昨日NHKで「仕事ハッケン伝」だったか、ピースの又吉さんがローソンに入社するという番組を観た。女性向けのパスタのコピーを考えたりシニアが足を運ぶコンビニのアイデアを考えたりしていた。前者のコピーは「末っ娘生まれました。かわいがってください。」「双児です。」。後者のアイデアはお客さんとコミュニケーションをとる専門のコミュニケーションリーダー「ムードローソン」の提案。どちらも感心した。こういうのをマーケティングというのかよく知らないが、お客の年齢や性別を具体的に設定し、店に入り商品を見、手に取り、レジに向かうまでを具体的にイメージできるような商品やコピー、サービスなどを徹底的に考えるという。先日読んだ岡本太郎の『対極と爆発』によれば「芸」と「芸術」は違い、芸は職人的なもの、顧客の注文に早く正確に答えるようなもので、芸術は自分自身に向かい合い、真の精神の自由を表現するようなものと書かれていた。絵画も昔は芸術ではなく、王様や貴族の注文に答えて、王様や貴族の気に入るようなものを仕上げる「職人」であったそうだ。それが革命により貴族階級が打ち倒されブルジョアジーが権力を握ると画家のお客は貴族でなくてブルジョアジーになる。その何十万人もいる見えないお客に対して絵を描くことになる。すると画家は自分の好きなように絵を描き、それをたまたま気に入った人が買うという構造になる。そうなると画家は「自分はどんな絵を描きたいのか」という問題に直面し、その苦闘から芸術家が生まれたという。注文に答えて顧客の望むものを提示する「職人」。顧客を具体的にイメージ、設定し、明確なターゲットに向けて「商品」、「作品」を発表する。それは様々な業界で行われているだろうし、「資本主義」の中心的な流れなのであろう。それは世界をおおいつくしている。快適な、しかしどこか息苦しい世界。ドラッカーは『マネジメント』の中で「顧客の創造」と書いていた。まだ見ぬ埋もれた潜在的な顧客の発見。「これこれ、こんなのが欲しかったんだよ」。洗練され先鋭化する資本主義社会。みながみなの欲望に敏感になり先の先を読み商品を開発し販売する。それは空気を読む競争、欲望を読み取る競争だ。王様の欲望貴族の欲望ブルジョアジーの欲望顧客の欲望他人の欲望。「欲望とは他者の欲望である」という言葉もあるがこの奇妙な「地獄」から抜け出すために「自分の欲望」「精神の自由」と向かい合うという苦闘が我々に求められている。