夏目漱石著
「坊ちゃん」
を読んだ。
 
日本を代表する名作なので要旨はなし。
どこの本屋・図書館にでもあるだろうから読んでみてください。
 
 
何度読んでも飽きない小気味よいお話です。
坊ちゃんのように自由に生きることはもう現代ではかなわないでしょう。
だからこそそのキャラクターがいまとなっては、
さらに魅力的になっていくのかな?
 
よく坊ちゃんは勧善懲悪ものだと言われます。
(現にぼくの持ってる新潮文庫版には背表紙に書いてあるし…)
でも、
本当にそうなのでしょうか?
懲悪は認めます。
悪い赤シャツをやっつける部分は一番痛快な部分でしょう。
(手段はどうあれね。)
でも勧善は…?
 
田舎に出てきて、
気に食わないことがあったら、
「田舎だからこうなる。」
 
気に食わないやつがいたら、
「田舎ものだから卑怯だ…」
 
気に食わない食べ物が出てきたら、
「東京のもの食ったことないから仕方ない…」
 
ひどい差別だな…。
 
もちろんこういうことを素直に吐き出すその素直さこそが、
江戸っ子たる坊ちゃんの魅力をより大きくしているのだろうし、
これはこれで面白いんだけど、
ただこの素直さを善と直結させるのはいかがなものだろう?
 
結局最後に、

ロジックでは到底敵わないから、
赤シャツに鉄拳制裁…。
まるでアメ○カではないか…。
 

 
(あんまり関係ないけど、
解説で江藤淳は、
(新潮文庫版ね。改版99刷。)
「単純な勧善懲悪ではなく、
善玉が破れ続けることで寂しさの要素が加わって、
より小説としての面白さを増す。」
みたいなこと言ってるけど、
ア○リカは負けなそうだなぁ…。

しかもアメリ○的懲悪に痛快さはまるでなし…。
性質悪いですな。)

 
 
そんなわけでぼく個人としては、
善を勧めてるとは思わないんだけど、
そんなことは関係なくお話は面白いし、
何度読んでも気持ちいいです。

 

 

 

 

 

 

かんぜんにかんぜんでない…

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 


だって思いついちゃったから…。

ごめんなさい。

 

 

 

あぁ松山行きたいなぁ…。

あけましておめでとうございます。

 

予告どおり、
昨日から日記帳に移行しました。
でもブログもせっかくはじめたのでちょっとづつでも書いていこうと思います。

 

年頭に当たって、
今年の5大目標を立てました。
非公開だとうやむやのままになってしまうので、
せっかくですので
宣言しようと思います。



一、卒業する。

 

まあこれは一年のというよりこの四半期の目標になります。
是が非でも卒業までこぎつけたいです。

 

 
一、体を作る。

 

学校を卒業してしまったら、
かなり自分で意識しないと体はどんどんなまっていくことが予想されます。
バイトもやめてトレーニングする場所もなくなってしまいましたが、
D論が少し落ち着いたらなんらかの対策を講じてこのブヨブヨの体を鍛えなおそうと思っています。

 

 
一、節酒を心がける。

 

もう無責任に酔っ払っていい時期は終わりかな…?
少なくとも平日にへべれけになるのは許されませんよ。
ってことで普段から心がけます。

 

 
一、熱力学を学ぶ。

 

たぶん学部1,2年生(ってことは7,8年前…)で習ったはずなんですが、
はっきり言って全くわかりません。統計力学とあわせて生体系を扱うときの鬼門になっております。

なんどか本読んで結構真剣に勉強したんだけどね…。
もう一度学びます。

本はもう購入済です。

後は読むだけですよ。
余裕ですな…


 
一、日記を書く。

 

なんとも小学生のような目標ですが…。




この5つを主軸に今年もがんばって生きます。

来年からの日記の練習にと思いつきで始めたこのブログですが、
思いのほか続きました。

日記っぽい日はほとんどありませんでしたが、
やってみて、
それなりに続けていく自信も付いたので、
来年からは日記帳に移行しようと思います。

 

ブログやってみて気づいたけど、
やっぱりここに書いて公開する以上は、
どんなに見る人が少なかろうと、
他人に見られることを意識して書いているね。

 
やっぱりそれが理由で書くのを躊躇してしまうこともあったから、 
 
「いま現在思っていることを文章として残す。」
 
っていう本来の意図とは違ってきちゃうってきがしちゃいました。
 
数年後、数十年後に今の自分の思ってたこと・考えてたことを確認できるってのが
ぼくが日記を書きたい一番の理由なので、
ここでためたやる気がうせる前に、
日記帳に少しずつでも書いていこうと思います。
 
 
 
 
 
もう今日で今年も終わりですが、
ぼくはこの1年で成長できたでしょうか?
残念ながらあんまり自信を持って
 
「ここが変わった!」
 
ってとこはありませんな…。
 
いまの自分に不満があるわけではないですが、
(もちろん納得もしてませんけど…)
やっぱり変われるものなら自分を変えたいんですよね。
 
でも流されて変わってっちゃうのだけはいや。
自分の納得できる形で、
 
「うわー!なるほど。そういう考え方もあったのね…。ぼくが間違ってました!」
 
っていうのが理想です。
 
もしかしたら20代後半でそういうのは難しいのかもしれませんな。
でも自分を変える努力をせねば、
変われるチャンスすらなくしてしまうわけですから、
来年も常に意識して日々過ごしていきたいです。
 
まずは日記帳に考えを書くことで自分反省会を小まめにやっていこうと思っております。 
 
 
 
 
まあ気が向いたらブログも書きます。
 
よいお年を…。

他人の実験だろうと、

自分の実験だろうと、

一つの実験結果から、
いかに多くの情報を読み取れるかが、
その人の物理的なセンスの良し悪しだと思うんです。
(もちろんそれ以外にもあるでしょうが…)

実験ってのは、
(計算機実験も含む)
何か見たいものがあって、
それをみるためにやるものだと思いますが、
その実験結果から、
見たいものをみるのはいわば当然であって、
(見たいものを狙って実験したのに、見たいものすら見れなかったら、
サンプル(計算だったらモデル)が悪いか、腕が悪いかどっちかか?)
その見たかったもの以外の情報が見れないと、
いつまでたっても自分なりの研究テーマはなかなか開拓できないんだと思うんですよね。

(ひとつの実験から、それをさらに発展させることができないって意味で…)


前からこういう点では、
先生方には遠く及ばないなぁ…。
(まあ当然だけど)
と常々思ってたんですよ。

でも、
曲がりなりにも博士になって、
研究者としてご飯を食べていこうって思うころになれば、

「見えないものが見えるようになってるはず。」

と信じてのらくらやってきたわけです。

そうなんです。
ぼくの予定では、
博士になるころには、
少なくとも自分の分野については、
先生をしのぐとは言わないまでも、

それなりに対抗できるくらいには実力を身につけてるはずだったんですよ。

なのに…。

 
全然かなわねぇ…。

 
たぶんスポーツで言ういわゆるゴールデンエイジは、
研究で言うと学生時代だと思うのね。
純粋に自分の興味だけで勉強できるからね。
 

もうゴールデンエイジ終わっちゃうよ…。
このままじゃまずいね。

このまま研究室を出てしまっていいのでしょうか?
不安になります。

でも卒業しないのは家庭内政治的にもっとまずい…。
まあ気にしてちょっとづつでも勉強続けるしかないのかなぁ?
だいじょぶだろうか?

 
でもどうやって訓練したらいいかも正直わかりませんな。
まず基礎的な素養が絶対的に足りないのは自覚しているので、
まずそこを少しづつでも固めないと話になりません。
(学生じゃなくなってこんなことする余裕があるかは不安…)

あとは、
経験なのかなぁ?
と思って、
とりあえずいろんな人の考え方を聞けば、
なんとなくわかってくるものなのかなと思って、
けっこういろんなところに出入りしたとは思うんですが、
いまいち自分のものになった気がしないんだよね。

もちろん役に立つこともたくさんありましたけどね。

自分でやってないからかしら?

でも理論やってる先生はおそらく本格的には実験なんてやったことなさそうだしな…。

(実験の先生が、手法や近似の精度はともかく理論計算値を解釈できるのは普通な気がするけど。)
やっぱりセンスがないのかなぁ?
と思う今日この頃です…。


 

 

ぼくには何も見えんよ、カントク…


小川洋子著
「博士の愛した数式」
を読んだ。


ずいぶん売れてる本だし、
映画にもなるみたいだから要旨はなし。
興味ある人は各自調べてください。


久しぶりに最近の小説を読みました。
(っていっても2年も前のだけど…)
この本の前に読んだ現代が舞台の小説は、
あの有名な


「世界の中心で…」


だったのです。

帯につられて読んだけど、

あの本が売れてしまう意味が今でもさっぱり分かりません。
何が面白いのか?
文章が上手なわけでもなく、
話の筋がすばらしいわけでもなく、
惹きつけられるような登場人物もなし。

なんであんなに売れて、
映画にもなったんだろう?
(うわさでは舞台にもなったとか…)
まったくもって不可解な本でした。

ぼくなりにあえて理由をつけると、

軽さとわかりやすさかな?


ただ売れるから熱が冷める前に荒稼ぎしようって魂胆が気に食わんね。
出版社も目先の利益だけでなく、
後世に残して恥ずかしくないものをアピールしていかないと、
出版界のためにならんと思うんだけどな…。


言い過ぎかな?
ぼくの感性が現代の若者とはかけ離れているのか?
って不安になりました。


「ダレカ、タスケテクダサイ…」

 
 

 
 

 

 
ってことで、
最近のベストセラー小説にはあんまり興味がなかったんですよ。
だからこの「博士が…」も気にはなっていたものの、
なんとなく手に取る気になれなかったんですよね。


でも最近生協の本屋さんをふらふらしてたら、
いつの間にか文庫化されてたんですね。
この本。

しかもその帯に、


「2006年1月ロードショー」


!!!


映画化されんの!?
またセカチュウと同じですか。
買わなくてよかったよ。

って最初は思いました。


けど、
文庫本だし、
またお得意のだめビール換算、
「生一杯我慢したと思えば…」
がでてきて、
買ってしまいました。


結果から申しますと、
いい買い物でした。

物語も面白いし、
しっかりと背景描写がされてて入りやすいし、
何よりも登場人物が魅力的です。

 
ただ、最初のほうは場面も心理状態もかなり細かく書いてると思うんだけど、
(ときにはうっとうしいくらい細かい)
最後に向かうにつれてだんだん大雑把になってくのが残念といえば残念かな。
何か狙ってわざとやったんだろうか?
ぼくにはその狙いがわかんないから、
もう細かく書くのめんどくさくなっちゃったのかなぁ?
って印象を受けました。
最後まで細かく書いてくれてれば文句なしのお話だと思います。

 

ちなみに、
タイトルにも数式って出てくるし、
中身にもいろんなところに数式が出てきますので、
数学嫌いの人にはちょっと抵抗があるかもしれませんが、
はっきり言って数式の内容はまったく理解する必要はありません。
いかに博士が数学を好きかがわかれば十分です。
どんくらい好きかって言うと、
高校(中退)以来まったく数学とは縁遠い(であろう)家政婦に、
素数の説明を聞かせてたら、

日常生活の中でも数字を意識させちゃうくらい好き。
(余計わかりにくいかな?)



 
まだ読み終わったばっかりなので、
よく考えてませんが、
オイラー公式の意味はぼくもよくわかりません。
なんで?


「壮大な自然の法則の前で、
お前ら何そんな小さいことでけんかしてんだよ!」


ってことか?
読んだ人教えて。

藤原正彦著、
「祖国とは国語」
を読んだ。

なんとも重いタイトルだけど、
要旨は、

------------------
戦後半世紀かけて壊れてきた国を元に戻すには、
即効性のある方法で一気に治すなんて都合のいい話はないから、
まともな国民を教育するところから時間をかけてじわじわやらなきゃいけない。


すべての教育の基本は国語だから、
ほかの知識をためるタイプの教科よりも国語に重点を置くべき。


なのにゆとり教育の名の下にほかの教科と同程度に国語の授業数を減らすとはなにごとだ!
しかもほんとに一部の人しか海外旅行以外には使うことがないであろう英語を、
国語の時間を削ってまで小学校から全員に教えるなんて意味あるのか?
言語は情報伝達のためだけのスキルだと思ってるやつらはくそだ!


母国語で論理的に考えられないやつは英語できるようになったって、
国際舞台で活躍できるわけないんだから、
まず国語からだろう!



で、
国語の授業って言っても、
ほとんどの教師はむしろ国語を嫌いになるような授業を展開しちゃうみたいだから、
先人の書いた美しい文学にもっとたくさん触れましょう。
小さいときに文学に触れることで人間も豊かになりますよ。


文学で培った祖国愛(nationalizmではない)をもった人間をたくさん育てれば、

日本はよくなっていくはずです。

(経済的にではなく)


著者曰く、
「一に国語、二に国語、三四がなくて、五に算数。」
------------------


って感じです。

確かに…。
共感できる部分はたくさんありました。

塾で子供教えてたときに、
問題の意味を理解してもらえない子に教えるのが
一番つらかったもんね。


けど、
体育は?
ぼくは前から小学校のときは、
国語と同様に体育も必要だと考えているから、
体育の重要性に言及してないとこだけが納得いかなかった。


最近教育関係でよく話が出てる、
斉藤孝さんのほうが、
体育にも注目してるみたいだから、
手法はともかく、
コンセプトとしては斉藤さんのほうがいいなぁ…。


著者は教室でやる科目のことしか念頭にないんじゃないの?
って思ったけど、
国語より重要度の低い科目を挙げてた部分でしっかり体育も並んでたから、
体育のことを考えていないわけじゃないみたいだし…。


もしかして今でもほとんどの子供は体育なんかなくっても、
学校終わったら公園で日が暮れるまで飛び回ってると思ってるんだろうか…?
だとしたらまあ納得できないわけじゃないけど、
その現実の見えてなさはいいんだろうか?


見えてないのはぼくのほうなのか?
でも昼間の公園で飛び回ってる子供の数は激減してると思うけどなぁ…。
東京の、それもごく一部だけなんでしょうか?



重いタイトルの割には、
さくさく読めて、
教育のことを再考させられるいい本でした。


でも欲を言うと、
いろんなところに書いた文章を寄せ集めただけなので、
論旨がかぶってるところが多々あるのがちょっと飽きる感じ。
書き直してまとめてもらいたいかな。


教育論が終わったあとの、
小ねたも楽しいものもたくさんあったし、

文庫版だったので、
420円(正確ではないです。)はお得かな。


ビール一杯よりははるかに価値があると思います。






でも結局政府や政治家が国民を教育する気がないのは、
馬鹿な国民をたくさん作ったほうが、
貧富の差が広がって、
いま自分たちが持ってる地位とかを安泰なものにできるからなんだろうなぁ…。
と思ってるんだけど、
ほんとのことはよく分かりません。


真剣に親ではなく子供のことを考えて、
いまの教育改革(?)が行われてるとしたら、
(ゆとり教育とか、体罰厳禁とか。)
ほんとに日本はやばいと思いますがどうでしょう?

巷ではクリスマスなどといって、
浮かれておりますが、
やっぱりいつになってもなじめないなぁ…。


と思いながら、
午前中にクリスマスムード(正確にはクリスマス商戦ムード)一色の
上野で買い物をしてきました。


このなじめないのはいつからなんだろう?
たしか小さいときは単純に街の雰囲気にも染められてたし、
なんといっても、
サンタさん(本物)からプレゼントもらってたから、
めちゃめちゃ楽しみなイベントのうちのひとつだったはずなのに…。


いつまでサンタさん(なんといっても本物)家に来てくれてたっけなぁ?
あんまり覚えてないけど、
小学校のときは確実に寄っていってくれてたね。
中学校のときはどうだったけかなぁ?
高校のときはもう家には来てくれなかったきがする…。



あっ!!!!!!!



なんかちょっとあいまいだけど、
サンタさん(しつこいかもしれないけど本物)がプレゼントくれなくなった時期と、
クリスマスムードは商売にもっとも深く関係してるからとか言って、
あほイベントと決め付け始める時期が一致する…!!




要約するとぼくはプレゼントがほしいだけだったんだ。
なんて現金でいやな子供だろう…。


それが男子校特有のカップル向けイベントぎらいの風潮にあてられていって、
こんなにすさんだ人間に育ってしまったんだなぁ…。





基本的にはくそ混んでる街に出るのがいやなので、
クリスマスだからこそって出かけるのはあほのやることだと思うけど、


「「お前ら踊らされてんだよ!
ほんとに相手と街でいい時間を過ごすのが目的なら、
違う日をお勧めするよ。
結局周りに見栄張りたいだけなんだろ!」
ってのは僻み根性だろ!」


ってのはもう10年も言われ続けてます…。

まあ今となっては忙しい中わざわざ混んでる日に出かけるのが

三度の飯より楽しいと思ってる人たちをどうも思いませんよ。
もう大人になりましたから…。



そうなんです。
先日大人になったので、
大人らしい対応もできるのです…。



つまり何を言いたいかというと、

プレゼントくれるならもらいます。
くれる人をサンタさん(これが本物かは審議…)と呼ぶ準備もできています。
ってことです。

 
夜露死苦!







まあ誰にも何にもあげないのに、
もらえるわけないけど…。


こいつまさかやめる気じゃないだろうな...?

http://takuya-yamada.ameblo.jp/

きみがいないと困ったチームになってしまうよ。
頼むよキャプテン。

ラモス監督に決まっちゃったみたいだし...。
まあコーチが武田でなくて都並さんみたいだからまだいいけどね。

ワシントンは浦和で頑張ってね。
去年はありがとう。
そしてごめんなさい。

基本的にお金はあんまり無駄使いしないほうだと思うんですよね。


洋服とかに金かけるわけでもなし、

(基本ジャージ、ベルトが必要なズボンは年に3回くらい)


自分にとっておいしいと思えればどんなに安いものでもよく食べるし、

(高級さ ∝ おいしさ って考えはあほだと思ってる)


女のこのために高価なプレゼントを買うこともなし、

(それよりも中身を磨けと説教するおっさん思考)


ギャンブルはしないし、

(趣味でverdyが勝ちのtotoは買う。でももちろんほとんどあたらぬ)


タバコも吸わない。

(金出して不健康を買う人の気持ちが理解しがたい。)




たぶん一般の同年代男性が金を使うことにはほとんど使ってないと思うんですよ。

唯一金使うのはスポーツって言う相当健康的な生活を送っています。


でも最低限かかるのがご飯代なのね。

どんなに贅沢しなくても、

学校にいて3食ちゃんと食べて飲んで(普通の飲料水。酒ではないよ)しようとすると、

一日平均1500円くらいかかってしまうのです。


土日はさすがに帰るとして、


1500円 × 週5日 × 4週 = ???!


30000円/月??!


食費だけで?

そんなにお小遣いないよ!

破産しちゃうよ!

どっかで節約せねばご飯食べる以外何もできなくなっちゃう…。


ってことで、

ちょっと前から中学とか高校くらいから毎週欠かさずに

愛読していた週間少年サンデーを買うのをやめにしてみました。

(こんくらい贅沢とは言わないでしょ?買わないで手に入れる週もたくさんあるし。)


最初はめちゃめちゃつらいと思ってたんだけど、

何とか我慢して、

コンビにでも買いたくならないようにわざと立ち読みしないようにしたり…。

いろいろ努力したのです。



先日電車に乗ったときに、

ほろ酔いだったもんで、

自分の戒めを忘れて、

網棚に捨ててあったサンデーを、

何気なくパラパラしてみたのです。


当然のことながら

話がまったく通じない…


前までのぼくだったら、

自分が通じるところまでさかのぼって読むために、

電車降りたら即マンガ喫茶行きだったはずなんです。


でもおかしなことにこの前はまったくそんなこと思わなかったんですよね。


これはもしや少年卒業かなと。

ぼくもついに大人になれたんだなと。


思ったのは総武線各駅停車の中でした。







でもよく考えると週100円・200円節約してもあんまりお小遣いには影響がないことに

気づかないふりをできるのがもっと大人かなとも思う…。


やっぱり無駄かな?



いやいや。

小さなことからコツコツと。

来年春の物理学会は愛媛大学にて開催されます。


どうしても行きたかったのですが、

(学会ではなく松山に…)

諸事情により行けなくなってしまいました。


あー、

行きたかったなぁ…。

松山。

四国自体行ったことないし、

こういうチャンスがないと行くことないと思うからこそ、

だからこそくそつまらない学会誌のために年会費を払ってたのに…。



よく知らないからただの想像だけど、


子規を中心に漱石関係の文学史跡みたいのを巡ってみる。


子規だけでなく、虚子とか秋山兄弟とか近代の英雄(?)をいっぱい生んで、

そしてなにより漱石が教鞭をとったことのある松山中学校を覗いてみる。

(まだあるのかどうかは知らない)


道後温泉でのんびりする。


などなどたくさん希望を膨らませてたのに…。

ほんとに残念でなりません。



もう物理学会で行くチャンスはうわさによると向こう20年くらいなくなるそうだから、

なんか別の学会に期待です。


それまでは坊っちゃんを復習して、

松山に行きたい気持ちを大事に育てることにしました。




ぼくにそそのかされて松山に行くことになった皆さん本当にすみませんです。