Blade Runner 2049(2017 アメリカ)

監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ

脚本:ハンプトン・ファンチャー、マイケル・グリーン

製作総指揮:リドリー・スコット

ライアン・ゴスリング、ハリソン・フォード、アナ・デ・アルマス、ジャレッド・レト

 

 

①「2049」のネタバレに関して、あらためて

 

まず初めに断っておきますが、この文章はネタバレありです。

「ブレードランナー2049」は、ネタバレなしで観た方が絶対に面白い映画です。2回目以降、ネタを知っている状態でもきっと楽しめると思いますが、1回目、新鮮な驚きを持って観る特権を手放すべきではありません。

もしあなたがまだ映画を観ていないなら、ネタバレなしレビューを書いているのでこちらへどうぞ。

あるいは何も見ずに、迷わず映画館へ向かうべきだと言っておきます。大丈夫、面白いから!

 

公開してしばらくたって、世に様々な紹介やレビューも溢れていると思いますが、この映画に関してはそういうものもなるべく見ずに映画館に行くべきだと思います。というのは、結構平気でネタバレしちゃっている場合が多いからです。

 

「ブレードランナー2049」では、冒頭にある事実が明かされます。この事実は物語の基本中の基本みたいな設定であり、その後の物語はすべてこの設定のもとに展開されるので、「ブレードランナー2049」に関して語ろうとすれば、その事実に触れないわけにはいかなくなります。

でも、この事実。実は公式には、一切どこにもネタバレされていないんですよ!

予告編には出てこないし、公式サイトでも触れていない。更に、パンフレットですらこの事実にまったく触れていませんでした。物語のあらすじや登場人物紹介を書きながら、この事実にまったく触れないというのは、結構な離れ業だと思います。そうまでしてネタバレしない方針を貫いたスタッフの方々を尊敬します。

 

この事実は確かに映画が始まって数分で明かされる事実ではあるんですが、でも、様々な驚きを提供してくれるこの映画で、最初に観客が味わうことのできる驚きであるとも言えるんですね。

この驚きを新鮮なままで味わってもらおうと、制作スタッフが本当に努力している。それを無にしてはいけないと思うのです。

 

それほどネタバレにこだわるのは、やはりこの作品がSFだから

SFというのは、やっぱり「驚かせてなんぼ」というところがあって。読者や観客の想像力を超える卓越したイマジネーションで、「えーっ」とびっくりさせてほしい。そういう体験をしたい。そう思って観るものなんだから、それを安易に損なってはいけない。それは作品を損ねることに他ならないと思います。

 

くどくど書いてますが、実は僕はこのネタバレを食らったんですよ。朝日新聞の、公開日の記事で。映画紹介コラムみたいなのだったら警戒して読まないんだけど、ハリソン・フォードの来日インタビュー記事だったので、つい読んでしまったら、映画のストーリーを紹介するたった1〜2行の文章で、このネタバレが書いてあったという。

 

そういうことがあるので、特にSF映画に関しては、できるだけ一切の情報を入れずにまずは観ることをお勧めしたいです。

そうはいっても何の情報もないと…という人は公式サイトをどうぞ。前日譚となる3本の短編も観られて理解の助けになる上に、ネタバレもありません。(基本的に、メインのコンテンツには。著名人のコメントとかレビューのところまで行くとあるかも)

 

②共感能力を持たないレプリカントと、ブレードランナーについて

 

しつこくしつこく書いてますが、ここからネタバレです。

 

冒頭数分で明かされるけれど、公式には一切ネタバレされていない事実というのは、主人公Kがレプリカントであるということです。

 

「ブレードランナー2049」の世界では、かつてレプリカントを作っていたタイレル社が倒産し、一旦レプリカントの製造は禁止されました。その後、ウォレス社が人間に従順な新型レプリカントを開発して製造が再開され、かつて作られた寿命のないレプリカント「ネクサス8」の生き残りはブレードランナーによって狩り出され、駆除される立場となっています。

この役目を任されているのがブレードランナーのK。彼は名前を持たず、コードナンバーしか持っていません。

彼は「人間に従順な新型」なので同類を殺す仕事も問題なくこなします。彼を使うロサンゼルス市警にとって、彼はあくまでもとても便利な道具のようなものです。

 

確かに、ブレードランナーの仕事にはレプリカントが向いています。というか、レプリカントでなくては務まらない仕事だと言えます。

というのは、「ブレードランナー ファイナル・カット」のレビューに長々と書いたのですが、ブレードランナーの仕事というのはそもそも非常に非人道的な汚れ仕事なんですね。簡単には識別できないほど人間そっくりであるレプリカントを、相手が罪を犯したかどうかに関わりなく、追い詰めて容赦なく殺さなければならない、そういう仕事です。

まったく、正義の味方ではない。奴隷ハンターであり、死刑執行人です。

相手が命乞いをしようが泣きわめこうが、どんなに反省すると言っても一切の聞く耳を持ってはならない。ブレードランナーは殺すことだけが仕事であって、事情を聞いて処分を検討する権利なんて持っていないのだから。

 

そういう仕事が、人間に務まるでしょうか?

人間であれば、必ずどこか途中で迷いが生じる。相手に同情を感じ、良心の呵責を感じ、ブラスターを撃つことをためらってしまうでしょう。

そうなると、逃がしてしまうにしろ、返り討ちにあうにしろ、ブレードランナーの仕事は成り立たない。そういう危険がある人間に、ブレードランナーの仕事をさせるでしょうか?

 

ブレードランナーの仕事にもっとも不要なのは、「共感能力」です。

相手に共感し、感情移入してしまっては、ブレードランナーの仕事はできない。だから、最初から共感能力を持たない者をつかせることが最適であると言えます。

そして、人間とレプリカントを分ける唯一と言っていい違いが、共感能力の有無なのです。

ブレードランナーが相手がレプリカントかどうかを調べる検査が、共感能力を測るフォークト=カンプフ検査でした。(きみは亀をひっくり返す。亀はもがいている。でもきみは助けない…とかっていう奴です)

レプリカントは人間とそっくりであり、運動能力的には人間を凌駕し、見た目や会話でもほぼ人間と見分けのつかない存在です。そんなレプリカントに唯一欠けているのが、「他者の痛みを自分のことのように感じること」共感能力なのです。

 

だから、ブレードランナーはかつては人間であって、その後レプリカントが代行するようになった…ということはちょっと信じがたい。おそらく最初から、一定のリスクがあったレプリカントの脱走に対する安全システムとして、同じくレプリカントのハンターによって対処するという、閉じたシステムとして考えられたものなのではないでしょうか。

 

レプリカントは人間のために奴隷として働き、もし反抗したら、レプリカントによって処刑される。人間の目にふれない、レプリカントの中だけで完結したシステム。これなら、人間の良心は痛みません。

最初から、そういうシステムだったんじゃないでしょうか。

だとしたら、前作のブレードランナー、デッカードはやはり人間ではなく、レプリカントだったのではないでしょうか?

 

前作「ブレードランナー」にはデッカードがレプリカントではないかと疑わせるヒントが大量に散りばめられていて、しかし明確な答えはぼかされていました。

赤く光る目、デッカードが集めているたくさんの写真一角獣の夢など)

でもそれ以前に、デッカードがブレードランナーの仕事を淡々と遂行していることが、最大のヒントだったかもしれません。

 

「2049」でもデッカードの正体について明確な言葉で語っているわけではありませんが、ウォレスがデッカードに「なぜ自分がデザインされた存在だと思わないのか?」と問いかけています。レイチェルに恋に落ちたことも、仕組まれたことだったのではという指摘です。

そう考えると、一方でレプリカントに恋をしながら、一方でレプリカントを殺していくというデッカードの矛盾した行動にも、説明がつくことになります。

 

③Kについて

 

レプリカントであるKは、共感能力を持たない。だからまったく罪を犯していないサッパー・モートンを処刑することにも疑問を感じないし、彼が「同類を殺すのか」と責めることにも、彼の平和な暮らしを破壊することにも躊躇を感じません。

 

でも、彼は感情を持たないわけではない。「人間もどき」と差別される毎日には痛みを感じ、理解者もなく一人で暮らすことには寂しさを感じていますから、ジョイに慰めを見出しています。

 

人間的な感情を持ち、愛情も痛みも知っていけれど、他者への共感能力は持たない。レプリカントは、自閉傾向を持つ人々に似ていると言えるかもしれません。

 

上司の命令通りに仕事を続けていたKですが、やがて自分がレイチェルから生まれた子供かもしれないと知ると、激しく動揺することになります。

彼は、自分はレプリカントではなく人間だったかもしれないと考えるのです。

 

レプリカントは「精神を安定させるために」偽りの記憶を与えられていますから、自分が成人の状態で工場で作られたという記憶は持っていません。普通に、親から産まれ子供時代を過ごし成長した記憶を持っている。

だから、彼は自己認識的にも、人間とまったく変わらないはずなのです。彼が自分をレプリカントだと認識しているのは、ただ単に誰かからそう言われ、そう扱われてきたからに過ぎない。

ただ外部要因で自分が何者かを決めているだけ。そんな曖昧な理由で自分が人間でないことを受け入れられるのかと思いますが、しかしそれは僕たちも似たようなものかもしれないですね。民族とか階級とか、僕たちが何者かを決めるのも多くの場合は外的要因だし、大抵は大してあらがうこともなくそれを受け入れて生きていくものだから。

 

自分が特別な存在かもしれないと思うことは、共感を持たないレプリカントであってもやはりワクワクすることなんですね。

ただ命令に従うブレードランナーの仕事以外に、自分自身の解明につながるかもしれない仕事を得て、Kは俄然張り切って入れ込んでいきます。彼は初めて、やりがいとか前向きな動機のようなものを得たのかもしれません。

自分がつまらないものであると思い込んでいた男が、自分が何か特別な存在だったかもしれないという可能性に気づいて、今までなかった能動的な行動や自発的な行動に向かっていく。これは、そういうお話であると言うこともできます。

そう考えれば、これは単なるレプリカントのお話ではない。普遍的な物語であるということができます。

 

そして、いざ目的を持った行動に出てみると、そこには必ず他者が絡んでくる

自分とは異なる、他者の思いや行動と関わりあう必要が生じてくることになります。

父親かもしれない男に会いたいという思いでデッカードを探し出したKですが、会ってどうするという明確な考えがあるわけでもない。逆に、デッカードからは彼の事情、子供を守るために一人身を隠したという事情を聞くことになります。そして、彼の事情を理解する。これは論理的な理解なので必ずしも共感能力は必要ないでしょうが、しかし他者への共感に限りなく近いものでもあると思います。

 

そして、レイチェルの子供が自分ではなかったことを知ったKは、せっかく得た目的を失って絶望します。

しかし、その時に元のレプリカントに戻るのではなく、それまでに出会い知った人々の事情を考え、彼らにとって良い結果となるように行動することを選ぶんですね。

デッカードを、子供に会わせるという行動。それは別に、誰から求められたわけでもない。しかし、Kが自分で考えて、彼らのためにそれが良いと考えて、行った行動だと言うことができます。そのために彼は血を流し、そして死に瀕することになります。自分を犠牲にした利他的行動共感能力を持たない機械には到底行えないはずの行動に、彼は辿り着いたのです。

だから、Kは降りしきる雪の中、一応満足して、死んでいくことができた。

そういう意味であれはKにとってのある種のハッピーエンドだし、できる限りのことをやり遂げた、なりたかったものに少なくとも近づいた、そう思える終わりだったのではないでしょうか。

 

劇中ではすぐに明かされるけれど、あらかじめの情報としては徹底して伏せられていることのもう一つ、ジョイがホログラムであることについても書きたかったのだけど、Kだけで長くなりすぎました。本当、ネタのいろいろ詰まった映画だと思います。

 

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