という記事が27日の朝日新聞の朝刊に載っていることを文学フリマ関連の2ちゃんねるで知り、近所の図書館で読んできた。昨日。昨日はコインランドリーで溜め込んだ衣類をどっさり洗い、乾燥機にかけた。洗濯機一台では足りずに二台に分けて。その場で一台には入り切らないとわかる。無理に入れてもきれいに洗われないだろう。その洗濯中に図書館に行ったのである。文学や芸術の発表の場。ながらく低迷してきた文学系の同人誌の世界に活況。プロデビューに新しいかたち。アートの世界も。なかなかわくわくさせてくれる記事ですな。みんながつくってみんなが見る、というか、落選したものは永久に日の目を見ない、とかではなく。だから文学フリマとかデザインフェスタとか最高じゃないでしょうか。こりゃあおもしろいことになってきましたな。コミケもネットもあるし。
部分しか見ていないのですが。林真理子さんが出ていて。ダイエットの話をしていて。いつもコンビニ弁当ばっかり食べている人が、おいしいものを食べるのを我慢しているのとは違う。私たちはおいしいものの味わ知っている。それで我慢するのは我慢のレベルが違うんだ。ダルビッシュが浮気を我慢するようなもの。と。真実かもしれない。薬物中毒の人が麻薬を我慢するようなもの。薬物の「良さ」を知らない人にはわからない苦しみ。毎日コンビニ弁当ばっかり食べてる人はいいわよね~。って。私たちはうまいものをさんざん食べてきたから。この苦しみはあなたたちにはわからないでしょうね。と。いい映画やいい舞台をさんざん見てきた人がテレビしか見れない生活になり、生まれてこのかたテレビしか見てない人をうらやましがる。あなたたちはいいわよね。生まれてこのかたテレビしか見て来なかったんだもの。私たちはいままでさんざんいいもの見てきたから、テレビしか見られない生活の苦しみはあなたたちには想像もできない苦しみなのよ。あなたたちがうらやましいわ、と。いままで性的に満たされてきた人が禁欲性格を余儀なくされ、性的にずっと貧しい人をうらやましがる、みたいな。真実かもしれない。薬物中毒の人間が薬物を摂取できない苦しみは薬物をやったことのない人間にはわからない。自分に当て嵌めて考えると、「芸術」と「娯楽」みたいなことがいえるかもしれない。バカな大衆は芸術の良さを理解できず娯楽で満足している。しかし芸術の高尚な快楽を知っている私たちはあなたたちのように娯楽だけでは満足できないのだ。我々高尚な人間は芸術を必要としているのだ。と。まあ、どうなのでしょうか。人は誰しもバカにされたくはないし、スキあらば他人をバカにしようとするものなのでしょうか。結局は「格差」とか「優劣」とか「嫉妬」とか「自尊心」の問題なのでしょうか。
昨日龍馬伝最終回でしたね。『龍の魂』。海、浜辺の龍馬の夢から始まり、砂浜の上、お龍が「う・み」と微笑んで終わる。龍馬が見ていた「海の向こうの世界」。そして現在。飛行機とインターネットの時代。「地球が狭くなった」エコロジーの時代。「共生」のために四苦八苦する時代。龍馬が命をかけてこじ開けた「上士も下士も大名も武士もない世界」「社会を治める○○○には「みんな」がはいる民主主義の世界」。しかし我々は今「楽園」にも「天国」にも住んではいない。何だかよくわからないものに支配され、追い立てられ常時監視され管理され調整され調合され調教され選別されているような奇妙なSF的な不安感。不自由感。この「不満足」や「危機感」や「閉塞感」をうまく表すことができるであろうか。それは資本主義やグローバリズムと呼ばれるものに所以するものなのだろうか。それともまた違うものによるものなのであろうか。それとも「個人的な悩み」「気のせい」「人生とは人間とはそんなもの」なのであろうか。しかし「何か」を打開したい、打ち破りたい、という思い。「何か」の抑圧が完璧に世界中、身体中を覆い尽くし、「勝算」「希望」「可能性」がきれいさっぱり蒸発してしまったかのような事態。「上士と下士のあるこの国の有様」を憎んだ龍馬。我々は何を憎み、何をどう切り開いたらよいのだろうか。