寝ても覚めても(2018 日本、フランス)
監督:濱口竜介
脚本:田中幸子、濱口竜介
原作:柴崎友香
製作:定井勇二、山本晃久、服部保彦
製作総指揮:福嶋更一郎
撮影:佐々木靖之
編集:山崎梓
音楽:tofubeats
出演:東出昌大、唐田えりか、瀬戸康史、山下リオ、伊藤沙莉、渡辺大知、仲本工事、田中美佐子
①妖怪獏の呪い
(今回の文章はやや悪ノリしているので、人によってはイラッとくると思います。ご注意ください。)
「火口のふたり」に続いて、見逃していた日本映画をテレビで観ました。
恋愛映画かと思っていたんですが。違いましたね!
これ、妖怪ホラー映画でした。
大阪国際美術館で行われた展覧会で、女性が展示を見ていたら、なんか近くに若い男がいて、帰り道の道端で、そいつが突然引き返してきて、いきなりキスをする。
そしたら、二人は恋に落ちてしまう。
直後の飲み会シーンで、「そんな出会いあるかー!」と突っ込まれてましたね。そりゃそうだ。そんな出会い、マンガの中ではあっても現実にはあり得ないもの。
普通なら、痴漢で逮捕だよね。たとえ男がイケメンで、女性の側が「ちょっといいなあ…」と思っていても、こんな行為された時点で引いてしまって、気持ちも吹っ飛ぶよね。普通の人間であれば。
だからこれ、男は人間じゃない。妖怪なんですね。
狙った女性を、有無を言わさず虜にしてしまう特殊能力を持つ妖怪。
一旦こいつに見込まれたら、もう逃れられない。身も心も支配されて、どこまでも付き従ってしまう。
何の妖怪かと言えば、だから獏なんでしょう。中国の伝承の動物。夢を食うバク。
(朝子と麦が出会った川岸の道で若者たちが昼間なのに花火をしていたのは、中国を連想させるサインでしょうか)
あのいきなりのキスによって、バクは朝子の「本来の夢」を食ってしまい、代わりに麦という男を理由もなくひたすら愛するという悪夢を吹き込んだのでしょう。
映画の中で、朝子が麦を愛する理由は、一切描かれない。
描かれるのは、クラブで直情的に暴力を振るうとか、バイクに二人乗りしたあげくコケるとか、ふらっと出て行ったら帰ってこなくなるとか、そんなろくでもないことばかりです。
後で麦は前触れなくどこかへ消えてしまって、朝子が捨てられてしまうわけですが、「それはそうやろう」としか思えない。だってそんなところしか描かれてないですからね。
だから、朝子が麦のどこを愛したのか、観ていてもさっぱりわからないのですが。
これは「呪い」だから、そもそも理由なんかないんですね。
②そっくりさんの呪い
麦がある日ふらっと消えてしまって、何年か経って、朝子は東京で喫茶店で働いている。コーヒーを届けに行ったら、麦にそっくりな亮平に出会う…。
そっくりさんが物語の中で出てくると当然、なんらかの真相があることを想像します。
実は双子であるとか。記憶を失って別人として暮らしてるとか。二重人格だとか。
僕は「朝子の妄想なのかな?」と思いながら見てました。
でも、そうじゃないんですね。本当にただ、たまたまそっくりな人。
「ちょっと似てる」とかのレベルじゃなく、同時にその場に存在したら合成にしか見えないくらい似てる。
…って、東出昌大の二役なんだから当たり前だけど。
そして、そんな人がたまたま、朝子が勤めてる喫茶店のお隣りの会社に勤めている。
これもう、超常現象のレベルですね。そうでなかったら、周囲の陰謀を疑って疑心暗鬼になってしまいそう。
だからやっぱり、これも妖怪獏の仕業なんでしょう。
妖怪は、その姿かたちを自由に決めることができて、朝子が後に出会う男の姿を前もって真似ていた…ということになりますね。意地が悪いですね。
③奇妙な偶然の呪い
妖怪獏は姿を変えられるし、時間も超えて運命を操ることもできる。
そして妖怪に呪われてしまった朝子は、奇妙な運命を植え付けられてしまっているようです。
だから、朝子の周りでは普通ならあり得ないような異常な偶然が次々と起こっていきます。
思えば、麦と出会った直後、たまたま出会ったはずの麦の友達が朝子と同じ大学だったり、親友もたまたま知り合いだったりで、あっという間になかよし4人組が出来てしまう。これも出来すぎた偶然でした。
東京でも、朝子と亮平はまた別のなかよし4人組になっていきます。
震災が起こって、東京が帰宅難民で溢れているときでも、朝子と亮平は偶然バッタリ出会えてしまう。
音信不通で、もう何年も会ってない春代とも、お互いに探す必要もなく偶然バッタリ出会えてしまう。
朝子と春代が公園で会ってると、そこでたまたま麦が撮影をやってるという。これも偶然。
朝子が最後に麦の車を降りた地点が、ボランティアで知り合ったおじさんに徒歩でお金を借りに行ける場所だったのも、偶然ですね。
これは妖怪のちょっとした親切だったのかな?
④呪いが解ける
麦に誘われ、呪いが発動して、朝子は亮平のもとを離れて、麦の運転する車で北海道へ向かいます。
躊躇なく亮平を捨て、友達も携帯も投げ捨てて、麦と共に生きることを決めたはずの朝子は、途中でこれまたあっさりと戻ることを決め、麦と別れて引き返します。
あれほど強固だった呪いが急に解けたのは、亮平とボランティアで訪れた「津波の傷痕残る海岸」を見たからですかね。
東北での活動は、獏に夢を食われからっぽになってしまった朝子が、亮平と共に育てた新しい夢だったのでしょう。
それにしても、朝子をあっさり下ろしてサッサと立ち去る麦は、まるっきりその心情や内面は描かれません。
映画の全体を通して、麦の内面は本当に一切描かれませんでした。表面に見えているものと違う内面があるのかもしれない、と想像させる余地さえなかった。内面の存在しない、表面的なイメージだけの存在としか思えませんでした。
人間扱いされてないってことですね、やっぱり。
概念が形象化した存在。これはまさしく、妖怪なわけです。
⑤そしてまだ続く呪い
戻った朝子を、亮平は拒絶します。そりゃそうだ。
朝子を受け入れられないという反応こそが、感情であり、内面であり、亮平が人間であるということです。ここが、人間と妖怪の差ですね。
内面の存在しない、「表面的イメージのお化け」みたいなものに取り憑かれていた朝子は、これから亮平の内面と向き合わなければならないはず…なんですが。
朝子は麦の友人だった岡崎を訪ねます。岡崎は難病にかかって、寝たきりになってます。
これもなんか、不気味なシーンですね。岡崎が難病になってる意味って、プロット上はまるっきりないように思えるから。
だからこれも、悪夢を撒き散らす獏の仕業であるように思えます。
戻った朝子を、亮平は結局受け入れます。
でも、朝子はあまり亮平に向き合おうとしているようには見えないですね。
川を見下ろして、並んで立つ亮平と朝子。二人ともお互いではなく、川を見ています。川は増水していて、氾濫しそうにも思える状態です。
そういえば、震災の後には何度も水害が襲いましたね。
獏の呪いはまだ解けていない。朝子には、じきにまた悪夢がやってくるのかもしれません…。
何というか、恋愛をモチーフにしていながら、全然愛し合っていない。心を通わせ合っていない。というかそもそも心がない。そんな不気味なホラー映画でした。
妖怪、怖いですね。主演の二人は本当に呪いを受けてしまったのかな…。おはらいしたんでしょうか。