【邦画】佐々木、イン、マイマイン ネタバレあり感想 | ROUTE8787 サンサクキロク

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佐々木、イン、マイマイン

2020年11月公開 119分

内山拓也監督 ☆☆☆☆

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  キャスト

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石井悠二役/藤原季節

俳優志望だが、なかなかうまくいかない

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佐々木役/細川岳

 悠二の同級生
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ユキ役/萩原みのり

悠二の彼女 別れたが、今も同居している

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木村役/森優作

悠二・佐々木の同級生

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多田役/遊屋慎太郎

悠二・佐々木の同級生

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佐々木正和役/鈴木卓彌

佐々木の父親

 

  あらすじ

俳優になろうと上京したものの一向に芽の出ない石井悠二(藤原季節)は、すでに恋人としての関係が終わっているユキとの同居もなかなか解消できずにいる中、高校時代の同級生だった多田と再会したことを機に、校内のカリスマ的存在であった佐々木との日々を回想していく。

 

  感想

藤原季節さん目的で観ました。

相変わらず、存在感がありましたね。

学生時代、佐々木コールをし、笑って過ごしつつ、

佐々木の事を多分1番に心配していた姿。

 自らも、祖母と暮らし、孤独を知っているからこそ、

佐々木の境遇を気にかけていたんだと思う。

  けれど、表立っては素知らぬ様子で、同情や憐みと思われないように、

絶妙の距離感を取っていた。

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そして、大人になってからは、

なかなか思い通りにいかない事への焦りや、

劣等感を。

 

亡くなってしまった佐々木と再会した時には、

佐々木自身に気兼ねする事なく、

彼を憐み、彼に同情し、彼に謝罪しながら、

彼を優しく見下ろした。

 

全ての状況の、繊細な悠二を、藤原季節さんは、

見事に演じきっていた。

 

そして、佐々木を演じた細川さんも素晴らしかった。

たまにしか帰らない父親への恋慕の気持ちが、本当に、切なくて。

この感情をしっかり演じられたからこそ、

彼の孤独の根深さや、何年経過しても消えない自己肯定感の低さを、

際立たせていたと思う。

 大好きな父親にも、ある意味、何度も捨てられていた佐々木にとって、

佐々木コールは、唯一、自分が存在していると感じられたんじゃないのかな。

 

 永遠に父親に捨てられて、自分の存在感を見失いそうになった時、

彼は、本当に「佐々木コール」を欲していた。

 けれど、

彼をひっそりと心配し、寄り添ってきた悠二は、

彼にとっての「佐々木コール」がどのような意味を持つとは、

分からなかった。

 

悠二と佐々木の関係は、特別だったと思う。

互いの抱える孤独が、共鳴していたのかも知れない。

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佐々木の求める「佐々木コール」が出来ず、

疎遠になってしまった2人。

再会した時、佐々木は死んでしまった後だった。

  

悠二が想像したのは、孤独のままに死んでしまった佐々木の姿だった。

疎遠であった事を後悔しただろう。

 けれど、佐々木は、

彼をしっかりと理解する彼女を見つけ、

絵を描き続け、

バッティングセンターでホームランを打っていた。

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佐々木の人生は、自分が思うほど、

不幸でもなく孤独でもなかったのかも知れない。

 

佐々木には、佐々木の人生があった。

佐々木コールで、存分に自分らしさを爆発させながら、

生きていたのだ。

 

 彼のそのパワーを受け継いで、自分も生きていかねば。

悠二は、そんな風に、佐々木の死を受け入れたのではないだろうか。

 

  青春時代を密に過ごした相手と、疎遠になる事は、

よくある事で。

 疎遠なのに、ふとした瞬間に、思い出す。

悠二と佐々木の関係は、それ以上に、

共鳴するものがった。

だからこそ、悠二は、佐々木の「演技をしろよ」という言葉を目指し、

束縛され、生きてきた。

 

想い出すのは、「スタンドバイミー」のクリスとゴーディの関係である。

 

彼ら2人も、互いにそれぞれの孤独を抱えて、共鳴していた。

 

そう考えると、

この作品においては、凄く余分なものと、不足なものを感じてしまった。

余分なものは、「悠二の彼女」の存在であり、

余分でもあり不足であったものは、「他の友人2人」の存在感だった。

 

悠二の彼女に至っては、正直、何故に必要なのか??と思えてならなかった。

会った事もない佐々木の死に、何故についてくるんや??

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 4人と佐々木の彼女で完璧なのに・・・・

何故、この彼女の横やりが入るんだろう。

 佐々木の死に向き合っているのに、酔っぱらって悠二に迫った夜の事を

謝るのも、理解出来ない。

 こんな時でも、自分を1番と思っている自意識過剰さに呆れる。

 

そして、不足でもあり、余分なのは、

残り2人の友人である。

つまり、「中途半端」なのである。

 佐々木の死に顔を見せるのに、この3人を集わせるなら、

もう少し、この4人の絡みが必要だったと思う。

 中途半端だからこそ、悠二より先に死に顔を見て、

泣きだすと、「わざとらしい」と思ってしまう。

 明らかに、悠二とその他2人とは、関係性が違うのに・・・・

 

「同窓会に佐々木が来てた」と悠二に報告する多田の言い方は、

彼にとって、佐々木は、特別ではないただの友人だった。

佐々木コールをして服を脱ぎだす、ただの面白いヤツなのだ。

 佐々木の名を聞いて、過去をじっくりと思い出し、

今も彼の言葉に縛られている悠二とは、

佐々木との関係性が、大きく違うのだ。

 

 しかし、ポスターにもなっている、

佐々木の顔を見下ろすシーンは、本当に、素敵なシーンだと思う。

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 佐々木と悠二が、ずっと近くにいたら、

幸せだったとも思えない。

 共鳴や共存が、互いの足を引っ張り合っていたかも知れないし、

共に、更に深みへと堕ちていったかも知れない。

 

 年をとっていく事への焦りや、それと同時に圧し掛かる責任もなかったからこそ。

そんな自由だった2人だったから。

 互いの存在を際立たせていたのかも知れない。

そんな記憶は、汚れる事なく、永遠に、心の中に宿り続ける。

 それが、青春であり、佐々木なのだ。