いや~、よかったよ。たすかった!始めの1時間半ぐらいかな、一冊も売れなくて、「空振りか!?」と、びびったよ。前回は10冊くらい売れたんだけど。でも開始1時間半ぐらいに二十歳ぐらいの女の子が一冊かってくれて「たすかった~!」って。救われたよ。記念写真を撮らせてもらいたかったくらい。「おもしろそう」と言ってくれた。最終的に売れたのは6冊でした。いろいろな心に残る出会いもあった。最後に買ってくれた女性。長くブースの前で本を手に取り読んでくれ、買ってくれるのか、買ってくれないのか、と、本当にドキドキドキドキドキドキしました!結果買ってくれて「やった!!!!」と心の中でガッツポーズ。小さく口にも出しました。女性が立ち去ってから。
今ヤマトの宣伝が凄いですね。昨日キムタクが徹子の部屋に出ていて最後に「戦争は最低です」と言っていましたが、確かにそう思います。徹子さんも戦争が悲しく酷いものであるとしんから思っているでしょう。しかし人は時にというか度々というか常に戦争をネタに娯楽を作り出します。それは別に否定できません。あらゆるスポーツやゲームは「擬似戦争」ともいえるでしょうし、大袈裟ではなくスポーツやゲームにのめり込むことで戦争を回避できるかも知れません。映画や漫画になることで悲惨さを伝えたり後世に残したりみなで考えるきっかけになったりするでしょう。しかしそこに一抹のというか、かなり大きな要素として「爽快感」や「娯楽性」があるのは否定できない。趣味としての猟や魚釣りもそうでしょうし、「敵をなぎたおす快楽」のようなもの。それは残酷で暴力的なものです。サッカーにも野球にも水戸黄門にもあるでしょう。刑事ドラマにも相撲にもあるでしょう。その快楽をまるごと否定するのは無理がある。しかし自覚することは無意味ではない。ただ抑圧的になってもだめだ。スポーツやゲームを「発明」した「平和主義者」としてあらたな「遊戯」を開発し続けることも平和には必要なことかもしれない。
NHKで多分再放送だと思うけどやってるのを途中からみた。その中で『草枕』からの引用があった。「涙を流すとする。その気持ちを俳句にまとめると、涙が遊離して自分は悲しむことのできる人間だ、という嬉しさだけが残る」みたいな。以前「誰にでも悩める日がくるから」という歌詞に感じたものも、こんな感じかもしれない。「悩む」ことが苦しみではなくて、ひとつの「能力」「力」「境地」のようなものと感じられ、喜ばしいことに感じられるというか。もしも「悩み」を「歌」にできれば喜びを感じることができるかもしれない。川本真琴の歌詞に「いい想い出化できない傷を信じていたい」というのがあったが。