優しさがいちばん -82ページ目

ところでロマ書って?


ところでロマ書というのは名前からしてわかりにくい。ロマとはローマ人のことでパウロがローマ人へかいた手紙がのちに聖書となったものだ。英語ではromansとよばれている。

このロマ書は
マルティン・ルターは1515年から1516年にかけてローマ書講義を行ったが、そこからくみ上げた思想が1517年の「95ヶ条の論題」ににじみ出ることになり、宗教改革の口火を切ることにつながった。1738年には『ローマ書』につけられたルターによる前文を読んでいたジョン・ウェスレーが「不思議と心が温かくなる」改心体験をし、メソディスト運動につながった。1919年、カール・バルトの『ローマ書注釈』の発刊は「新正統主義」と呼ばれる神学思想の始まりであるといわれる。”

ルターは救いは人間の努力ではなく神の恩寵からくるとカトリックの教えと対立する主張をしたといわれているが、一方カトリックは
”ローマ書』2:5-11にははっきりと人間の行いの重要性も書かれているということを指摘してきた
という。

10章をみてもわかるように、どちらか一方だけ必要なのではなく、
その両方の行為が必要なのだ。

やわらかおもち

優しさがいちばん-山東大餅

聖書のセントラルメッセージ3


聖書のセントラルメッセージがわかったあとは、これを実行していくのでしょう。
イエスキリストを自分の心に受け入れるということは、イエスキリストの考えにそった生活に
方向転換をしていくということになります。
わたし自身はそのことに気づかず、無駄に30年ちかく過ごしてきました。
理屈に同意していても、行動がともなわなかったら、
理屈にあわない、あるいは理屈がわからない人々をしりぞけてしまったり、批判してしまいがちになります。
そういうわけで、わたしは過去、ほとんどの牧師を批判し、いってもわからん、
あるいは、牧師の偽善性と身勝手さ、理屈のわからなさなどあらゆること
に腹が立ち、できるだけ、牧師やその周囲のひとたちとかかわらないようにしてきました。

このような生活をあらためるために
ロマ書10章にたちもどらないといけないと考え直しました。
9節はノンクリスチャンのみならずクリスチャンがでさえも救われる条件でしょう。
9節と10節との関係はなかなかむつかしくこれからも執拗に調べて行く必要がありますが、
10節は”神の義”の概念を提出し、物理現象と霊現象のお互いの帰還増幅作用という機構が人間にはあるのだと教えているようです。
だから、クリスチャンは神をほめたたえたり、歌をうたうようにいわれているのでしょう。
賛美歌を唱うのはおっくうですがそのような原理があれば、唱う事もいいことかもしれません。


山東大餅をうっています



これは固い山東大餅を路上でうっていました。
山東大餅の写真をとらせてくれと頼んだのですが、路上でうるのが問題があるらしく
NG。

そこで少し離れて。

優しさがいちばん-streetsales

聖書のセントラルメッセージ2


ロマ書10章:

”1008> では、なんと言っているか。「言葉はあなたの近くにある。あなたの口にあり、心にある」。この言葉とは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉である。
1009> すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。
1010> なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。

10章8節では口と心とに重要な関係のあることを示唆している。
言葉を物理的に音波として発声し耳から聞き取る事によって心の状態が変化することをいっていると
思われる。
普通の人の間は心の実体、人の霊、の実在は証明されないから、このようなことをいっても無駄であるが
聖書では霊の実在を教えていて、これが物理的実在と絡み合っているといっている。
言うのは簡単だが、信じる事は簡単でない。

そして、
10章9節では物理的発声が霊的な主の受け入れに必要で、さらに、イエスキリストの甦りが、比喩的なできことではなく、本当に神によって、起こり、聖書の他の部分でも説明しているように、
イエスキリストは霊的な世界でサタンを打ち負かし、霊的な世界の支配者になったことを、
イエスキリストは誠実なかたで、嘘はつかないことから、これも、比喩としてうけとるのではなく、
信用して、そのとおりだと確固として同意する。
この重要な条件を私達が満足するのであれば、私達は先祖から引き継いでいる悪しき霊から離れ、神はわたしたちのエゴ/罪を忘れてくれる。

10章10節では
神様は人間が心で(イエスキリストの言葉を)信じれば、人間を”神の義”として認めてくれて、
さらに、
その心の信仰を物理的な発声で表明する事で、
悪から、悪は悪霊からくるから、悪霊から、つまりサタンの呪縛から救ってくれるという原理があることを教えてくれている。

サタンの悪霊でなく、イエスキリストの霊を自らの人間の心にはいってもらうことで、
いままでの、ストレス、怒り、悪口などから、じょじょに離れて行き、
だんだん、イエスキリストの教えができるようになっていく
はずである。



聖書のセントラルメッセージ1

わたしが聖書のセントラルメッセージと思う物は
ロマ書10章の8節から10節:

”1008> では、なんと言っているか。「言葉はあなたの近くにある。あなたの口にあり、心にある」。この言葉とは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉である。
1009> すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。
1010> なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。”

です。
つぎにその理由を述べます。

もったいない


台湾大学のそばの公館の路上の屋台のお店。
おさらにポリ袋をかぶせて、水洗いをしないですませる知恵です。

台湾ではなんでもこのポリ袋にいれて食べますー

優しさがいちばん-もったいない

聖霊、悪霊 そして。。。

聖書によると 神は精霊と一体である。 またサタンは悪霊である。

さて、人間の霊は。つまり救われる前の霊は
そのどちらでもないと思われる。

救われると聖霊がこころに住まわれるが、其れが完全でない場合はどうだろうか?

いずれにしても
人間界には物理現象以外にも霊野世界があり、
これが、干渉をおこす場合が
聖書にも記述されている。

三島の聡明さと


三島由紀夫ほど聡明な人はいなかった。
しかし、三島は聡明さの対極にもあこがれをいだいていた。
そのロゴスと肉体の情念の遥かな暗闇の距離を埋めるために
天皇崇拝を持ち込んだ。

そして、自衛隊に恥辱に死を立ちあわせることになってしまった。


イエスキリストの再臨


イエスキリストが予言どおり天にあがってあと、聖霊がイエスを信じる、非ユダヤ仁に
与えられた。21世紀の今日でもだ。
イエスはすぐににもまた地上にもどられるといわれた。
そして2000年。