「ロボットアニメ」とか「特撮」とかは一体何なのであろうか。そこに「美少女アニメ」も加えてもよいだろう。人類が生み出した無数の映像作品の中でそれらはどのような位置を占めるのであろうか。「映像」というものは人類の文化史の中で非常に新しいものであるから少し遡ってもいいかもしれない。写真の時代、絵画の時代に「オタク的な趣味」はどこに位置していたのであろうか?「ロボット」「モンスター」「美少女」。それらの想像力の起源はどこにあるのであろうか?ルイス・キャロルは膨大な少女写真を収集していたという。「ロボット」「モンスター」「美少女」への嗜好、というとやはりそこには「子供っぽさ」というキーワードが表れるかもしれない。もともとは「子供向け」「幼児向け」に作られた「作品」「商品」に「普通」なら卒業すべき年齢になっても耽溺し続ける感性。その対象は「怪獣映画」だったり「変身ヒーロー物」であったり「ロボットアニメ」であったり「魔法少女アニメ」であったりするのだ。そんな「大人」がかつて(今も?)不気味に思われるのは「自然」で「正常」であるのかもしれない。すると「オタク」の「正体」は「子供の趣味を持ったまま大人になった人」なのであろうか。いささか単純な結論であるが。しかしそんな「文化」や「生き方」が広く許容されるようになり世界からの注目も高まっているというのはなかなか面白い傾向だ。「ネオテニー」(幼形成熟)という言葉があり、それは「人間の大人は猿の赤ん坊に似ている」「人間とは猿の「幼形成熟」である」という考え方である。つまり「子供時代の延長」というものが「進化」のキーポイントではないか、ということだ。ニーチェも「人間はラクダから獅子へ。獅子から幼子へ進化する」というようなことを言っている。重荷、社会的な義務や責任や使命を背負って歩く「ラクダ」から社会や常識やしきたりや道徳と戦う「獅子」へ。そして一人でおもちゃで遊んで笑っているような「幼子」へ。「オタク」がニーチェの言う「超人」=「幼子」の予兆である可能性は十分ある、という気がしている。
しかし今例えば「きゃりーぱみゅぱみゅ」は「オタク文化」とそれほど「相容れなさ」は感じない。きゃりーぱみゅぱみゅは「原宿系」「オシャレ」でありひと昔前なら「オタク」とは「水と油」だったようにも思いう。それは「オタク」ていうものの地位向上や一般への浸透ということであろうか。パフュームにしてもそうである。しかし「きゃりーぱみゅぱみゅ」や「パフューム」を「サブカル」か「オタク」か、と定義するのも難しい。かつて「オタク側」であった「アニメ」や「漫画」が「サブカル」と呼ばれるようにもなったのだ。「オタク」がライト化したのか、世界がオタク化したのか。しかし「オタクブーム」の一方で「一億総ヤンキー化」とも言われる。「オタク」「サブカル」「ヤンキー」が奇妙に融合し始めているのかもしれない。ヤンキーがアニメを観たりロックを聴いたりしても全く違和感が無い。しかしそこには何かの線引きがあるようにも思われる。しかしかつてより境界線は緩くなっているようだ。エグザイルみたいなひとが「オタク」でも「サブカル」でも今や違和感の無い時代となった。20年前では考えられなかったかもしれない。時代は確実に変化しているのだ。しかし境界が曖昧になった現在、あえて「オタクとは何か」と考えてみるのも面白い。「オタクとは一体何なのであろうか」。何かを集めていたらオタクなのか?漫画やアニメに詳しければオタクなのか?「何かに熱中すること」がオタクであるならばスポーツを熱心にやっている人はオタクなのであろうか?何かを集める人がオタクならば切手やナイフやスニーカーやレコードを集めている人はオタクなのか?何か繊細な違いがそこにはある。落語やクラシックコンサートや野球観戦に熱心に通う人はオタクなのだろうか…麻雀やパチンコや…。きりがないからやめよう。やはり「愛好する対象」と何か関係はあるようだ。しかし微妙なものとして「鉄道」はどうだろう。「オタク」とも「マニア」とも言えそうだ。例えば広くとって「乗り物」と考えたらどうか。「船」「飛行機」「車」「電車」「バイク」「自転車」…「戦車」「ロボット」…。どうも「マニア」といった感じがする。そして「ロボット」が「ロボットアニメ」や「特撮」に結び付くとそこに「オタクっぽさ」が発生するように思われる。一体「ロボットアニメ」や「特撮」は他の人類の文化と何が違うのだろうか?
オタクとは何か?何をもってその人は「オタク」と言われるのか?なかなか難題である。「感触」としては「あの人はオタクだ」とか「私はオタクだ」というのはよくわかる。しかし「正確に定義」しようと思うとなかなか難しい。例えば「マニア」と「オタク」の違いなど。「オタク」の名付け親は中森明夫だそうだ。その「差別的な意味合い」で大塚英志と揉めたらしい。「オタク」と「サブカルチャー」の関係も複雑だ。岡田斗志夫の本によると「オタク」である岡田斗志夫は「サブカル」を敵視していた。それぞれの陣営を代表する雑誌として「アニメージュ」と「スタジオボイス」を挙げていたと思う。どうやら80年代二つの若者文化の潮流があったらしい。中森明夫は「オシャレ系」の「サブカル」に大塚英志は「オタク」についていたのだ。中森明夫はその後「宝島」や「SPA!」で活躍する。当時流行っていた「ニューアカ」と呼ばれた浅田彰なども「サブカル」の側らしい。ゴダールや現代美術や坂本龍一なども「サブカル陣営」というか、「サブカル」の人の好みの対象だろう。宮沢章夫の本で岡田斗志夫と対談した宮沢章夫がたしか「レッドツェッペリン」を持ち上げていた。レッドツェッペリンなども「サブカル」に入るようだ。その対談で岡田斗志夫はオタク代表として呼ばれていたようであり、「サブカル」である宮沢章夫と「オタク」である岡田斗志夫の「水と油ぶり」といった感じで対談が進んでいったように思う。「サブカル」の流れは例えば現在、椹木野衣や中原昌也に続いているのだろう。両人とも「アニメソング」とか嫌いなのだろう。思うにその「ダサさ」が耐えられない。といったところであろう。「ハイブロウ」なものを求める傾向があるのだ。しかしオタクにはオタクの文脈で「ハイブロウ」なものがあるとも思うが。「オタク」は中森明夫に名付けられた当時「おたく」と表記されていた。そのネガティブなイメージを脱却するため岡田斗志夫は「オタク」と表記し、「オタク」を一種の文化人、趣味人、知識人と化する事に成功した。その数年後「電車男」や「しょこたん」や「秋葉原ブーム」によって「オタク」は脚光を浴び名誉を回復し「愛すべきキャラクター」「味なキャラクター」「面白いキャラクター」として認知される事となる。今や「オタク文化」は日本の重要な輸出品と考えられるまでになった。