今日の1枚・33

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初めてのバス撮影は1988年5月29日のことでした。
しのこおさんと東京の観光名所をめぐり、ありとあらゆるバスを撮影しましたが、その中にあって一応、目的みたいなのは携えていました。
①エアロバスを撮影すること
②JRバスのエアロクィーンを撮影すること
③京浜急行のノンステップバスを撮影すること
④高速バス「ノクターン」号を撮影すること
とまあ、エアロバス系統ばかりが目的として羅列してありますが、当時の私の眼中はエアロバス、しかも三菱名古屋ボディ架装の車しかターゲットにしておらず、他社のバスは眼中にありませんでした(とはいうものの、UDスペースウィングやいすゞスーパークルーザーも撮影しましたけど)。
エアロバスは当時の花形スターであり、皇居や東京ドームなど東京の観光名所で待ち構えていれば撮影は容易でした。またエアロクィーン(W)の撮影も当時両国にあったJRバスの車庫に行けば関東、東海、西日本の車を撮ることが出来ました。また、ここで初めてI Kボディのスーパークルーザーを目の当たりにしました。
話はすっ飛んで、「ノクターン」号の撮影は浜松町で行いました。この当時は羽田の観光バスセンターの存在を知らず、また品川バスターミナルもなかったために(当時の「ノクターン」「キャメル」の出発は品川駅前にあるホテルパシフィック東京でした)、必然的に浜松町になるんですが、「ノクターン」はもとより、新設されたばかりの「キャメル」も撮ることが出来ました。

さて、話はまた戻ります。
目的の一つでもある“ノンステップバス”の撮影ですが、こればかりは撮影に苦労しました。
まず路線バスであるために、どこの系統で運用されているか分かりません。特殊バスであるから運用は限定されているのかと思いきや、意外に汎用車で系統問わず充当されているようです。雑誌の情報を頼りに先ず向かったのは蒲田駅。ノーマルのエアロスターは至極普通に撮ることが出来ましたが、ノンステップバスは1台だけ。待てど暮らせどノンステップは来ません。陽もどんどん傾いていき、次第に焦りが濃くなります。業を煮やした私はついにウテシにノンステップの運用を尋ねます。すると「大森駅に行ってみな」との情報を得て、私としのこおさんは大森駅に向かいます。待つことしばし、ついに我々の前にノンステップバスが姿を現したのですっ!

事業者名:京浜急行電鉄(東京)

登録ナンバー:品川22 か 3498

社内番号:H5670号車(羽田営業所所属)

年式:1986年式

シャシーメーカー:三菱自動車工業

ボディメーカー:三菱自工名古屋

型式:P-MP218M改

名称:三菱ふそうエアロスターノンステップバス

撮影日:1988年5月29日(日曜日)

撮影場所:大森駅

バスファンにとってはあまりにも有名な試作ノンステップバスです。でも、日本で初めてのノンステップバスは三菱ではなく、日野でした。1963年に近鉄が導入した車が最初で、2階建てバス「ビスタコーチ」をベースにしています。これはビスタコーチの2階部分を取っ払ってホイールベース間の床面地上高の低い部分をノンステップの客室とした構造だったんですが、構造上の問題とかでワンマン運転に対応出来ず、量産には至っていません。前述のようにシャシーは日野、ボディ架装は近畿車輛が手がけました。
しかし、21世紀に通じるノンステップバス隆盛のの原型を作ったと言えば、やはりこのエアロスターベースの試作バスに端を発すると言っても過言ではないでしょう。

元々エアロスターベースのノンステップバスは三菱自動車と名古屋鉄道が共同開発したもので、ノーマルのエアロスターの前中扉間の床を350mmまで引き下げてノンステップ化が実現しました。
名鉄が開発に参入しているにもかかわらず、市販第1号車は岐阜乗合自動車(岐阜バス)でした。次いで名鉄に導入され、国内3例目が画像の京急となるんですが、やはり既存の路線バス(低床バス)に比べて高価であることが災いし、上記3社が導入したに留まっています。台数としては名鉄が名古屋空港の循環車用にもう1台導入し、4台が製造されました。

さて京急車ですが、導入時、当時としては画期的なアイテムが装着されました。それは「電光掲示板の方向幕」です。
現場では「ドット式方向幕」と呼ばれていましたが、現在のようなLED式ではなかったと記憶しています。行く先の変更時、画面が横にスライドし、別の行く先が表示されるというものでしたが、昼間時の視認性が極端に悪かったことから、すぐに巻き取り式の方向幕に取り換えられてしまいました。

現在、出荷する新車のバスのおよそ7~8割がノンステップバスという現状に、“ほぼ元祖”の同車はどのような面持ちで見ているのでしょうか・・・?