Summer of 84(2018 アメリカ)

監督:フランソワ・シマール、アヌーク・ウィッセル、ヨアン=カール・ウィッセル

脚本:マット・レスリー、スティーヴン・J・スミス

製作:ショーン・ウィリアムソン、ジェイムソン・パーカー、マット・レスリー、ヴァン・トフラー、コーディ・ジーグ

製作総指揮:フローリス・バウアー

撮影:ジャン=フィリップ・ベルニエ

編集:オースティン・アンドリュース

音楽:ル・マトス

出演:グラハム・ヴァーチャー、ジュダ・ルイス、ケイレブ・エメリー、コリー・グルーター=アンドリュー、ティエラ・スコビー、リッチ・ソマー

①1984年という時代

1984年夏。オレゴン州イプスウィッチでは、子供の行方不明事件が続いていました。

15歳のデイビーは、ふとしたことから隣人のマッキー巡査をシリアルキラーではないかと疑います。

デイビーは友人のイーツ、ウッディ、ファラディと共に、独自にマッキーの調査を始めます…。

 

1984年といえば、中学生でした。僕は、映画に登場するデイビーたちと同世代なんですよね。

アメリカ住んだことないけど。日本だけど。

BMXも載ってないし、新聞配達もしてないし、ベビーシッターの女の子とキスしたりしてないけど。

でもなんとなく、共感してしまいました。

「あの頃の夏」感が、とてもよく出ていたと思います。

 

劇中でスピルバーグへの言及や、グレムリンやイウォークなどについての発言があります。

スピルバーグは「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説」が1984年。

スピルバーグ製作総指揮の「グレムリン」も1984年。イウォークは「ジェダイの復讐」が1983年で「イウォーク・アドベンチャー」が1984年。

「グーニーズ」は1985年ですね。

この辺りの、中学生感満載の作品群が1984年頃のスピルバーグですね。

 

日本でも、朝ドラの「あまちゃん」で小泉今日子演じる母親の青春時代として焦点の当たるのが、1984年でしたね。「ゴーストバスターズ」とか歌ってました。

クドカンも同世代。この辺の世代にとって、自意識過剰な中二時代の象徴…なのかな。

恥ずかしくも懐かしい、ついつい取り上げたくなる時代なのかもしれません。

 

映画は全体に1980年代ホラー映画のテイストをしっかり再現していて。

ことさらに当時のヒット曲をかけたり、当時の流行りものを出したりといったことはないんだけど(権利に払う金がなかったんじゃないかと)、当時の雰囲気を上手いこと表してますね。

軽いシンセの音楽がずーっと流れているのは、ジョン・カーペンターへのオマージュでしょうか。

 

ただ、物語やテーマの部分では、単なる懐古趣味だけじゃない。

結構、今風のホラー映画。作家的な…というのかな。そんなテイストもある作品になってます。

最終的には、「84年の夏」という設定自体が、テーマと深く結びついてくる。

詳しくは後述しますが、なかなか考えられた映画なのです。

 

②少年たちの夏の冒険

本作は、4人の少年を主人公にしたジュブナイルでもあります。

というか、映画の大半が少年たちの等身大の日常を描くことに費やされています。ホラー映画らしいショックシーンはほぼ終盤に集中していて、ほとんどの部分は青春映画の趣きです。

 

少年4人の夏の日の冒険といえば、「スタンド・バイ・ミー」を思い出しますね。

オタク、イケメン、メガネ、デブの4人というのも黄金比。

「スタンド・バイ・ミー」ではオタクというか作家だったし、メガネの性格はずいぶん違いますが。

 

「スタンド・バイ・ミー」は死体を探しに行く話で、原作者はホラーの帝王スティーヴン・キング

原作の発表が82年で映画は86年。これまた80年代を代表する作品といえますね。

キング自身が「スタンド・バイ・ミー」をホラーとして発展させたのが「IT/イット」で、1958年の子供時代を振り返るこの物語の「現在」が1985年でした。

2017年の映画「IT/イット “それ”が見えたら、終わり。」では子供時代が1988年になってましたが。80年代をノスタルジーの対象として描くのが、現代の流れですね。

 

ともかく、80年代ホラーのお約束をしっかり汲んでの、少年4人の冒険になっています。

でも、決して先行作品の安易なコピーというわけではなかったですよ。それぞれの少年のキャラが立っていて、感情移入させるものになっていました。

 

それぞれの少年が親に関する問題を抱えているのも、巧みでした。それぞれ、「家に居たくない理由」「危険な冒険に惹かれる理由」を抱えていて、4人の冒険に説得力を与えていました。

80年代は親の離婚が何かと取りざたされた時代でもあって。

スピルバーグの映画でも、「E.T.」なんてそうでしたね。

 

親の不仲とか、精神的問題とか、離婚とかを背景として、明るく無邪気な少年たちの生活に、ふと影が差す瞬間を作っていて。

そんな翳りを、連続殺人鬼に惹かれていく心理に上手く繋げています。

生の真っ只中だからこそ「死」に惹かれてしまう心理。

 

面白いのは、そんな翳りが一方では、デイビーと憧れのニッキーを接近させる役割も果たしていること。

エロスとタナトスは表裏一体…ですかね。

男の子たちの冒険、女の子との冒険、そしてスリリングな死との邂逅。それらの要素が、バラバラになることなく上手く溶け合っていたと思います。

③ラストで「意味が変わる」恐怖

映画の冒頭のモノローグ、「連続殺人鬼も誰かの隣人だ」というデイビーの言葉が、本作のキーワード。

同じ言葉がエンディングで繰り返され、ただしそこでは少しニュアンスが変わることになります。

 

終盤近くまでホラー要素も希薄に進む本作では、殺人犯からの視点によるシーンがありません。

隣人が本当に殺人犯なのか、デイビーが疑うマッキー巡査が本当に犯人なのかどうかも、曖昧なまま進んでいくので、「すべては若気の至りであって、実のところは何でもなかった」というような、文芸的なオチもあり得るかのように思えてしまうんですね。

オチが見え見えになってしまいそうな構成の中で、上手いことミスリードを作っていたと思います。

 

ホラー要素は、終盤部分に凝縮されています。

というか、そこまで展開されてきた、80年代ホラー的なユルくて楽しい展開。むしろそちらをミスリードとして。

牧歌的なジュブナイルの世界から、そう甘くないシビアな現実へ。ラストでズバン!とひっくり返してみせてくれます。

 

ストーリー的には、決してどんでん返しじゃないんだけど。

ムードのどんでん返し気分的などんでん返しが決まってますね。なかなか鮮やかだったと思います。

 

終盤のある展開を経て、それまでに提示されていたあらゆる要素の意味合いが変わってしまう。

「連続殺人鬼も誰かの隣人だ」という言葉は、冒頭ではスリルを期待するワクワクする言葉だったんだけど。

終盤では、ただひたすらに怖い。隣人を信用できず、安心して暮らすこともできない。この上ない不安を醸し出す、呪いの言葉に意味を変えることになります。

 

そして、甘美なノスタルジーとして機能していた、1984年という背景、「サマー・オブ・84」というタイトルも。

決して忘れられない夏、取り戻すことのできない過去というニュアンスはそのままに、深い深いトラウマが刻まれた、取り返しのつかない夏という意味合いに生まれ変わるというわけです。

 

そして、本作のラストで示された恐怖は、そこで終わりじゃない。

そこから先、いつまでも永遠に続くという性格を持っているので。

1984年という印象深い過去を起点として、そこから現在に至るまで、ずっと恐怖が続いてしまうという。

まさに地獄のような、呪いのかかった状況を、示唆することになるんですね。これは確かに、とてつもなく怖いと思います。

④3人監督による作品

というわけで、ある種の構造的な仕掛けを持っている映画なんだけど。

その仕掛けを上手く成立させるために、映画の大半を真っ当な青春映画としてきちんと作り込まなくちゃならなくて、それをきっちり達成してる。

なかなか面白い映画だったと思います。僕は好みでした。

 

本作は、3人の監督による共同監督作品。奇しくも、この間の「イソップの思うツボ」と同じですね。

「イソップの思うツボ」は雑だなあ…と思うところが多くて、僕は3人監督による弊害では?と書いたのですが。

本作ではそんなような混乱は感じませんでした。あえて言うなら、ホラー映画らしい過激さや逸脱が見当たらないのは、3人の監督が互いに遠慮したからかもしれない…とは思いますが。

それはまあ、ないものねだりですね。本作の狙いは別のところにあるので。

 

「イソップ〜」との違いは、やはりしっかりと細部まで詰められた脚本が存在するか否か…の違いではないでしょうか。

斬新な演出も、まずは完成した脚本があってこそ。当たり前ですけどね。