半年に1回くらいしかラーメンを食べないが、鹿児島旅行の際、じゃなく出張の際(笑)、天文館(鹿児島の繁華街)で呑んだあと、連れに誘われてラーメンを食べることに。

お腹いっぱい呑み食いしたので、少な目でいいと思いメニューに小があるお店を選択した。

スープは飲み干さなかったが、あっさりしたスープに揚げニンニクチップがマッチしてた。

土曜日の午後から透析だったので、午前中は照国神社や維新ふるさと館を見て回り、天文館で人気のラーメンを食べることにした。
ラーメンを食べない自分が2日続けて食べるなんて!


こちらもスープは比較的あっさり目だったが、豚トロがトロトロだったが味が濃過ぎた。

臨時透析は、いつもより短めの4時間だった。しかも、HDFは対応していなかったのでHDだった。残業で対応していただいてるので、多くは望まなかった。

明けた月曜日は血液検査だった。(汗)
散々飲み食いし、透析時期も短かったので、検査データに期待はしていなかったが、カリウムが5.6、無機リンが4.7だった。

こんなことなら、替え玉すればよかったよ。(笑)


鹿児島での臨時透析は、ベット数30床の総合病院で行った。
多くのクリニックから臨時透析を断られ、心がくじけそうなときに快く引き受けていただけて、ホント感謝しかない。

他の患者さんへの感染防止のため、通常行わないクールでの透析だったので、通院患者さんが帰ったあとの静まった透析室だったけど、さらに透析室の一区画をビニールで覆ったスクリーンパーテーションで仕切って、臨時の隔離透析室になっていた。

患者さんが帰った後の静まりかえった透析室。

臨時に設けた隔離透析室。体重計もこの中に置いてあった。

看護師さんたちは、残業で対応してもらったようだ。さすが、秋篠宮皇嗣殿下を総裁にいただく慈善事業団体だけのことはある。


古事記の上巻の最後は、『天孫降臨』である。

大国主命(オオクニヌシノミコト)が国譲りをし、天照大神(アマテラスオオミカミ)の孫である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が三種の神器とともに地上の世界に降りてきたという話である。

ちなみに、ニニギノミコトの孫が神武天皇である。

そして、ニニギノミコトを祀っているのが霧島神宮である。

極彩色が美しい。

出雲大社から続く神話の最後の地点である霧島神宮にこんなに早く来られると思わなかった。

コロナ禍だからか霧島神宮のご朱印は、本来のものとアマビエのものであった。



指宿から足を延ばして、知覧にある特攻平和会館にやってきた。
4回目の訪問であるが、何度訪れても例えようのない悲しみに包まれる。

国粋主義者や愛国者ではないけど、東京の靖国神社、沖縄のひめゆりの塔、広島の原爆資料館、鹿児島の知覧特攻平和会館には一度は来るべきだと思っている。



陸軍航空隊の基地だった知覧飛行場は、太平洋戦争末期の沖縄戦に駆り出された多くの20歳前後の特別攻撃隊員たちが飛び立っていった場所である。
1945年4月から6月に至るまで菊水作戦という人類史上類をみない飛行機もろとも敵の艦隊に命がけの体当たり作戦で戦死した特別攻撃隊員の数は、実に1036人。
ここ知覧からは半数近くの439名が飛び立ったそうで、その一人ひとりの遺影、遺品、遺書などの資料を展示した館内は、涙なしでは見ることができない。

母の足腰が丈夫なうちに連れて行きたい。
今週も日本透析医会から透析患者さんの新型コロナウイルス感染者数の発表があった。
 
透析患者の感染者は6名増えて282名に、死亡者数は2名増えて41名だった
感染者が増えた地域は、北海道・東北地方が2名、東京地区が1名、近畿地区が2名、九州・沖縄地区が1名だった。死亡者は東京地区と九州・沖縄地区が1名ずつだった。(詳細は、こちら。)

 

北海道・東北地方はずっと感染者が増えていなかったが、急に2名の感染者を出してしまった。東京地区の感染者数は落ち着いてきた感じがするが、ここにきて感染地域が全国に広がったようだ。