記憶に残っていたんですよ…どこかで聴いた歌詞だと。ごく最近、というか昨日ぐらい。テレビで。なかなか思い出せず。ネットで調べたら…出て来ました。エグザイルでした!懐メロかと思ってたらエグザイルだった。その歌詞の続きが「あきらめを知る」とかだと思っていたら「誰にでも悩める日がくるから」でした。この「悩める日」というのが「悩める若者」とか「悩める国王」とかの「悩める」なのか「悩むことが可能になる」という意味なのか。「文字を書ける」とか「言葉を話せる」みたいな。それで昨日画面に出る歌詞を見ながら曲を聴いていて「悩むことが可能になる」と受け取っていた。瞬間的に。それが心に残っていて、のちに思い出した。「夢を見れば恋をすれば誰にでも悩める日はくるから」「悩むことができる日はくるから」「悩む」ことに積極的な価値を見出だしているような。「悩める」ことは幸せなことではないかと。夢と出会えた幸せ。好きな人に出会えた幸せ。叶わない時に悩みや苦しみと共にその出会えたことに喜びを感じ感謝する感覚。 「悩める」ことは幸せなのかもしれない。君の、君だけの夢に、恋に出会えたのだから。
新庄はスポーツ万能だったが野球が比較的苦手だったため野球の道を選んだという。いとうせいこうはスタジオパークで苦手の中に可能性があると言っていた。自分を表現するジャンルとして特に努力しなくても上手くできてしまうジャンルというものがあるかもしれない。そこにまとをしぼり技術を高めることによりもしかしたら世界的レベルに達したり、そうでなくても人に一目おかれたり褒められたり感心されたり世の中に必要とされたり喜ばれたりするかもしれない。それが自信となり尊厳となり自己肯定感となり充実した幸せな人生を送ることができるかもしれない。しかしあえて苦手なものに挑戦してみるとか、下手なんだけどやりたいからやるというのもあるだろう。出来ないことを努力して克服する喜びがあるし、壁を越えることで新しい自 分や世界に出会える気がする。得意なことをやって始めから上手くてするすると上達しても面白くない。どんな世界でもそんなに甘くはないと思うが。しかし一番大事なのは自分自身の興味ではないだろうか。苦手だからやめるのではなくてそれをやることで何かその先に大きな可能性を感じることをやってみる。向いてるとか得意とか関係なくて何か惹かれるものがある、確実じゃないけどもしかしたら自分なりに大きな達成を得られるような気がする。そんな道を選ぶ。10年20年しても光が見えなくても「何となく惹かれるから」という理由で。それでやってみる。そんな道がある。
たとえば赤ん坊がかわいいとか子猫がかわいいとかある。キャラクターやアイドルなど。「かわいい」は「かわいそう」が語源だともどこかで聞いた。生物の本能として親が子をかわいいと思えないと子は生きられない。すると種は滅んでしまう。生物は生きようとする。死を避けようとする。痛みの感覚も不快の感覚もそう感じることが生き残るために必要だからといえる。生物は生きようとする。自分の子をかわいいと思い守る。同じ種族同士協力する。個体として生きながらえようとし、種を存続させようとする。そうすることが気持ち良く、そうしないことが気持ち悪く出来ている。かわいい顔とは何だろう。かわいい体とは何だろう。かわいい生きものとは何だろう。かわいいものとは何だろう。かわいいを美しいとかきれいとかかっこいいとかよいとか素晴らしいとか価値あるとかに変えてもよい。赤ん坊は自分が生きのびるためかわいい形になったともいえるのか。キリンの首が伸びたりカメレオンの色が変わるみたいに。それとも赤ん坊の形を種族の存続、繁栄のためにかわいいと感じるように親の脳、人間の脳が変化したのだろうか。男の形と女の形もそうだ。それは個体の存続よりも種族の存続に関わることだろう。「興奮」とか「愛」とか「幸福」とか。脳が「よい!」と叫び、対象への行動をうながす。麻薬のような物質が脳から出てその快楽により人を操作する。そのまま動かされ、動き、成就すると種族が存続する。個体もそうだ。子猫をかわいいと思ったり赤ん坊をかわいいと思ったりする。そのかわいさは無敵であり絶対の価値であり、最高の感動であると感じさせる。生きるということ。生かすということ。生かされているということ。この生命のうねりの中にわれわれはいる。命を奪ったり奪われたり命を与えたり与えられたり。この生存のドラマの中で、「生き生きと生きる」とはどのようなことであろうか。人はパンのみに生きるにあらずというが。