AKBカフェには月イチぐらいで行っているのだが、昨日も行って来た。前回もにゃんにゃんカレーを注文したのだが今回も注文した。ゆいはんのコースターを4分の1の確率でゲット。店員さんの手元を注視してゲットした。店員さんもサービスでわかりやすくしてくれたのかな。改めてAKBの曲は名曲ぞろい。店内のモニターで東京ドーム公演のDVDが流れている。あっちゃんも麻里子様もともちんも才加もいる。あっちゃん卒業公演だ。『重力シンパシー』と『ヘビーローテーション』の歌詞に改めて感動する。『重力シンパシー』の「いつか同じ重さで愛について想うだろう」というところ。『ヘビーローテーション』の「人は誰も一生のうち何回愛せるのだろう?たった一度忘れられない恋ができたら満足さ そんなときめきを感じて花は綻ぶのかな」というところ。もう脳の許容量を超えるほど感動してしまう。その他いろいろな曲にも元気、勇気、希望、力をもらった。近いうちに渋谷のタワーレコードに『ヒリヒリの花』を買いに行こうと思っている。
朝まで生テレビを途中から少し見た。ブラック企業がテーマだった。「ブラック企業」において、がんがん追い込まれ退職や自殺に追い込まれた場合、やられたほうにも問題があるというのはいじめ問題で「いじめられるほうにも問題がある」と言うのと同じだ。という話が出た。たとえば交通事故にあった場合、こちらに過失がなくてもその場にいなければ事故に遭わなかった。という理屈は成り立つ。その場合、事故にあった原因はこちらにもある。とは言い得る。しかしその原因とは過失とか欠落とか責任とか問題とはまた違う。たとえば竜巻の被害にあった場合、そこに住んでいなければそんな事にはならなかった。という論理は成り立つ。しかしそこに住んでいた事が過失なのか欠落なのか責任を問われるような自体なのか問題なのかといえばまた違う。「仕事が出来ない事」「仕事上のミス」は過失なのか、問題なのか、欠落なのか。「上司が部下に厳しく接する」「過酷な業務を課す」という事態があったとしてそれはその人を「成長させようとして」なのか「壊そうとして」なのか。「善意」なのか「悪意」なのか。上司の「内面」が問われるのか。しかし「効果」として「結果」として意図と反対に出る事はあるだろう。壊そうとしたら成長してしまった。とか、育てようとしたら壊してしまったとか。すると「指導されるほう」の問題なのか。どんな理不尽な非人権的な無茶苦茶な事をされても「壊れるほうが悪い」のか「死ぬほうが悪い」のか。たとえば通り魔事件で殺された人がいるとする。その被害者が異常な身体能力を持っていたら刃物をかわせたはずだから異常な身体能力を持っていない被害者が悪いと言えるだろうか。予知能力を持っていないのが悪いと言えるだろうか。運が悪いのが悪いと言えるだろうか。「原因」と「過失」は切り離して考えるべきである。そして「原因」はひとつではない。上司が部下を壊したいと思って指導する場合、会社を育てたい、と思っているかもしれない。ブラック企業ではない企業でも過酷な要求や部下を壊そうとする上司はいるかもしれない。「内心どう思っているか」とか「結果育ったとか壊れた」とは別に「線引き」は必要だろう。ケースバイケースとか両者の関係性とか色々あるだろうが。そうするとブラック企業問題、いじめ問題、だけでなく学校や家庭での教育問題、夫婦問題、家族問題、あらゆる人間関係、あらゆる関係のすべてに共通する気がしてくる。行為Aが結果Bをひきおこす保証は無い。だからといってルールが無用なわけじゃない。愛情や善意が無意味なわけじゃない。自分のため会社のため部下のため家族のため未来のため夢のため人類のため世界平和のため地球環境のため動物や植物や虫のため、人が動く動機は様々である。しかしその「動機」や「欲望」を批判的に検証することも必要であろう。あと、番組の中で「会社をやめる能力を持つべき」というのは、なるほどな、と思った。「ゲームを降りる自由」というのは、いつも頭のどこかにおいておいたほうがいいかもしれない。人生を自分から狭くしてしまうから。



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この前キングオブコント2013を見た。前半部分でそれぞれのネタに何となく共通点を感じた。コンビ名などは曖昧なので置いておくが、まずミュージシャンになりたくて東京へ行こうとする若者とその友人のコント。これは簡単に言ってしまうと夢を追いかける人を茶化し、皮肉り、否定し、馬鹿にしたコントである。ここでは「現実」が「夢」に対して優位に立つ。もうひとつは、路上でポエムを書いた色紙を売る若者と宝くじで大金を当てたおばさんのコント。ここではおばさんが若者の詩を才能を考え方を生き方を徹底的に否定する。最終的に若者は精神の崩壊に至る。そんなコントだ。ここでは「夢」と「現実」の対立とも言えるが、おばさんは「宝くじの当選」という「夢」を叶えており、二種類の夢が戦っているとも言える。おばさんが当てたのは確か6億円だったか。金の力で若者を圧倒し、押し潰し、排除、消滅させようとするのだ。もうひとつは工場でバイトしながらロックをやっている若者とそのバイト先のおじさんとのコントである。その若者のライブを初めて見たそのおじさんはその歌詞にショックを受ける。「毎日毎日同じ作業の繰り返しなんてくだらねえ、俺は自由になるんだ、夢を追いかけるんだ」など、自分たち労働者を徹底的に否定したものだったからだ。それに対する「酷いじゃないか」という感情を若者に表明、苦情を言うことで「夢」が「現実」を否定するコントの構造になっている。しかし最後におじさんが「俺たちの作業着の染みのひとつひとつにだって個性はあるんだ」と反論し、「現実」の中にも輝く夢や希望が存在すると思わせてコントは幕を閉じる。もうひとつは「お嬢さんを嫁にください」と現れた若者とその彼女の父のコントである。父は若者に職業や年収を尋ねる。若者は無職でバイトもせず貯金を切り崩し、俳優になる夢を追いかけているという。父は当然のごとく断る。しかし貯金が100億円あるとわかり立場が逆転する。逆転するというか父親のほうが金にふりまわされて勝手に上がったり下がったりするのだ。これは父親のほうが「現実」、若者のほうが「現実的な夢」と「夢的な夢」の立場にあると言える。「現実的な夢」というのは「ベンチャー企業的なものを売却して得た利益100億円」であり、「夢的な夢」というのは「黒澤映画に感動し、自分もこんな作品に出てみたい」という俳優になる夢である。夢である。ここでは「現実」が徹底的にへこまされている。ここでは非現実的な夢も100億円という現実の裏支えがあるために文句を言えないのである。その100億円も自分の才覚で稼いだものなので文句の挟みようがないのである。結局最後は「娘をお願いします」という事になるのである。これらのコントに見られる「夢」と「現実」のせめぎあいは色々と考えさせられる。「夢を追いかける若者」というと中島みゆきの歌詞「戦う君の事を戦わない奴らが笑うだろうファイト!」も想起させる。戦いに勝てば現実になり「現実」は黙るしかない。「負けるだろう」「やっぱり負けた」「確実に負けるのがわかっているのに戦おうとしている」と、考え馬鹿にして笑うのだ。しかしその勝敗は100%決定しているわけではない。ゆえにその関係は、立場は揺れ動く。そして「夢」にも、金を目的にしたものと、そうではないものがある。色々と考えさせられる。



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