私は北野武さんの映画が大好きで、たけしさんも非常に尊敬しているのですが、たけしさんが何年か前新聞か何かで「キュビスムのような映画」という発言をしていたように思う。現在の映画は物語従属的というかストーリー従属的というか、絵画でいえば古典的なものばかりが幅をきかせている。絵画における印象派やキュビスム、ダダイズムやシュルレアリスム、抽象表現主義やアンフォルメル、そんな映画がもっとあってもいいんじゃないか。それは大衆の嗜好だからしかたがないといえばしかたないが、観客も作り手ももうすこしなんとかならないか。映画はエンターテイメントであって芸術ではない、というのもわからないではない。莫大なお金を使って作れば回収できねば困る。しかし「映画」というせっかくの人類の発明品。芸術的なものがあってもいいじゃないか。こじんまりと芸術映画を作っている人もいると思うけど。消滅しないでほしいと思う。それはアルトーが夢見た映画の歴史なのかもしれないが…。それは文学でもいえるだろう。純文学不良債権論争というものがあったが、前衛文学というがキュビスムだのダダだのシュールだのアンフォルメルだのポップアートだのシミュレーショニズムだの的な小説がもっとあっていい。大手文芸誌がその保護の役割をしているのかもしれないがもっと前衛的、芸術的な文学があっていい。芸術とは何かとかいうのはあるが。古典も芸術であるが。しかし前衛だのキュビスムだのデュシャンだのポロックだのバスキアだの的な文学や映画がもっとあってもいい。それは個人的な趣味なのかもしれないが。数が一定数を超えると社会的ムーブメントになり革命的に変化するのかもしれないが。例えば北野武の映画、中原昌也の小説、それらが始めの一歩に過ぎないような広大なまだ見ぬ世界を夢想するのである。インディーズ的な世界ではいろいろやってる人も多いと思うけど。これからはそこらへんがクローズアップされてくるのではないか。新しい芸術を求めているのである。