先日「アシタスイッチ」で坂口恭平と石田衣良の対談がやっていた。坂口恭平さんは建築家で「0円ハウス」であるホームレスの家を研究したり「モバイルハウス」という車輪の付いた簡易な家(七万円位)を開発したりして「家」というもの「金(かね)」というもの「富」というもの「豊かさ」というもの「幸福」というものに根本的な問いを投げかける活動をしている人だ。「独立国家」の大統領として17000人の国民と共に世界を変える活動をしている。確かに私もホームレスの追い出しばかりにやっきになっている都市政策や、貧困の傍らで毎日「ゴミ」として捨てられる大量の食べ物や「何故道に蜜柑や林檎の木を植えて実を食べてはいけないのか」などの疑問を持っていた。すべてがお金で換算され厳密に制御され管理された社会。死ぬ程の努力と死ね程の労働がすべての人間に当然のように強要される社会。過労死か発狂か自殺かホームレスか通り魔か引きこもりの6択の世界。いつから世界はこうなったのか。何百年も何千年も前からそうなのか。そしてそれは変革不可能な事態なのか。そもそも目の前で起きている事態とは何なのか。資本主義や管理社会や権力や国家の分析、研究をしなければいけないのか。勿論そうだろう。しかしそんな中で天性の勘と行動力と頭の良さであっけらかんと「新しい試み」を提示してくれる坂口さんのような存在は大変大きな希望であるし刺激になるし心強い。それに対する批判者としての石田さんの意見も一理ある。「借金はターボみたいなものだ」「みんなの経済活動が縮小したら世界経済が回らない」など。我々は不況とはいえ豊かになった。しかし油断したら日本が最貧国になる可能性がないわけではないだろう。しかしそんな「恐怖」や「欲望」が我々を突き動かしてきた。ホームレスの言葉で「量を知れば不安が消える」というのがあるそうだ。例えば自分は一日に何リットルの水が必要なのか?など。無闇やたらに疑心暗鬼に進歩や発展、蓄積や豊かさを追求してきた時代は終わったのかもしれないし終わるべきなのかもしれない。しかし我々が「向上幻想」から逃れるのも難しそうだ。しかし「人は0円でも死なない」というメッセージは鮮烈に我々を救ってくれる気がする。「レールから外れたら死あるのみ」。そんなことはない。全然生きられる。なのに「生きられない」と思わされているし生きられないような仕組み作りに社会がやっきになってきた。問題は尽きないがあきらめたくない。
宇多田ヒカルの歌詞に「誰かの願いが叶う頃あの子が泣いている」というのがあったと思う。「美しさは罪」という言葉もある。一組の美男美女カップルがいるとして幸せの絶頂だとする。その陰では泣いている人がたくさんいるかもしれない。失恋というのはつらいものである。そのせいで死ぬ人もいる。カップルがたくさんいる風景。よくある光景だが彼らの足元は屍々累々の死体の山かもしれない。おいしそうな料理の山も生物の惨殺死体の山という一面がある。生き物は殺すことで生きている。精子の受精競争も受験戦争も経済的繁栄もありとあらゆる勝利が誰かの死、敗北の上に成り立っているともいえる。チャーリー・シーンがアンビリーバボーで「俺は瞬間瞬間勝っている」と言っていたがそれは瞬間瞬間負かしているという事だ。「勝ちも負けもない。自分の好きな事をやっているだけ」と言っても、その軌跡が誰かを深く傷つけているかもしれない。生きているということは瞬間瞬間何かを殺し、何かから場所や物を奪っていることかもしれない。生きること、行動すること、夢を叶えることの暗い側面。幸せの絶頂で恋人と見つめ合う時足元には誰かの死体が、絶望の叫びが、悲しみの涙があるのかもしれない。
麻里子さまのスピーチも深く胸に響くものがあった。大島優子も深くうなずいていた。我が意を得たり、といった感じだったのであろう。麻里子さまのスピーチはなかなかおもしろく、前田敦子や大島優子の昨年のスピーチへの反論、あるいはネットなどで麻里子さまへ送られたであろう意見への反論、という形をとっているようにも見えたのだ。前田敦子の「後輩のためにも席を譲りたい」という言葉。大島優子の「票数は愛です」という言葉、「卒業して席を空けろ」という一部のファンの意見への。僕も正直あっちゃんのあの言葉には少々違和感を感じた。あっちゃん自身の今の夢を抑え切れず…というのならいいのだが。まあ色々な理由があり「後輩に席を譲る」というのもそのうちのひとつだと思うのだが。席を譲ることでチャンスを与え、そのチャンスを活かしてほしい、という思い。また、「AKB卒業後」という全てのメンバーに訪れる運命を自分が先頭に立って始めに切り開き、道を作ってやりたいという思い。まさに現在のAKBのこと、未来のAKBのことを考えての選択のようにも思える。しかしこれは危険な賭けでもある。AKB自体の致命的な戦力ダウンにもなりかねない。そうなればいくらセンターで誰かが頑張ってもCDも売れず、テレビにも出れず、誰からも注目されず「AKBって何?あ~昔あったよね…何となく覚えているようないないような…」という事にもなりかねない。そうなると「元AKB」という「肩書き」も何の意味も無くなってしまうかもしれない。そんな前田敦子の思想に篠田麻里子は反論したようにも思える。麻里子さまは言った。「席を譲らなければ上に上がれないメンバーはAKBでは勝てないと思います。潰すつもりで来てください。いつでも待っています。」と。闘争宣言だ。競争がチームを強くする。そんな思想がある。そして大島優子の「票数は愛です」に対しては「票数は期待だと思います」と。この一年への評価ではなく今後一年の期待票であると。「席を若手に譲れ!」という意見には、若手もベテランも関係ない。実力のあるものが上に上がりAKBを支えるのだ。ひいてはそれがAKBのためにもなりファンのためにもなるのだ。と言っている気がした。「心強い若手が出て来たらその時は笑顔で卒業します」と言った。あくまでもAKB48の戦力を最高に保つ、という考え方だ。AKB48グループの未来が輝くことを祈っている。