何年かに一度なるのだがDVDレコーダーのハードディスクに溜め込んでいた映像が消えた。「最適化して下さい」という文字がちょくちょく画面に出てしょっちゅうしていたのだが最近はいつも「最適化が不十分です」だった。そして今日一度「ハードディスクが認識できません」というような文が出てその後一度は回復したものの先程回復不能となりやむなく初期化、全映像は消失した。こまめにダビングしていたのでほとんどはDVD化されているのだがすぐ見れる状態のお気に入り映像集が消えてしまった。しかしハードディスクの残量も少なくなってきておりどれだけダビングして消去して保存映像を絞り込んでも2~3時間しか残らず苦心していたがこれでスッキリするとも言える。残量が35時間になったから。夢のよう。しかし来月ブルーレイレコーダーを買う予定。それまで保存映像がもってくれたほうがよかっただろうか。ブルーレイになるとブルーレイディスクが経済を圧迫するだろう。今安くて一枚150円ぐらいだろうか。高画質で3時間録画のものが。片面25ギガ一回録画用というものが。「BD‐R」である。しかしDVD録画も苦心することもあった。ビデオテープより安くスペースを取らないのはよかったが。特に値段は最近は安く一枚20円以下で買えたりした。高画質で1時間録画だが。しかし買ったDVDディスクとレコーダーの相性なのか「本機で対応していないディスクです」と文字が出たり、しかし同じパックに入った別のディスクだと普通にダビングできたりということもたまにあった。ダビングできたと思ったものが後から再生できなかったり、ダビングする映像を選んでリモコンを操作中、速く操作するとフリーズしたりもした。それでも酷使に耐えて7年経ってもまだ使えるとはありがたい。感謝したいものである。またこのDVDレコーダーは実家に持って帰りビデオテープ→DVD→ハードディスク→編集→DVD→パソコンなどの作業に活用したいものである。オサマ・ビンラディンが殺されたそうである。3000人が殺されたテロの首謀者。殺されて当然とも言える。しかしあれは犯罪なのか戦争なのか。犯罪なら裁判が必要なのか。戦争ならこれは報復であり反撃もありうる。対テロ戦争の終戦は何をもってするのか。巨大な全面的戦争の始まりにならなければよいが。ビンラディンの主張とは一体なんだったのだろうか。
おもしろそうだと思い、行ってきたがとてもおもしろかった。「アウトサイダーアートの巨匠」といった感じで以前から知っていて興味があった。「何十年もかけて世界一長い小説を書いた」「少女たちが活躍する奇妙な絵を描いた」などの予備知識。絵も何かの雑誌で見たことがある。ラフォーレ原宿に入るのは初めてだった。とてもしゃれており綺麗で綺麗な女性もいた。「東京の中心」を感じた。銀座に初めて行った時にも「東京の中心」を感じたが、こちらのほうが先端的なのか。6階まで階段で行く。節電のためというわけでもないが。運動のためというわけでもないが。エレベーター が見当たらなかったというのもあるが。800円だった。ヘンリー・ダーガーの人生の始まりが書かれたプレートから始まる。1892年生まれだったろうか。4歳で母が死に、妹と生き別れる。17歳で養護施設を脱走。その後の20年は不明。37歳から病院の清掃員。その後40年『非現実の王国』を書き続ける。『非現実の王国』は死後アパートの大家が発見。作品の偉大さに気付いた大家が20年間部屋も作品も保存。大家の死によりアパートは取り壊されるが作品は保存。注目を浴び現在に至る。圧倒的な何かを感じる絵。それは信仰なのか感情なのか欲望なのか狂気なのか。とても刺激的だった。
私は北野武さんの映画が大好きで、たけしさんも非常に尊敬しているのですが、たけしさんが何年か前新聞か何かで「キュビスムのような映画」という発言をしていたように思う。現在の映画は物語従属的というかストーリー従属的というか、絵画でいえば古典的なものばかりが幅をきかせている。絵画における印象派やキュビスム、ダダイズムやシュルレアリスム、抽象表現主義やアンフォルメル、そんな映画がもっとあってもいいんじゃないか。それは大衆の嗜好だからしかたがないといえばしかたないが、観客も作り手ももうすこしなんとかならないか。映画はエンターテイメントであって芸術ではない、というのもわからないではない。莫大なお金を使って作れば回収できねば困る。しかし「映画」というせっかくの人類の発明品。芸術的なものがあってもいいじゃないか。こじんまりと芸術映画を作っている人もいると思うけど。消滅しないでほしいと思う。それはアルトーが夢見た映画の歴史なのかもしれないが…。それは文学でもいえるだろう。純文学不良債権論争というものがあったが、前衛文学というがキュビスムだのダダだのシュールだのアンフォルメルだのポップアートだのシミュレーショニズムだの的な小説がもっとあっていい。大手文芸誌がその保護の役割をしているのかもしれないがもっと前衛的、芸術的な文学があっていい。芸術とは何かとかいうのはあるが。古典も芸術であるが。しかし前衛だのキュビスムだのデュシャンだのポロックだのバスキアだの的な文学や映画がもっとあってもいい。それは個人的な趣味なのかもしれないが。数が一定数を超えると社会的ムーブメントになり革命的に変化するのかもしれないが。例えば北野武の映画、中原昌也の小説、それらが始めの一歩に過ぎないような広大なまだ見ぬ世界を夢想するのである。インディーズ的な世界ではいろいろやってる人も多いと思うけど。これからはそこらへんがクローズアップされてくるのではないか。新しい芸術を求めているのである。