東京から愛知へ。こだまに乗って。20日に帰省した。翌日21日は父の七回忌。命日は23日だけど。お坊さんに来て貰った。。。庭に去年の12月、90個ぐらいアボカドの種を埋めた。去年の9月末日ぐらいから体調不良改善の試みとして食べ始めたアボカド。何となく効く気がして毎日一個ずつ食べ続けた。その種を実家の庭に埋めたのだ。今年からは体調もだいぶ良くなり週に1~2個食べるようにしている。その庭に埋めた90個のアボカドの内10個ほどが芽を出していた!母によれば二週間ぐらい前に芽を出したらしい。5ヶ月ぐらい地下に潜伏していたアボカドの種たち…綾小路きみまろが潜伏期間30年とか言っていたけれど…冬の間もしぶとく地中で生きぬき芽を出すチャンスをうかがっていたのか…しかし今度の冬を越えられるかどうか心配ではあるが。今夜はすべらない話やTAROの塔(総集編?)やふしぎ発見やアドマチック天国が重なるので録画が大変だ。とりあえずすべらない話を観るつもり。カトパンショーパンもおそらく出るだろう。
今日は太宰治の誕生日であり遺体が発見された日ということで桜桃忌というのが三鷹の禅林寺で催されました。初めて行ってきました。太宰治は16歳の時「人間失格」を読み大変感動して以来好きでちょいちょい読んで来ました。「女生徒」もとてもいい。太宰の遺体が発見されたのは太宰39歳の誕生日だった。私も39歳。だから行く気になったというのもある。そういえば「人間失格」を読んだのも23年前の6月だった気がする。あれから23年。16歳から39歳。太宰の遺体発見の年齢に達しての墓参りである。墓前にはさくらんぼなどが供えられ、優しい空気にみちあふれているように感じられた。手を合わせ温かい気持ちになりながらしばらく墓前にいた。墓地には大きな木蓮があり美しい花を幾つか咲かせていた。森鴎外の墓を探すとほぼ真ん前だった。すると美しい人が墓前に…。危なくほんとに好きになりそうになってしまった。また来年会えるかもしれない。驚いたのは三鷹駅から禅林寺を探して禅林寺通りを歩いていたらピースの又吉さんとすれ違った。まさかと思ったが顔はどう見ても又吉さん。どうしようかと思ったが何か親愛の情を示したいと思い会釈した。すると会釈を返してくれた。とてもラッキーだった。朗読会が2時からということでその時の時刻は3時20分頃だったか。間に合わないなと思いつつ急いでいた。しかし又吉さんに会えてよかった。12日の文学フリマでは遭遇できなかったが今回の経験は貴重であった。美人にも会えたし。しかし声とかかけたほうがいいのか。駄目もとで。もしも俺がジローラモなら…とよく思う。もっとガンガン行かねばならぬのか。よくわからない。しかし綺麗な女性であった。しかし声をかけるのは難しい。素直に綺麗なんで声かけちゃいました、みたいなのがいいのか、何か別の切り口があるのか。しかし人は外見ではどうしてもわからないものがある。例えばその女性もどんな人かわからない。その意味で恐怖である。それがわかった時点で引き返せばいいのか。しかし「見た目が綺麗なので声をかけたけど話してみたら何かちがうのでさようなら」でいいのか。何かとても不自然な気もするが。しかしこれらはすべてこちらの考え、感情である。向こうの感情は推し量れない。しかし向こうの感情はこちらがアクションを起こさない限りわからない。すると当たって砕けろ、という事になる。しかし初対面ではなかなか出来ない。ナンパである。ナンパでいいのか?不明である。
昨日NHKで「仕事ハッケン伝」だったか、ピースの又吉さんがローソンに入社するという番組を観た。女性向けのパスタのコピーを考えたりシニアが足を運ぶコンビニのアイデアを考えたりしていた。前者のコピーは「末っ娘生まれました。かわいがってください。」「双児です。」。後者のアイデアはお客さんとコミュニケーションをとる専門のコミュニケーションリーダー「ムードローソン」の提案。どちらも感心した。こういうのをマーケティングというのかよく知らないが、お客の年齢や性別を具体的に設定し、店に入り商品を見、手に取り、レジに向かうまでを具体的にイメージできるような商品やコピー、サービスなどを徹底的に考えるという。先日読んだ岡本太郎の『対極と爆発』によれば「芸」と「芸術」は違い、芸は職人的なもの、顧客の注文に早く正確に答えるようなもので、芸術は自分自身に向かい合い、真の精神の自由を表現するようなものと書かれていた。絵画も昔は芸術ではなく、王様や貴族の注文に答えて、王様や貴族の気に入るようなものを仕上げる「職人」であったそうだ。それが革命により貴族階級が打ち倒されブルジョアジーが権力を握ると画家のお客は貴族でなくてブルジョアジーになる。その何十万人もいる見えないお客に対して絵を描くことになる。すると画家は自分の好きなように絵を描き、それをたまたま気に入った人が買うという構造になる。そうなると画家は「自分はどんな絵を描きたいのか」という問題に直面し、その苦闘から芸術家が生まれたという。注文に答えて顧客の望むものを提示する「職人」。顧客を具体的にイメージ、設定し、明確なターゲットに向けて「商品」、「作品」を発表する。それは様々な業界で行われているだろうし、「資本主義」の中心的な流れなのであろう。それは世界をおおいつくしている。快適な、しかしどこか息苦しい世界。ドラッカーは『マネジメント』の中で「顧客の創造」と書いていた。まだ見ぬ埋もれた潜在的な顧客の発見。「これこれ、こんなのが欲しかったんだよ」。洗練され先鋭化する資本主義社会。みながみなの欲望に敏感になり先の先を読み商品を開発し販売する。それは空気を読む競争、欲望を読み取る競争だ。王様の欲望貴族の欲望ブルジョアジーの欲望顧客の欲望他人の欲望。「欲望とは他者の欲望である」という言葉もあるがこの奇妙な「地獄」から抜け出すために「自分の欲望」「精神の自由」と向かい合うという苦闘が我々に求められている。