが発覚するところ。

このプロットは、とても秀逸なコメディだと思います。

この勘違いを成立させるために、インターネットが使えなくなったという前置きは要ったのかな? 別になくても成立した気もしますが。

⑤観終わった後に、想像が広がる映画

あらためて見返すと、1話の芽衣子から奈緒、夏子とあやへと、だんだん年齢が上がっていってるんですね。

自分の気持ちがまだ定まらず、自分でもどこへ行くか分からない危うさを持っていて、でもめざましい瞬発力で衝動的に行動していく芽衣子。

自分で自分を規定した枠の中で、だらしない行動を自ら選んでしまう奈緒。

正しい枠の中で長いこと暮らしているうちに、どこか満たされないものを感じてしまっているあや。

 

こうして見ると、瀬川教授と夏子が似ているかもしれない。

どちらも、世間の多くの人々とは違う自分を自覚して、「自分の中の価値を抱きしめて」1人で生きてきた人たちです。

瀬川教授は扉を開けたままの部屋に閉じこもってコツコツと小説を書いてきた。

夏子は同性のパートナーと別れて以来、1人で生きてきた。同窓会という偶然に突破口を求めて、彼女は仙台にやって来ています。

瀬川教授は奈緒の、夏子はあやの、それぞれが感じてきた静かな絶望に、少しの風通しをもたらすことになります。

 

年齢ごとの心のありようの違い。そのコントラスト。

人によって違う、でも誰しもが心当たりのある「その年齢ごとに心に抱えるもやもや」を、偶然と想像が少しずつ変えていく。

人それぞれの選択に正解なんてないし、そもそも本当に選択なのか、偶然なのかもあやふやで。

でも、少しでもより良い未来を選んでいくことはできるはずで。

生きていくことは偶然の連続で、でもその時に何を想像するかによって、未来は変わっていく。

そんな、とりとめのない、いろんなことを想像させられる映画。観ている時間だけでなく、観終わった後にもずっと豊穣な時間が広がっていく。

本当に、良い映画だと思いました。みんなに観て欲しい、そしてそれぞれの感想が聞きたくなる映画です。

 

 

 

 

 

古川琴音さん出演。これの他でも「花束みたいな恋をした」「泣く子はいねぇが」など、観た映画の多くに出演している俳優さんでした。