Petra(2018 スペイン、フランス、デンマーク)
監督:ハイメ・ロサレス
脚本:ハイメ・ロサレス、ミシェル・ガスタンビデ、クララ・ロケ
製作:バルバラ・ディエス他
撮影:エレーヌ・ルヴァール
美術:ビクトリア・パス・アルバレス
編集:ルシア・カサル
音楽:クリスティアン・エイネス・アンダーソン
出演:バルバラ・レニー、アレックス・ブレンデミュール、ジョアン・ボテイ、マリサ・パレデス
①時系列の入れ替えが導く「ギリシャ悲劇的」感触
カタルーニャにある、高明な彫刻家ジャウメの邸宅に、共同制作のため画家のペトラがやって来ます。ジャウメは高圧的な人物で、妻のマリサは「夫から学ぶことは何もない」とペトラに言い、息子のルカスは父とは不仲でした。そんな中で、家政婦のテレサが自殺します…。
スペインの映画監督、ハイメ・ロサレス監督による作品。カンヌ映画祭出品作。
アート映画的な、静かなタッチの作品ですが、一方で非常にどぎつい、人間関係の泥沼が描かれる作品でもあります。
冒頭、いきなり第2章から始まります。
本作は全7章の構成なんですが、微妙に順番が入れ替えられていて、第2章、第3章、第1章、第4章、第6章、第5章、第7章の順で描かれます。
第1章が後回しにされていることで、ペトラがジャウメに会いに来た理由が伏せられています。
ここは、物語の導入部分にミステリ的なフックを加えていると言えそうです。
また、決定的な悲劇が起きる第5章が先に描かれ、そこに向かう過程の第4章が後回しにされる。
ここは逆に、ミステリ的な興味は外されてますね。
あらかじめバッドエンドの結果を見せられている状態で、そこに至る人の営みを見下ろす視点。
本作は「ギリシャ悲劇的」という形容をされることが多いのですが、この辺りの突き放した感覚がその要因でしょうか。
どこか、「女王陛下のお気に入り」のヨルゴス・ランティモス監督に似た視点を感じさせます。
②無人の風景が示す人と人との「分かり合えなさ」
本作の特徴的なのは、微妙に引いた視点のカメラワークです。
誰かが話している部屋の外からシーンが始まって、しばらく誰もいない戸口を映している。
そこからゆっくりと部屋の中に入っていって、ようやくそこにいる登場人物を映し出す。
監督は「天使の視点」と言ってますね。人間同士の細々したドラマを遠巻きに見下ろす、神の視点。
天使にせよ、人間を暖かく見守る守護天使ではないですね。もっと冷徹な、突き放して観察するような視点が貫かれています。
”戸口”の強調は、室内だけでなく屋外の風景でも共通しています。
家の敷地と公共の土地とを隔てる、石積みの壁や古びて崩れかけたゲート。
スペインの田舎の広々とした風景の中で、戸口も大抵は開け放たれていて、とても開放的なんだけど、でもその内と外とで、確実に何かが隔絶されている。
それは人の心のメタファーですね。誰もが、心の奥に何らかの秘密を秘めている。
人と人との関係は、戸口の外から誰もいない風景を眺め、遠くから聞こえる声を聞いているようなもので。相手の心の本当のところは見えてはいない。
あえてキラキラとまばゆいほど明るい、カタルーニャ地方の陽光の中で、そんな人と人との「分かり合えなさ」を象徴的に描き出していきます。
人物同士が話しているシーンでも、カメラはすっと目をそらすように、人物のいない方向にパンして流れていくんですね。
込み入った話が進行している一方で、カメラは話している人たちを写さずに、誰もいない部屋の隅を映し出す。あるいは、陽光に満ちた美しい自然の風景を。
この無人の風景が感じさせる孤独感、寂寥感。それが、人の映っている景色以上に饒舌に、コミュニケーションの不毛さ、人と人の絶望的な距離感といったものを感じさせてくれます。
③モンスターのような悪意の塊、ジャウメ
本作で主人公ペトラが「静かに対峙する」のは、老いた芸術家であるジャウメ。
この爺さんが、本作では強烈な「悪」として君臨しています。何しろ、人間のクズのような男です。
ただ「厳しい」というだけではない。人が苦しむのを見て満足するサディストです。それは相手が使用人であれ、気に入らない息子であれ、自分の娘かもしれない女であれ、変わらない。
他人の不幸が蜜の味。何の意味もなく、他人を苦しませて喜ぶ男。もうほとんどサイコパス、悪魔のような男として描写されています。
このジャウメの人でなしぶりは徹底していて、ただ芸術家のエゴイズムというような定型を遥かに超えています。
高明な芸術家であり、成功していて、金もたっぷり持っている。風光明媚なカタルーニャ地方の広大な地所を所有していて、多くの使用人を抱えている。
しかし実のところは、そこは異常に高圧的で意地悪な男の、恐怖の王国なんですね。明るい陽光とは対照的な、暗い抑圧の中でみんなが支配されている。
まるでホラー映画のモンスターのようです。本作は要するにジャウメに関わった人々が彼のせいで次々と不幸にされていく物語であって、そういう意味では普遍性には欠けているかもしれません。
本作におけるジャウメはいわば、人間の理不尽な悪意を凝縮したような存在であって。
そういう人間と、時に出会ってしまうことは避けられない。そしてこんな人間と出会ってしまったら、勝手に人生を左右され、捻じ曲げられ、不幸に突き落とされてしまう。
そういう、いわば天災のような存在として描かれているようです。
実際、こういう人間に関わってしまったら、もうどうしようもないんですね。相手はただこちらを不幸にするのが面白くてやっているので、「なんでそんなことをするのか!」なんていう抗議は一切通じない。
止めるためには、不幸になって相手が満足するのを待つか、さもなくば殺すしかない。でも殺したら自分が殺人犯として裁かれるわけで、やっぱり不幸になることには変わりがない。
詰んでますね。もう、関わった時点で終わり。
そんなジャウメを演じているのはジョアン・ボテイという人なんですが、何とこの人、役者でも何でもない。
そもそもカタルーニャ地方の広大な敷地を父親から引き継いだ地主であって、これまで演技未経験。本作が初めての演技なんだそうです。
初演技でこの存在感、というのも驚きますが、ここまで人間のクズみたいな人物を堂々と演じてるのもすごいですね。普段はどんな人なのか、興味が湧いてしまいます。
④人々が抱える秘密と嘘
そんなモンスターのようなジャウメの周りにいる人々が、様々な影響を受けていくわけですが、みんなジャウメの被害者なんだけど、同時に何らかの口に出せない秘密を抱えています。
そしてそれを表に出さず、何食わぬ顔で互いに接しあっている。それは「余計なことは言わない」という、人間関係の中では普通によくあることだけれど、対人関係の中に消せない不穏な火種を燻らせ続けます。
ペトラは「ジャウメが父親かどうかを確かめる」という目的を隠して、彼らに近づいています。
彼女が自分のルーツについて知りたがるのは正当なことで、ペトラもそのことに引け目を感じてはいません。
しかし、ペトラが本当の目的を隠して家族の中に入り込んできたことに、ジャウメの妻マリサは不快感を感じています。
ペトラが父親探しにこだわるのは母親が死ぬまで父親のことを隠し続けたから。それはジャウメにかかわることでペトラが不幸になることを恐れたから…なんだけど、その真意はペトラにはわからない。まあ、わかるはずもないですね。
でも、母親が隠したことで、結果的にはペトラを不幸にすることに繋がってしまう。
そしてマリサにも、息子ルカスにまつわるある秘密があります。ルカスのためを思って、マリサはそれを隠し続けているのだけれど、結局、それを明かさなかったことでルカスを極限まで追い詰めていく。
ペトラが目的を隠していたこと。ペトラへのマリサの不快感。マリサがルカスに隠していたこと。そんな欺瞞が積み重なって、最大の不幸を招いてしまうことになります。
皮肉なのは、関係者の中でジャウメがもっとも秘密を持っていない。なんでも正直に喋ってしまう男であるということ。
人々は、生活を守るために嘘をつく。でもジャウメだけは、ただ「後でもっとも効果的な時に事実を明かして、最大のダメージを与えるために」嘘を利用します。
人々が生活を守るために嘘をついている様子を、ジャウメは見下して嘲笑います。そんなものは欺瞞だと言い放ち、人が隠したいものをさらけ出して、人々を不幸へと突き落としていく。
しかし最終的には、そんなジャウメの傲慢な態度が、しっぺ返しとしてジャウメに返っていくことになります。
ジャウメが死に追いやった家政婦テレサの息子、パウが、ジャウメの人生を終わらせることになる。おそらく、ジャウメは自身がテレサにしたことをパウに喋ったんでしょうね。ただテレサの尊厳を貶め、パウを苦しめるだけのために。
パウはそれでも、激しい憎悪という本心を隠して、ジャウメに忠実に仕え続けていました。それもまた、パウの「生活を守るための嘘」だったのでしょう。
人々が、生きるために仕方なく本心を隠すということが、ジャウメには理解できないんですね。その結果として、ジャウメは応報を受けることになります。
⑤「静かな対峙」と、無人の風景が醸し出す神話的ムード
ペトラを演じたバルバラ・レニーは同じカンヌ映画祭でオープニング作品となった、アスガー・ファルハディ監督の「誰もがそれを知っている」にも出演していました。ハビエル・バルデム演じるパコの妻、ベア役。
思えば、こちらも庶民がみんな秘密を抱え、それが少しずつわだかまりとなって、何かのきっかけで噴出して、人間関係が崩壊する…という、そんな構造を持っていました。
「ペトラは静かに対峙する」は邦題ですが(原題はシンプルに「ペトラ」)、確かに全編を通じて、彼女は事態に対して、静かに対峙し続けることになります。
やがて、気がおかしくなってしまうような、ショッキングな出来事が襲うことになるのですが、それでも声を荒げたり、泣いたり、喚いたりすることはなく。
ペトラが静かに対峙するから、このメロドラマ的なストーリーを、白けずに受け取ることができる、とも言えますね。
静かに対峙するペトラと、そして無人の美しい風景。その二つによる引いた視点を守ることで、本作はかろうじて神話的な奥深さを保っていると思います。
これはなかなか、ギリギリのラインで。人によっては、「やりすぎのメロドラマ」に感じちゃうかもしれない。
アカペラの歌声を多用した、音楽も良かったですね。「アンチクライスト」「メランコリア」「ハウス・ジャック・ビルト」などのラース・フォン・トリアー作品で音楽を担当している、クリスチャン・エイネス・アンダーソンが、不穏なムードを醸し出しています。
スペインのイメージ通りの、陽光眩しい美しい風景をたっぷりと見せながら、そこから不吉で不穏なムードを感じさせる。
そんなデザインは独特で、独創性のある映画ではあったと思います。
バルバラ・レニーの出世作。
マリサ役のマリサ・パレデスはペドロ・アルモドバル作品の常連。